紀伊半島の旅(その8)

尾鷲、紀伊長島から大台ICを経て松阪に出てJRで帰える。

 新鹿(あたしか)から先は志摩半島まで、幾つもの湾と岬がが入り組んだ地形となります。

ここもまた、熊野古道伊勢路です。少し進んだ二木島湾神武天皇が東征のとき上陸した所とも考えられているそうです、この港は江戸時代にも良港として栄えたそうです。
湾を見下ろす太郎坂という高台の展望台から見ると素晴しい景色ですが、近くの棚田(段々畑?)は荒れ果てていました。

  

二木島湾辺りの風景

新鹿から九鬼までは、紀勢線の最後の難関で、長いトンネルの連続です。全線開通がちょうど50年前ということは、後で知りました。

 311号線は、湾に沿って進みます。二木島港の先の岬を迂回して進むとそこは尾鷲市で、賀田港三木里港と進みます。その先の九鬼駅の辺りで紀勢線の横を進み、寄り道をして九木港の先の九木神社という小さな神社のところまで言ってみました。
港の水は、あくまでも綺麗で、小さな青い熱帯魚系の魚がたくさん泳いでいました。

  

九鬼近くを通る紀勢線                             九木港

  

九木神社                            きれいな水と青い魚

 この先は、311八鬼山トンネル尾鷲市に繋がるのですが、それでは面白くないので、旧道を進みます。前半は、山の中の細い道で、雨が多く暖かい為か、羊歯が道端の石垣に生い茂っています。ここを過ぎると尾鷲湾の南岸に添って進む道で、ここも風光明媚です。

  

羊歯が茂る旧道                          尾鷲湾入口辺り

尾鷲市に入る手前に、中部電力三田火力発電所が見え、三重県立熊野古道センターがあります。ここは、三重県が伊勢路世界遺産になったことから建設したものです。伊勢路伊勢神宮近くから、いくつもの峠を越えて、尾鷲近くを通り、二木島辺りから海岸線で新宮に向かうルートです。

尾鷲港と三田火力発電所

険しい山道が多く、生活道よりは修験道に近い道だったのかも知れません。この辺りの人たちは、川筋よりも、入り組んだ湾の中の漁業を中心の生活で、船での移動が多かったと思われます。熊野水軍なども、この一帯の漁師がもとになっているのでしょう。

  

三重県立熊野古道センター

センターでは、たまたま、紀勢線開通50周年の展示をしており、JRが記念入場券などを売っていたので買ってみました。今日通った辺りが、最後に開通した所ということをここで知りました。

   

紀勢線開通50周年                     記念入場券

 センターは大きく立派なものです。伊勢路に関する写真などももう少し欲しい所です。

観光ルートとしては、尾鷲神社近くから42号線に抜ける馬越峠のルートが人気が有るようです。

 ここから進んで、尾鷲神社へ。ここは樹齢1200年とも言われる二本の大楠が有名です。祭神は素盞鳴尊。この神社は、1707年の大津波で社殿などが殆ど流出してしまい、詳しいことは不明と言うことです。しかし、伊勢路の重要な地点でもあり、立派なものであったと思われます。

    

大楠                            尾鷲神社鳥居

本殿                            すぐ隣の金剛寺

 ここから42号線に出て進み、熊野古道馬越峠越えの反対側の入り口に言ってみました。

どちらからも出入りが出来、距離も適当で、途中の天狗倉山へ上るなど、一日のコースとしては丁度良いのでしょう。

  

馬越峠越えの熊野古道                    石畳に感じは中辺路と少し違う

42号線はここから、紀勢線に沿って、山中に入っていきます。

途中、大内山と言う駅があり、そこから少し入ると、頭之宮四方(こうべのみやよもう)神社が有ります。祭神は唐橋中将光盛という桓武天皇の子孫とか。

神社のホームページには次のように書かれています。

唐橋中将光盛卿の亡き後、いつしか時は流れ、ある日の事、唐子川で遊んでいた子ども達が、1つの髑髏(ドクロ)を見つけました。無邪気な子ども達は髑髏を川面に浮かべ、恐れもなく遊んでいたのですが、通りがかった老人が「不浄なり」と髑髏を捨てさせてしまいました。

ところが、この髑髏こそ唐橋中将光盛卿だったのです。老人は突如神がかりし、村人にこう話し始めました。「私は唐橋中将光盛である。子ども達と楽しく遊んでいたのに、髑髏を不浄と言って妨げるとは何事か」村人が恐れ見守っている中、老人はこう続けました。「私の髑髏をこの地に祀るならば、万民に幸福を与え、永く守護する」と。村人はこのご神託を恐れ敬い、神託のままに神殿を造営し髑髏をお祀りしました。その地こそ現在鎮座地であります。この由来から当社は、日本で唯一の「頭之宮」と名乗る神社となっています。鎮座の始めは建久二年(1191)と伝えられています。唐子川は今でも清らかに流れ、ホタルが飛び交いカジカが鳴く自然の中で、伝説が息づいています 

「日本で唯一の「頭之宮」と名乗る神社」!!、この日も子供連れや若者がご利益を求めて参拝に来ていました。神社のホモ中々商売熱心で、「頭と言っても、受験だけではない。聡明な頭は、商売も事業も、ボケにもーー」とPR。頭之水と言って湧き水を福蛙の口から流すとか、頭之石が有ったりと多彩です。

  

頭之宮神社                           少し派手な拝殿

   

頭之石                                頭之水

しかし、そのようなものが無くとも、神社の横には綺麗な川が流れ、もあって中々、清浄な場所でした。

ここから、さらに進み、大宮大台ICの近くまで来ると瀧原宮があります。

瀧原宮内宮(皇大神宮)別宮で、伊勢神宮のある伊勢市の西部を流れる宮川の河口から約40km上流の、宮川支流大内山川が流れる滝原にあるのです。宮域には瀧原宮(たきはらのみや)と瀧原竝宮(たきはらならびのみや)の2つの別宮のほか、瀧原宮所管社3社があり、所管社の中の若宮(わかみや)神社には神体を入れる御船代を納める御船倉(みふなぐら)が併設されています。御船倉を持つ別宮は瀧原宮のみだそうです。

   

瀧原宮                                    別宮

所管社の一つ

ここの地形は、伊勢内宮の原型だったのではないかとも言われています。

伊勢神宮と同じく、20年に一度、遷宮が行われ、2006年に第62回の遷宮の御木曳きが行われたとのこと。

 これで、車でのドライブ、約700kmの今回の旅は終りました。大宮大台ICから松阪ICまで進み、車を返して、松坂駅から、14:55発特急ワイドビュー南紀6名古屋に出て、大甕に20:25に帰りました。

松阪駅で電車を待つ