高齢化の悪用

 

昔から、親が子供に意見を言うということは当たり前と思われているが、子供が親に意見を言うのは、よほどの事がないとあまりほめられた事ではないと考えられてきた。

しかし、高齢化社会の今、この辺が微妙になって来ている。

問題は、親の年齢が70歳を過ぎると、精神的、肉体的に個体差が大きくなる事である。

使い古したパソコンの如く、ハードデスクは、殆ど満杯で、しかも、デフラグもやっていない為に、データはばらばらに入っており、新しい事は、僅かに残った部分を使うために、すぐに

オーバーフローしてしまい、「システムがビジー状態です。再起動して下さい」と言う警告が出て固まってしまう。

レジストリーは、めちゃくちゃに変更、書き込みがされている為にすぐに、フリーズする、場合によっては、起動すらしないと言った状態になっていくのではないだろうか。

しかも、CPUの性能が、それぞれに異なる上、オーバークロックで酷使したりして来たりして、新しい重いソフトでは能力オーバーとなったりしているのである。

 自分自身を考えてみても、かなり、このような状態に近づきつつあると思うこの頃である。ともかく、人の顔と名前が一致しない。顔は記憶のどこかにあるが、名前が思い出せない。

したがって、外付けのハードデスクに書き込む(ノートなどにメモる)のだが、さて、それが何処にメモったかも忘れてしまう。

このような状態になっても、昔の事はしっかりと覚えており、意見を聞かれれば、それに沿って答える事ができる。

 歳をとった教祖様(宗教でなくとも良い)であれば、信者は、言っている限りにおいて間違ってはいないなら、その言葉を自分なりに解釈して、その一言を有難がるであろう。

もしも、教祖様が、昔の通りであれば、聞かれたことの裏を読み取り、自分の情報網を持ち、自分の意見が変な形で伝わらないように、きちんと注釈を加えて伝えるであろう。

しかし、教祖様が神格化され、しかも、情報源であった人たちはすでにこの世になく、いささか世情に疎くなり、ボケかかってくると、ずるい取り巻きが、自分に都合が良いような質問をし、その答えを錦の御旗として掲げると言った事が起こってくる。

 そうなる前に、世代交代が必要なのだが、教祖様を利用できる限り、利用する人たちがいる限り、そうもならないのである。

 月曜日の夜のテレビで、話の始めの方は抜きにして、8時45分頃になると、チャンネルを回して、「静まれい!静まれい!この紋所が目に入らぬか!!ここにおられるお方をどなたと心得る!恐れ多くも先の副将軍、水戸光圀候のあらせられるぞ!!一同、頭が高い!!

控えおろう!!!」「ははあーー、恐れ入りました」と言う所だけを見るのと同じような状況になる。

 しかし、テレビでは、「この紋所」が始まる前の8時から8時45分まで、黄門様は、皆と一緒に働いているのである。

それが、現実の世界では、印籠だけを利用しようと言うやからが多すぎる。

高齢者が何時までものさばっている原因の一つは、社会の年齢構成や、仕組みのみによるのではなく、若い世代が楽をしようという気持ちにもあるのではないだろうか。