地球温暖化に思う

海岸を散歩していると、足元の砂浜にテトラポットが置かれ、その先にある岸壁を保護するようになっている場所が多い。

古代、海から来た弥生人たちが、上陸地点とし、今でも金砂神社浜出し神事の場所となっている水木海岸の田楽鼻辺りもそうなっている。

水木海水浴場から見た田楽鼻方向

 水木の海水浴場から、久慈浜の海水浴場までの海岸は、岩場の所が危ないので通行禁止になっているが、干潮時などは、道も出来てさほど危険ではなく、何回か通ったことがある。

    

             海岸の道(この先通行禁止)                           振り返ると                          
 田楽鼻の少し沖には、鮑などの取れる岩場がある。弥生人が渡来した頃、海面はもう少し低く、この岩場なども、露出していたか、あるいは干潮時には露出したのであろう。水木の海岸の砂浜ももう少し広がっていたのであろう。 

       

       さらに進む(護岸の回廊)                               回廊のカニたち

    

久慈浜海水浴場から日立港方面
                         露出する断層の様子

 しかし、縄文中期などではどうであったのであろうか?

今見える岸壁の断層がそれを物語っていると言えよう。この岸壁は、比較的硬く、侵食され難い層と、その上野柔らかい層の二重構造である。

おそらく、この下の硬い層辺りまで、海面が上昇していたのではないだろうか?その上の層は、その跡に形成されたと考えられる。

海面の位置がここまで高かったと言うことは、茨城の各地の貝塚の分布からも言えることである。

 今後、地球温暖化が進むと、日本の海岸地帯は、海底に沈み、あらゆる場所で、大問題となっていくであろう。工業や農業の基盤となる海岸地帯の様相は激変すると思われる。それが、何時のことは分からない。

 古代文明の幾つかが森林を伐採しつくして滅亡したように、温暖化での海面上昇も大問題となろう。いま、ツバルで起こっていることは、未来の日本の姿であろう。

海岸を歩き、断層を見るたびにそのような思いを深くする。