「津」

 「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ」と言われているが、「津」とは船着場を表す言葉だそうで、沼津、焼津、津、草津、大津、今津、攝津、そして九州の坊津、唐津まで東海道から、琵琶湖、瀬戸内海などの沿岸に多くの「津」がある。

万葉集にも、「熱田津に、船乗りせむと、月待てば、潮も叶いぬ、いざ、漕ぎ出でな」と言う額田王の歌もある。(この歌は、百済への援軍と一緒に九州に行く途中、愛媛あたりで読んだ歌と言われている)

子供の頃、海岸では、小さな漁船を砂浜に引き上げておいた風景が良く見られた。

 

     昔は何処でも

太平洋諸島など、丸木舟を海岸に引き上げている風景が写真などでよく見られた。今は、船が大型化して港に係留するようになった。

小船で、磯に出て魚貝類を取るといった漁のやり方では、漁獲が無いのであろう。

砂浜のある海岸は、すべて「津」であり、船の係留できる入り江は、すべて「浦」であった。津々浦々と言うように、日本は水に囲まれた国であったのである。

しかし、今はコンクリートの護岸やらテトラポットやらで、美しい砂浜も減ってしまった。

小生が住んでいるあわびに乗って金砂の神がやってきたと言う水木の浜も、テトラポットの山であり、コンクリートの護岸であり、砂浜はほとんどない。

 もっとひどいのは、四国の桂浜であった。「――月の名所は、桂浜――」と歌われた桂浜も、坂本竜馬の銅像側は、海岸と言えるが、反対側は、無残なコンクリートの塊である。

 沼や川に葦浜は無く、海に砂浜はない。明治以降、日本人は自然をいかに多くぶち壊してきたことであろうか?

そして、海外に観光に行き、きれいだとか言っているが、日本のほうが本当ははるかに綺麗であったのである。

もう一度、美しい海岸線を取り戻すことはできないのであろうか?「それは、不可能だ。近いうち、まさしく「津波」が襲ってくるであろうから」などというかも知れない。

しかし、これから何十年か何百年かの間に、地球温暖化で海面は数10メートルも上昇し、縄文中期と同じ位になってしまうであろう。

何十年かけて積み上げてきたテトラポットなど、波を防ぐのではなく、漁礁になってしまうのかも知れない。

沖ノ鳥島に珊瑚を増やそうなどと言っているが、よほどやり方を考えないと無駄な努力になりかねないが、ここに1000億円投資しても、日本の経済水域の面積確保から言えば十分お釣りが来るだろう。海洋国である日本は海面上昇で大きな痛手を受けるのに対し、アメリカ、中国、インド、ロシアなどの大陸国はあまり影響を受けない。

 「津波」の心配をするのなら、もう少し想像力を働かせて、常時、海面が「津波」の時と同じ位上昇していることを想定して対策を考えておくべきだろう。

縄文時代は緑の下あたりまでが海面?

 

三津七湊さんしんしちそう

室町時代末の日本最古の海洋法規集である『廻船式目』に、日本の十大港湾として記されている三津、七湊の港湾都市の総称。

三津は伊勢安濃津(津市)、筑前博多津(福岡市)、和泉堺津(堺市)

七湊は越前三国湊(坂井市)、加賀本吉湊(白山市)、能登輪島湊(輪島市)、越中岩瀬湊(富山市)、越後今町湊(直江津)(上越市)、 出羽土崎湊(秋田湊)(秋田市)、津軽十三湊(五所川原市)

中世から、江戸時代まで、日本海を中心とする海運が栄えていたことがわかります。