計画

 先日、昔のファイルを整理していると、「計画」というファイルがあり、開発段階での色々な計画表が出てきた。

計画というものは、自分の為であれ、何かの仕事のためであれ、成功せねばいけないのだが、そればかりを考えると堅苦しいがんじがらめのものになってしまう。

それだけではなく、成功を願うがゆえに、都合悪いことは見落としてしまうことが多い。

組織では、目的がはっきりしているから、それに向かって計画を立てると、その計画の内容について、議論することはあっても、勝手に自分だけ抜けたり、途中で中止ということは、滅多にない。人、金、時間があれば、必ず実行する。

今、仕事を離れて色々な計画を立ててみると、組織外での計画には、「人」の要素が更に大きいということが分かった。

ところが、今は年寄りの集団である。何かやって成功裏に終わったとする。

すると、「よかった、またやろう」という人が必ず出てくる。そして、そういう人の大半が

自分ではやらないのである。このような人には、二種類の人がいる。

楽しく、計画に参加し、気配りもして一緒にやっていて楽しいが、計画することが苦手な人と人の計画に乗っかってそれを楽しみたいという輩である。

後者の輩には、計画を立てる人が、案内を出し、皆の都合を聞いて日時を決め、計画をまとめて最終連絡をするのがとても大変なことであるという認識がない。

「メールを持っていると楽なんだけど」と言うと「あんなものは面倒だからやらない」等と言いながら、「俺には案内が来ない」「案内に間違いがある」「やる場所にどう行ったらいいか分からない」などというのは大抵この種の輩である。

そして、別の楽しみが後から出てくるとドタキャンである。

 そんな連中でも計画に参加してもらわないと、なにかと都合が悪い場合が多い。

5人ではゴルフはできないし、7人ではマージャンもできない。

ところが、こんな輩に限って、理由もいわずにドタキャンをする。それは想定内と大抵はバックアップの人を何人か考えておき、助けを求めることになる。

「あいつは、いびきがものすごくうるさいがしょうがないか」などと言う事になる。

 計画を立てるのが楽しい人、計画を盛り上げ皆を楽しませる人、計画に参加して楽しむ人、色々な人がいるが、何かといえば「昔の名前で出てきて誰かがやってくれるのが当然と言う輩」にはなりたくないものである。