野口さんも、若狭さんも、宇宙から見た地球は素晴しいと感想を述べたが、宇宙から見た星空はどうだったのだろうか。

 子供の頃、家の裏の堤防に登ると、夏の夜空の天の川、冬の夜空のオリオン北斗七星などを中心に満天の星が見えた。

宇宙から見ると、さらに多くの星々が見えるのであろう。

しかし、今の自分は空を見ることさえまれになったことに気がつく。あのようなきれいな星空は、どこに行ったのであろうか?

今でも、どこかで見ることが出来るであろうが、残念ながら自分にはもはや不可能である。

車のスバルにいくつかの星をかたどったマークが付いている。あれは、星のを表している。そして、というのが枕草子にも書かれている純粋の日本語であることもご存知でしょう。

しかし、自分には、子供の頃、2.0以上であった視力の時には見分けられたの星の数も、近眼に今では、見分けることが出来ない。

視力の衰えは、見える星の数さえ減らしてしまったのである。

その上、年をとると見えるものが見えなくなるばかりでなく、曲がったり歪んだりするのである。

 ゴルフのパットをやる時、誰でも後方から傾斜などを見て、目印を見つけたり、ボールのマークを目標に合わせたりする。しかし、ボールを打つ時は、上から見る。

見る方向が、90度違うのである。乱視だと当然、ラインが狂い、年とともにパットまで入らなくなる。飛ばなくなるのは良いとしても、短いパットが入らないのは頭にくる。

その上、眼力(がんりき)が衰える。見えないものまで見えるふり人も多い。頑固と言うが、この言葉は、眼固ということでもあろう。

 子供の頃、田舎では大抵の行事は旧暦で行われた。

牽牛と織女が年に一度、天の川を渡って会うことができると言う七夕もそうである。

旧暦であれば、たいていが8月の上旬で、梅雨も空けほとんどの年は逢瀬を楽しむことが出来た。しかし、今は自分達の都合で太陽暦に変えて七夕とし、まず、二人が会うことは不可能である。

そんな中で、各地の七夕祭りは、旧暦でやっている。昔の伝統を今に伝えーーなどともっともらしくテレビなどで言っているが、それだけではあるまい。要は、太陽暦の7月7日では、雨ばかりで二人が会うことよりも、観光客が来ないのである。

 何がどうなっているかを見抜く心眼だけは失いたくないものである。