次は、イタリア抜きでやろう

 ポーランドの英雄と言えば、キューリー夫人であり、ショパンである。

しかし、なんと行っても一番親しまれているのは、ショパンであろう。
その生家の後を「ショパンハウス」として整備し家のテラスでは、ショパンのピアの曲を、弾いて聞かせている。

ロシアとプロシャの狭間にあって、国を分割され、ヒットラーとスターリンに支配された民族の歴史を顧みてみると、自分達のアイデンティティを何とか作り上げ、国としての存在意義を国民に持たせたいと言う意識がそこここで伝わってくる。

 第二次世界大戦で徹底的に破壊された旧市街oldtown)を、貧しい国家予算の中から、再建したのもそのひとつであろう。

町の中心には、ソ連軍のポーランド開放を記念して建てた如何にも権威を象徴するような建物(今の名前は文科学宮殿)があるが、ワルシャワの人達に言わせると、ここから見たワルシャワの景色が一番美しいのだそうである。(その心は、その建物が見えないから)

 ある日曜日に一日時間が空いたので、観光バスでこれらの名所の観光に出かけた。
 いくつかのホテルを回って観光客を集め、ショパンハウスなどに行き、最後にオールドタウンに行くコースである。

途中から、何組かの観光客が乗ってきた。そして、なんともにぎやかな連中が十数名乗り込んできた。イタリーの団体である。

 季節は、6月、最も気候が良い。バスで郊外に行くといたるところ牧場と麦畑である。
麦畑は、非常に美しい。本来の麦は、化学肥料が殆どないため、一穂の粒が極めて少なく、ひょろひょろとしている。代わりに、紫の花をつけた矢車草がたくさん混じっている。色付いてきた麦と矢車草が不思議なコントラストをなしている。

 ショパンハウスでは、家では若いピアニストがショパンのピアノ曲を演奏している。

           

そこを後にして、ある公園で、休憩時間となり、一時間後に集合と言うことになった。
しかし、時間が来ても、イタリー人の連中は一向に現れない。ガイドがやきもきする中、一時間も遅れたであろうか、ようやく、全員が集まった。

これから、ワルシャワ市に戻り、最後のスポットであるオールドタウンに行く日程であるが、連中が、もう晩飯の時間になる、観光にこなかった連中と飯を食うので、市内で降りると言い出した
 そこで、連中を下ろしたが、ほかにいた数人の観光客も、我々も降りると言うことで降りてしまい、結局、私と、若いドイツ人の二人が残された。

 ガイドは、中年の女性であったが、遅れたのは申し訳ないので私が最後まで案内すると言って、三人で、バスは返して、オールドタウンを見物することとなった。

夏であるから、日が暮れるのは遅い、詳しく町を案内してもらい、満足して帰ってきた。

最後まで一緒だった同年輩のドイツ人と別れる時、「次は、イタリー抜きでやろう」と言って別れたのである