漢詩(その9)

 阿倍仲麻呂が唐に仕え、高位の文官になったことは良く知られています。

彼は日本に帰りたいと玄宗皇帝に何回か申し出たが、果たせず、遣唐使藤原清河を送る唐の使と言うことで帰国が許されました。詩人達との交流も深かった彼に対する送別の詩が幾つか残されています。

王維の書いた「送秘書晁監還日本国」が有名です。

 

彼は、藤原清河と共に、四隻の船で帰路につき、別の船にはかの鑑真も乗船していました。しかし、沖縄から奄美に向かう途中で阿部仲麻呂達は、べトナムに流され、鑑真は無事に九州に着いたのです。

何回も、帰ろうとして帰れなかった仲麻呂、何回も、日本に行こうとして最後に目的を達した鑑真と二人の運命が同じ一行の中で分かれたのです。

 そして、再び、唐に仕えた仲麻呂はついに帰ることなく、唐で没しました。

1979年に西安に、日中友好の記念として、興慶宮公園阿倍仲麻呂の碑(6.1m)が建てられました。何回も西安に行ったのに、行くことができず残念でした。

これには、右側面に仲麻呂が帰国途中で台風で死んだと言うことを聞いた李白の詩、右側面に仲麻呂が詠んだ和歌の漢詩訳が刻まれています。