「こちら、リスク管理委員会、そちらは危険なりや?」

 

 突然、湾岸戦争がはじまった。工場は、当時、中近東の変電所建設が最盛期でクウェートサウジアラビア、アラブ首長国連邦と各国に人をだし、仕事をしており、新しい案件の打合せなどで、大勢の人が、出入りしていた。

 クウェートに行っていた人は全て捕まって、イラクに連行されてしまい、明日にもサウジまで進攻してくるかのような日本の報道である。

そもそも、中近東など行ったこともないような新聞記者が、隣国のサウジまで来て、「昼間はイラク軍の砲撃を恐れ、町には人影一つ見当たらない」と記事を書いたと言う位であるから、日本での情報はいい加減なものである。(大体、暑くて、昼間、外へなど出られるか!!

 当社の中でも、サウジなど近隣諸国から引き上げるべしと言う意見も強かった。

しかし、サウジ自身は、「自分達は安全である。工事の遅延はまかりならん。遅れれば、当然ペナルティーだし、今後の入札もさせない」と強硬である。

人命は、何よりも尊いなどと言うが、こうなってくると金も惜しい。

そこで、現地に調査団を出し、現地でもっと大きな工事をやっているM社などと、いざと言う時の体制を打ち合わせ、日本大使館とも連絡をとって緊急時に備えようと言うことになった。

 こういう役割は、大抵、小生に回ってくるものと相場が決まっている。つくづくと地図を見るに、ガルフの対岸を下って来ても、兵站線が長くなり、湾内の米軍から攻撃されるだろうし、アラビア半島を横切って、メッカやメジナまで進攻するのも不可能であろう。サウジまで攻め込んでくることは、絶対ありえないとは思ったが、心配性の人が大勢いる平和ボケの御本社様を納得させる為には、仕方があるまいと出かけることにした。

 事業本部と小生ほか数名で、サウジに行き、小生は、帰りにアブダビまで足を伸ばして帰ることとした。

 サウジでは、建設現場に行き、出張者を激励し、万一の時はM社の車で一緒に逃げるなどと言う打合せを済ませ、日本大使を表敬訪問して状況等を聞いたりした。

町は、いたって平穏であり、変わったことと言えば、ホテルの高級な部屋がことごとくクウェートの高級難民で占拠され、廊下が、お香の香りでいっぱいであった事、ベドウィンの定着対策で建設したは良いが、誰も入らず、フィリピン人のメードだか、韓国人の看護婦だかが殺されて放置され、ミイラ化して発見されたと言う噂のあるマンションが難民でいっぱいになっていたこと位である。

 サウジで同行した人達と別れ、アブダビに向かった。アブダビに着くと、商社の人が待っていた。そこで、渡されたのが、リスク対策委員会からのFAXである。

今度、アブダビで新しい案件があり、打合せに貴工場他の人を派遣せねばならない。ついては、アブダビが安全かどうか、至急、出張報告を書いてFAXで送って欲しい

 このようなことを書くセンスが、大企業病の典型である。

安全かどうかなど、自分で来て確かめろ!俺がここにいるのはなんなのだ」と言ってやったが、当然のことながら帰ってからも何の挨拶もなし。

このような連中は、リスク回避委員会とでも改名すべきであろう。