漢詩(その4)
日本の教育は、中世以前は、寺院などで行われ、西洋の宣教師などの報告にも、京都周辺のほか、足利学校なども紹介されています。
江戸時代には、寺子屋、藩校の他、私塾など多彩な教育が行われていました。
私塾では、吉田松陰の「松下村塾」、緒方洪庵の「適塾」、広瀬淡窓の「咸宜園」などが有名です。これらは、それぞれに特長ある教育がなされています。
このような所で、教育を受けた若者が明治以降の日本を支えたのです。
松下村塾 適塾 咸宜園
中国にも教育の場は色々とあったようですが、四書五経を中心に教え、進士に合格する為のものといった色合いが濃かったようです。
次の二つの詩は、偏見かもしれませんが、両者の考えの違いを表しているといえるのではないでしょうか。
朱熹は朱子学の祖、広瀬淡窓は幕末の九州日田の教育者で、4000人近いの弟子がいた。