箍(たが)が緩む
何かテレビのクイズ番組のLEVEL3位に出てきそうな文字だが、昭和年代までは、普通に使われてきた言葉である。
日本の液体の入れ物は、縄文時代には、ひょうたん、そして、土器であった。(皮袋もあったかもしれない)真竹や孟宗竹の分布は人間が広めたのであり、竹筒の使用は比較的遅いらしい。
液体の運搬という面では、土器は強度が弱く、本格的に使われるようになったのは、もっと強い陶器が出来てからで、密閉性に優れ、ローマ時代以前から、ワインなどの運搬に広く用いられている。
酒や酢つくりでは、大型の陶器、甕が用いられてきた。今でも、鹿児島に行くと、沢山の甕を並べて黒酢を作っている。
その後、日本では、杉やヒノキという木目が正しく、強度が強い木材が建築に広く用いられ、竹との組み合わせで、樽、桶といったものが広く用いられるようになったのである。
樽は杉の板を組み合わせ、外に竹の箍をはめる。これが板を固定し、中の液体の圧力、水分による板の膨張などが組み合わされて液漏れが防がれ、大きいものでは、何十石という容量のものまで作られた。(1石=10斗=100升、1升=1.8リットル)
戦後、昭和40年代までは、樽や桶というものは、きわめて身近な存在であった。
出来が悪かったり、しばらく液体を入れないで乾燥してしまったりすると、箍が緩んでしまい、液体を入れると漏れるということになる。
「箍が緩む」と言う言葉は、きちんとしていないで規律が緩んで問題が発生することである。この殆ど死んだような言葉が、最近、また使われている。
阿部内閣以来の相次ぐ不祥事での大臣の辞任である。
しかし、これは正しい使い方であろうか?大臣に指名したのは問題であるが、「箍が緩んだ」のはずっと前のことであろう。
液体が漏れているのが外から見えるということは、民主主義で、報道の自由があるということでもある。
もし、入れ物が進歩し、ドラム缶や色つきのペットボトルであれば、中の液体が如何に腐っていても外からは分からない。容器の進歩は他方で問題を起すのである。
しかし、「箍が緩んだ」樽も問題である。
これを直すのには、箍を変えただけでは、うまく行かないことが多い。
昔の人は、箍をはずし、樽の板を削りなおしできちんと組み合わせ、新しい箍をはめ新しい酒を入れたのである。
そこまでやらないと、液漏れは防げない。「あ!そう??」ではすまないのだ。