「未来への未練」 

 昔から一緒に仕事をしてきた昭和40年入社の人達は、顧問も終わり、45年度の入社した人達は、現役を終ってラインを去る時が来た。

しかし、それは単なる生きてきた時間中での一つの区切りである。

今まで「過去を語るのが老年」「現在を語るのが壮年」「未来を語るのが青年」などと話をしてきた。しかし、それのみで、若さを表すことは出来ない。

ある年齢以上になると、人間は言葉だけでなく、行動と言う面からも、3種類に分類されるのではないだろうか。

 第一の分類に入る人は、「パソコンでメールをやりましょうよ、他にも色々なことが出来るし、情報の検索など非常に便利ですよ」と言っても「いまさら、パソコンなど面倒だよ、俺は電話で十分」などと言って、新しいことに関心も持たず、やろうともしない人である。このような人と酒など飲むと昔のことや、現在の健康などを語って終わることがない。そして、次第に付き合いにも出てこなくなる。

 第二の分類に入る人は、「俺は、趣味として昼はゴルフ、カメラ、夜はカラオケ、麻雀」など仲間同士で、現在を楽しんでいる人である。現在を楽しんでいるが、仲間が欠け田時が問題である。

 第三の分類に入る人は、「俺は、冬はワカサギの穴釣りをやっている。釣った魚で仲間で一杯やるのは楽しいぜ。でも、細い糸を4mも垂らして、微妙な当りをつかむのは大変だ。かかったら、糸を手繰るのも冷たい。そこで、ワカサギ釣りのリールを作った。文房具やでプラスチックの下敷きを何種類か買ってそれを切って適度のたわみを持たせ、プラモデル屋でマブチのモーターやら、ギヤを買って巻き上げメカを作った。今年は、ギアを多段切り替えにしてもっと調整できるようにした」

などと、趣味として同じことをやっていても、考えて創意工夫をしている人である。

このように、今や未来を語るのみではなく、それを実行する人が青年といえるだろう。

 若い時は、「未来への希望」「未来への絶望」と言ったものがあり、それに突き動かされて青春を過ごしてきたような気がする。

色々な出来事に遭遇し、時には成功を、時には失敗を味わい、それでも明日があると考えてきたのではないだろうか。

 問題は、年を重ねるにつれ、気持ちのみが先行し過去の経験などから、未来はなんとなく見えるが、そのとおり進んでいないような気がするといった時であろう。

今、多くの人たちが、「過去の成功体験」から、色々な失敗をしているような気がする。

それは、私たちが持つ「未来への未練」と言うものであり、年をとるにつれてそれが強くなるのは困ったことである。