育った田舎の家は、台所と裏の部屋(納戸と言うべきか)が板の間で、後は畳部屋である。

寝ていて、外を見ると障子越しに雨戸の節穴からの光が入ってくる。その穴は、場所によっては、冬の夜、外の便所(家の中に便所はない!)に行くのが面倒で、利用させてもらった穴もある。

天井を見ると、板張りで木目がいろいろなことを想像させる。台風でかわらが飛んで出来た雨漏りの染みなど、寝小便の布団の染みのようにも見える。

時々、ねずみが走り回る音などもする。夏など、ねずみを狙って青大将が長押を這っていたこともあった。

 部屋の中には、今のように色々なものは置いてない。二間続きの客間と隣の部屋は、客でもない限り座卓も何も置いてないから、子供が遊ぶのには絶好の場所である。夏など、縁側から外に飛び出すのだが、当然はだしで、誰も見ていないとなると、足を拭くこともなく、家に入ってしまう。土地がさらさらした砂に近い土で、廊下さえ歩かなければ、はだしで入ったのが分らない。

 何百年と言う歴史の中で、は全ての生活の基本的な尺度となってきた。

「起きて半畳、寝て一畳」と言うのが、昭和初期までの平均身長150cm台という日本人の大きさの基準でもあった。

 子供の頃から、そんな生活をしてきたので、冬の寒さはあまり気にならず、家を建てるなら、和室がいい、畳だ、と言うことで、台所と収納部屋を除いて全て和室としたのである。

それから、30年。世の中は変わってしまった。

180cmもある次男坊はからはみ出す。やれ、本箱だ、パソコンだ、テレビだなどと色々なものが部屋を占拠している。何かを動かすと、畳の色がそこだけ新しい。通り道が決まってしまい、そこだけ磨り減る。

しかし、の部屋は、何時でも何処でも横になれるし、座布団枕に寝ることも出来る。立ったりしゃがんだりは足腰に良い。

とはいえ、何年かおきに、畳表を交換あるいは裏返す手間と金も馬鹿にならない。ついに、今年は畳の床まで新調することとなった。

まず、二階の部屋からと言うことになったが、本箱、PC,その部品など膨大な荷物で新しく作った屋根裏部屋に押し込んだが入り口が小さいので苦労した。

 畳屋が来たので聞いてみたら、六畳二間なら夕方までに終わってしまうと言う。

「女房と畳は新しい方がいい」と言うことわざ?は、逆説的に代えるのが難しいと言う意味かと思っていたが、の交換は機械化されて簡単になったらしい。

今の世の中、「亭主と畳はすぐ変えられる」と言うことになりつつあるのだろうか?