SF(その2) Sense of Wonder

 エドモンド ハミルトンの生誕100年に、彼のさまざまなSFが復刻された。

SFの世界では、今まで経験したことが無い新たな未知なものに触れる時、心の奥に浮かぶ不思議な感動、そのようなものを生み出す感覚、このようなものを感ずるような作品が、Sense of Wonder にあふれる作品と言われる。

この言葉は、「沈黙の春」「われらを巡る海」などを書いた自然科学者のレイチェル・カーソンの「The sennse of wonder」と言う著書の題名でもある。

この本は、自然と言う新しいもの、不思議なものに触れる子供の新鮮な驚き、感動と心を大切にしようということが書かれている。

 SFの世界では、未知なる物は「時間と空間」のあらゆる場所で、新しい感動を生み出し、それを感ずる優れた作品にSense of Wonder があるという。

 エドモンド ハミルトンは、さまざまな新しい世界を作り出したSF作家の一人であるが、「キャプテン フューチャー」などで大衆向けの娯楽SF作家という評価が定着してしまい、作家としての名声が低いのは残念である。

短編「フェッセンデンの宇宙」など、新しいアイデア、Sense of Wonder にあふれる作品のひとつである。

彼は、1904年生まれで、14歳で大学に入ったと言う天才児でもある。1977年死去したが、妻のSFやファンタジィの作家であるリイ ブラケット「スターウオーズ」第三作の脚本を手がけてことはあまり知られていない。

 「スターウオーズ」第一作が出た1970年代は、第二次のSFブームであり、日本ではハヤカワ文庫、創元文庫などで、SFが取り上げられるようになった。

この頃、出張などで常磐線往復で一冊ずつ、新幹線で大阪まで行けば、少なくとも4,5冊のSFの文庫本を読んだものであった。SFマガジンなども最盛期であったと思う。

 しかし、日本の作家では、中々、Sense of Wonder に出合えない。どちらかと言えば、筒井康隆、夢枕獏などSFもあるが少しそこからずれたジャンルが得意な作家が面白かった。

むしろ、アニメの世界で「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」「マジンガーZ」「起動戦士ガンダム」「ドラエモン」など面白い作品が多く日本で生まれた。

 そして、90年代の中ごろからまたSFが復活してきた。

新しいジャンルとして仮想戦記ガ盛んになった。「紺碧の艦隊」とその並行作品である「旭日の艦隊」が出ると我も我もとその模倣作者が現れた。

これらの作品は、最初はタイムマシーンできた未来人や並行宇宙の軍人や科学者が第二次世界大戦で日本に味方すると言うようなものが多かったが、最近では日本と中国が戦うとか次第に現実の未来に舞台を移しつつあり、危険な兆候である。

西部劇の延長のような勧善懲悪のアメリカのSF映画も増えてきた。

「スターウオーズ」も第六作で因果の輪が閉じたようであるが第一作のあの感動は少なかった。

 自分も年をとって感受性が鈍ったのか、知りすぎたのかも知れないが、もっともっとSense of Wonder にあふれた作品に接してみたいものである。