友を送り、泊崎大師堂へ
高校の同期、Y君の葬儀が牛久で行われ出席しました。
当日は都合が悪く、前夜の通夜に参加した人もおり、今日は、同期は5人の出席でした。
Y君とは、高校時代、組みも一緒にならず、その後も数年前まで全く知らなかった。
初めは、卒業50周年で色々と一緒にやったM君が、同期会ホームページを管理していることから、ホームページをどうしようかと言うことで知り合い、歩く会で一緒に歩いたり、浅草七福神まいりで歩いたりして親しくなっていったのです。
しかし、一昨年の歩く会の前から肺がんでそれも難しい種類のものだと言うことを聞いていました。彼は、ネパールの小学校に学用品を送る活動や登山、ブログなど多彩な活躍をしてきており、もっと親しく付き合っていきたい人の一人でした。
昨年の秋に、勝田でネパールの写真展があり、そこに作品を出したが本人は出てこられない状態になっていたが、その後もメールのやり取りもあり、かくも早い訃報を受けるとは思っていませんでした。
仲間の死が身近となり、自分もと言う年齢になったのであろう。
葬儀は、真言宗豊山派で、それならば、二股に分かれた牛久沼の先端にある、泊崎大師堂に行って冥福を祈ろうと、東京に帰る同期と食事を済ませて別れ、小雨の中、出かけました。
シャトーカミヤの近くで昼食
(S君は火葬場へ)
シャトーカミヤ
(食事後、駐車場に車を置いたので立ち寄る)
真言宗は、ご承知のように、弘法大師が開いた宗派です。
弘法大師に関する伝説?は日本中いたるところにあります。ここ、泊崎大師堂には、次のようないわれが伝わっているそうです。
「泊崎大師堂のいわれ」
泊崎大師堂は、弘法大師(空海)が大同年間(八〇六〜八一〇)の昔にこの地を訪れ千座護摩(一日9枚ずつ、120日をかけて護摩をたく修行)(こんなことを日本全国でやっていたら
全部加算すると何年になるのかな??などとは言ってはいけないでしょう)を修めた所に建てられたと伝えられ、昔から縁結びと長寿にご利益があるとされている。
長患いせずに人生の最後を迎えられると云うことで多くの人々の信仰を集めているそうです。
「弘法の七不思議」
ここには弘法大師にまつわる話が「弘法の七不思議」として語りつがれています。
1、駒の足跡(こまのあしあと)
駒に乗って、小川に架かる石橋を渡ったときに、駒のひづめの跡が石に残った。
2.逆松(さかまつ)
松の杖を挿したものが根づいて地をはうように見えることから逆松と伝えられている。
3.硯水(すずりみず)
字を書くのにこの湧水を使って墨をすったと伝えられ、この水で字を練習すると上達するといわれている。
4.木瓜(ぼけ)
通った道の木瓜は、それ以後実をつけなくなってしまったと伝えられている。
5.独鈷藤(どっこふじ)
ここにあった藤の節々が、独鈷に似ていることから独鈷藤と名付けられたと伝えられている。
6.五葉の杉(ごようのすぎ)
ここにあった杉の葉が五枚の葉を付けていたことから五葉の杉と名づけられたと伝えられている。
7.法越(のっこし)
大師がこの地で千座護摩の行を修めた後、他の地へ移動するとき馬に乗って川を渡った場所が法越と名づけられ、法越には藻が生えなかったと伝えられている。
茎崎町より(最初の3つ以外は、今はない)
ここは半島?の突端になっており、牛久、佐貫など180度以上の眺望が広がっている。天気がよければ、筑波山までも見えると言うことです。
泊崎大師堂
大師堂から牛久沼を望む
牛久沼から牛久方面を見る
Y君は、自分の病気を知ってから、入院せずに自宅で療養を行い、家族全員に看取られてなくなられたということです。人として、すばらしい最後でしょう。
谷田部ICから高速に乗り、彼のことを思いつつ帰路に着いたのもまた供養でしょう。
また一つ
友のアドレス
消えにけり
思い出のみを
胸に残して