鎌倉瑞泉寺の梅

 昨日、会社の大先輩の訃報が届き、会社の車に乗せてもらって、鎌倉の葬祭場に出向きました。

常磐道の三郷、首都高と行くと鎌倉まで3時間以上はかかると言う話で、11時の開始の30分以上前につきたい思いでかけたのです。

無くなられた大先輩は、95歳、入院数日で亡くなられ、まさに大往生で天寿を全うしたと言えるでしょう。

 7時に家を出発して、いつも混んでいる三郷に着くと驚いたことに、トラックなどが殆どいません。昨年の夏辺りは、マイクロバスや工事用の車で大混雑だったのですが、今は、いかに不景気の影響が大きいかを身にしみて感じました。

首都高も空いていて、鎌倉には9時半過ぎについてしまいました。葬儀では、色々な人達と久しぶりに出会い、話しをしましたが、皆、70歳台ですから故人に比べれば若者でしょう。

折角来たのだから、寺参りで個人の冥福を祈ろうと、駅でパンフレットをもらって見てみると、帰りの道筋に、瑞泉寺と言う梅と水仙が有名な寺があります。

葬祭場が鎌倉駅の近くだったので、まず、鶴岡八幡宮に久しぶりに参拝しました。

        

      鶴岡八幡宮山門                            気根?の見えるご神木(大銀杏)

        

     八幡宮の近くの旗上弁財天(鎌倉、江ノ島七福神の一つ)(重文)

日立への帰路の途中、狭い山道を登って、寺に着きました。 残念ながら、梅は少し早かったのですが、山の禅寺の早春を感じることが出来ました。

       

            古い石段                      瑞泉寺由来

       

                  梅と水仙と瑞泉寺(花にはまだ少し早かった)

       

                 背後の庭園跡(磨崖仏などもあったのか?)

                

              吉田松陰                         大宅壮一(男の顔は履歴である)

               

            まだ早い梅園の梅                      水戸黄門手植えの冬桜

 ここは鎌倉時代の禅寺の名刹。多くの文人達も訪れており、水戸黄門も来ています。

大宅壮一の「顔は男の履歴である」と言う碑文と大先輩の遺影を重ね合わせ、ご子息が話された父は死ぬまで会社人間であったと言う言葉をなるほどと感じた次第です。