旅(その二)

 旅の楽しみの第一は、計画を立てることである。

行く先々の名所旧跡、山、峠、岬、湖、川、温泉、町の様子などを調べてルートを考える。一人で行くとなるとどんなルートでも良いが、女房と一緒だとそうもいかない。
第一、   計画を立てる前に聞いてみても、どこに行きたいのか明確な答えはない。

立てた計画を見て初めて、ああでもない、こうでもないと言う所は、出来の悪い幹部に計画を提案する時のようなものである。こんな時は、大体の計画で話をし、意見を聞くが、たまには良いことも言うので、それも取り入れる。

 旅の楽しみの第二は、移動である。

昔の人は、旅と言えば、ほとんど歩いた。馬などもあるが、歩くのと同じである。例外は船であった。歩くとなると、一日、40−50kmくらいであり、その間、1−2箇所を見物する。今日、車で移動すると、150−250kmであるから、昔の人に比べ数倍の場所にいくことが出来る。

誰かが、「車を運転するのがそんなに好きなんですか」と言うから「運転しなければ目的地に着かないだろう」と言うと変な顔をされた。旅行とは、汽車やバス、飛行機で行くものと思っている人が多い。

登山の好きな人は、まさか、ヘリコプターでは行かないだろう。旅行も少なくとも、車を運転して行き、行った先では目的地まで歩くのが今日の本当の旅行であろう。

移動している過程で出来るだけその土地に触れ、場合によっては寄り道をする。もちろん、離れた目的地を短時間に移動するために、高速を使うこともあるが、それでも自分で運転する。目的を達成した帰り道は、フェリーに乗って帰るのである。

 旅の楽しみの第三は、感ずると言うことである。

行った先々のことを、すべての感覚で感ずるのが理想である。

すべての感覚とは、「六根」すなわち「眼、耳、鼻、舌、身、意」である。

 「眼」 桜の花、川の流れ、古城のたたずまい 「五月雨を、集めて早し最上川」

 「耳」 せせらぎの音、ひばりの声、虫の音   「閑さや、岩にしみいる蝉の声」

 「鼻」 花の香り、料理の匂、温泉の湯の香   「山中や、菊はたおらぬ湯の匂」

 「舌」 冷たい滝の水、その土地の料理、酒   「秋涼し、手毎にむけや瓜茄子」

 「身」 熱い温泉、心地よい疲れ、美人の肌  「涼しさを、我が宿にしてねまるなり」

 「意」 神と祭られた祖先、自らの人生の思い 「夏草や、つわものどもの、夢の後」

これらは、「おくの細道」の中の芭蕉の句である。

また、土地の人たちと話をして、その土地のことを直接感じたい。そして、願わくは古人のように、それらを詩、絵画、文章、音楽などとして残したい。

しかし、残念ながら、そのような才能はなく、せめて、写真を撮り、拙い文章を書いて後から思い出そうとするのみである。