旅行記

 64歳で免許を取り、全国をドライブしてきた。また、歩くことに興味を持ち、時に20km位を目標に歩いている。

江戸時代の旅行者の一日の歩行距離は40−50km位であり、その半日分以下であるが、車ではいけないような道を通り、疲れたら休み、時にはビールを勝って飲みながら歩き、疲れれば日帰り温泉に入るなど様々なことが出来る。

これらの記録を残そうと、旅行記にまとめて、ホームページに載せてきた。

 しかし、これが中々難しい。
昔の探検記は、今まで知られていない所に行くというものであるが、ネット上の旅行記は、大半は自分が知らなかったことを探検記風に書いているものが多い。

すでに知られている所の旅をして、そこに新しい息吹を与えたいと言うことになると、司馬遼太郎の「街道をゆく」などの如く、時代考証と自分の考えを組み合わせたものや芭蕉の「奥の細道」のように詩歌との組み合わせなどが必要になるだろう。

「奥の細道」は江戸を出てから大垣につくまでの道中が、文庫本のページにすればわずか30ページほどの中に凝縮されている。

「平泉」

 三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有り。

 秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。まず高館にのぼれば、北上川南部より流るる大河也。衣川は和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落ちいる。

泰衡等が旧跡は、衣が関を隔てて、南部口をさし堅め、夷をふせぐとみえたり。さても義臣すぐって此城にこもり、功名一時の叢となる。

「国敗れて山河あり、城春にして草青みたり」と笠打敷きて、時のうつるまで泪を落しはべりぬ。

             夏草や兵どもが夢の跡

 この一節を取ってみても、過去、現在の様子、そして、詩の表現とさすがに名作といわれるだけの事がある。とてもではないが、自分には及びもつかない。

しかし、現代には、写真と言う武器がある。これを使って文章の足りない所を補うことも出来るだろう。これでなんとかならないだろうか?

         

                高舘から見た衣川の風景

 司馬の「街道をゆく」も、写真があったらもっと素晴しいものになっていたろうと思う。そのように考える人も多いらしく、「街道をゆく」の各街道の写真版が売り出された。

それを何冊か買ってみたが、いまいち、ぴんと来なかった。 作者の本を書いた意図が本当に、写真集になっているのかどうかが不明だからであろう。

出来得れば、芭蕉の俳句のような写真がほしい。そこまでもいかないまでも、いい写真があると、拙文ももう少し引き立つのかもしれない。

しかし、一枚の写真で、全てを表現できるほどの写真の腕もない。

その結果、自分の旅行記を読んでみると、その地方の成り立ちを自己流に考察し、、そして現在を多くの写真を使って並べているに過ぎないと感じてしまうのである。