個人情報

 団地も30週年も過ぎて、二代目も出てきたり、入れ替わりもあって、名簿の見直しをすることになった。

小生が会長だった25周年では、やはり、名簿の見直しをして、その時には、あまり人の変化も無く、定年者が増えてきたので、勤め先欄は不要だろうと言う話が出てこれを止めにした。

今回は、最近はやりの個人情報保護と言う点から何かとうるさい。

いわく、「所帯主が女性だと、女性の一人暮らしと思われて、防犯上、問題だと言う人もいる」、いわく、「非常時の連絡先を入れると、おれおれ詐欺に利用される」などなどである。

 そもそも、我々、庶民には保護すべき個人情報などあるのであろうか?

「麻薬の密売をしている」「どこかに愛人を囲っている」など、週刊誌のネタになるような情報も無いであろう。
近所の人がお互いの実情を知って協力する体制を作っておけば、いざと言う時にお互いの役に立つと思う。

 ニューオルリーンズ洪水時のアメリカ人の振る舞いと、ジャワ島の地震時のインドネシア人の振る舞いを比較すると、文明とは何かということについて考えさせられる点が多い。

今の日本人は、だんだんと文明国といわれるアメリカに近づきつつあるのである。

我々が子供の頃の日本と今の日本とどちらが安全かといえば、昔のほうがはるかに安全であったと言えるだろう。そのような安全は、近所との深い繋がりの中から生まれていたのであるが、そのような付き合いがいやである、面倒だと言う考えが広まり、今のような状態になってしまったのあろう。

 子供の安全は、大人が守る。「大人が子供に声をかけて注意をしよう」と言いながら、学校では、「知らない人から声をかけられたら逃げろ」と教える。

知らないおじさんにならないためには、知っていなければならないが、ご近所の日常の付き合いも無く、誰の子供かもわからなければどうすればよいのだろうか。

 狼やライオンは獲物を襲う。弱い動物は、お互いの連絡を良くして集団で身を守る。これが自然界での種の保存の原則である。

 狼など皆殺しにしてしまえばよいと言う考えもあるが、狼がいなくなった自然界ではやさしそうな鹿の群れが、木の皮まで食ってしまって、結局、生態系を駄目にしているのである。

 しかし、団地の住民も更に年を取ってきた。万一の時の連絡先を明確にして、何かあったらそこに連絡しようと言うことになった。但し、その情報は、会長と副会長に限定しておくということで取りまとめようという事になった。