長野―群馬方面(その2)

                諏訪―安曇野―鬼無里―長野―四万-日立

諏訪でのわかれ

 二日目の後半位から、小生もO君も大分運転に疲れました。今日の予定は、遠い人もいるので山を下って諏訪に出てこの周辺を見て、昼過ぎの電車で帰ろうということになりました。
自分としては、1000名近い天狗党が越した冬の和田峠、その道を通って見たいとも思ったが、今回は中止です。

昼飯は?と言うと、皆、蕎麦はもう良い!ということで、場合によってはコンビニかスーパーで何か買って、諏訪湖畔でピクニック風にやろうと衆議一決。ホテルの前で記念撮影をして、9時に出発です。152号を真っ直ぐ下る。今日も快晴、途中で見た山並は素晴しいものでした。
     
                   蓼科高原を出て152号線の道

甲州街道(20号)を北上し、諏訪湖を過ぎて、諏訪大社下社春宮まで進みます。諏訪大社のうち、上社は152号と甲州街道の交わる辺りにあるのですが、こちらは時間的に省略です。

大社の横に万治の石仏と言うのがあり、モアイ風で面白いとO君が言うので先ず行って見ました。これは自分も初めて見ました。大きな石の上に彫りの深い顔をした頭がちょこんと乗っています。万治三年と言う彫り物がありますが、万治といえばすでに徳川幕府が成立した時代でもっと古いものかもしれません。

石仏の前には、二段ほどの畑地があって、ここに寺があったとも考えられます。この石仏の由来が書かれた立て札がありましたがどんなものでしょうか?

                                       
                     万治の石仏                      

 下社春宮は、神楽殿など下社秋宮に比べると神楽殿など、すこし作りは質素です。

  
         春宮神楽殿                  春宮幣拝殿(左側の御柱)

 参拝して、次は坂を下って下社秋宮に行きます。こちらは、神楽殿なども豪華なつくりです。皆、神楽殿を礼拝して、「さあ、これで終わりだ」というので、「皆さん、仁和寺の法師にならないでくれよ!!」と冷やかしました。奥の幣拝殿もまた春宮に比べ立派なものです。

 
           秋宮神楽殿                          秋宮幣拝殿

 さて、拝礼も済み、湖畔を下諏訪川に下り、片倉館の近くに駐車して諏訪湖を見ます。湖畔の道路から見える諏訪湖は、富栄養化が進んでいると見えて、菱などが大量に生えています。
                   
                         諏訪湖

結局、昼食は近くのホテルの食堂で洋食となりました。しかし、どこに行っても昼飯の名物は蕎麦というのは何とかならないものでしょうか。しばらく雑談し、再会を約し駅まで送ってここで同期の仲間と別れました。

いよいよ安曇野へ

 さて、一人となり、ホームページ」「コンフォート安曇野」でお世話になっている斉藤さんのオタクに向かいます。先ずは久しぶりに片倉館の温泉に入りました。ここは昔、製糸産業が盛んだった頃、片倉製糸の二代目が住民などのために立てた温泉です。
レトロな洋風建築(今、外壁を修理中)、胸まで浸かる深い浴槽、玉石を敷いた浴槽の床、高い天井、ギリシャ風の彫刻など、一度は行って見る価値があるでしょう。

    

                   片倉館(カタログ)

 さっぱりとした所で、諏訪湖の西岸を北上し、19号線で塩尻峠を行くのも面白くないので、岡谷から県道254号線、153号線に出ることにして、しばらく行くとNAVIに信濃変電所が出てきました。
ここは中部電力の500kV変電所で、東電の新信濃変電所のように自分が手がけた変圧器はありませんが、この横を通った方が近いので細い道を進んで立ち寄ってみました。

              
                    中部電力信濃変電所

 さらに153号をそれて県道294号線で郷原宿を通り、またも19号に近づくので、左折して今側橋というのを渡ってアルプスグリーン道路と言う広域農道を北上し、しばらく行くとNAVIの設定が悪かったか147号線に出たのでそのまま進み、穂高神社の横を通り、穂高駅前に到着です。

そして、斉藤さんの地図を見てうろうろし、指定された天蚕センターに丁度、17時に到着です。

この辺りは、古くから天蚕を買っていたようで、ここを中心に県の補助で天蚕の飼育をやって主の保存に努めているとのことです。

 斎藤さんに来て頂き、近くのオール電化の斉藤さん宅にいよいよ到着です。

 
                  斉藤さんご夫婦と斉藤さん宅にて

 お宅で一休みさせてもらい、ロフトの仕事部屋を見せてもらいました。PC関係も設備が充実。地元の人達のHP,年賀状、PR資料なども作成しており、この面でも忙しい生活を過ごされています。
夜は、二人で知人のペンションに泊ると言うことで一緒に行き、そこから、かんざしと言う京料理の店に行き、酒を酌み交わしつつ歓談しました。
終って、ペンションに帰り、ここも掛け流しの温泉。また飲んで、温泉に入り、12時近くまで歓談しました。
                         
                   斉藤さん知人のマンションにて                             

登山、スキー、自転車、PC、地元の活動など、誠に幅広く、これからの小生にも参考になることが沢山ありました。過去のしがらみがないこれだけの仲間をもたれていることは本当にうらやましいことです。

この日 95km

安曇野の探索と長野への道

 朝、6時に起き、二人でペンション周辺を散歩しました。この辺が熊の通り道だとか、茨城では考えられない自然があります。
ペンションと同じ経営の食堂で、ニュージーランドに7年行っていたと言うシェフの作った朝飯をテラスでさわやかな風を受けて食べました。二日間のホテルの代わり映えしない朝飯と大違いです。

食事後、斉藤さんの家に行き、ホームページの纏め方など話しをして、斉藤さんの案内で10時に出発し、池田町の国宝の仁科神明宮に向かいます。
神社の由来によれば、ここは昔、伊勢神宮の領地であったとか。昭和55年に枯死した御神木(当時天然記念物)は樹齢1000年の大杉でした。神社は伊勢神宮と同じような神明造りで、本殿と中門をつなぐ釣屋が特徴で寛永以来、部分修理がされたのみで昔の神明造りの形を良く残していると言うことで、いずれも国宝です。

                     
                   
       仁科神明宮本殿との間の釣屋

 ここの管理人(神主か?)が色々と教えてくれ、登ってきた道が塩の道の一部であるということで、そこを通りさらに山沿いの狭い道を進むことにしました。斉藤さんは数10kmはなれたこの辺までサイクリングしているとの事です。

 この辺にも古い農家などの他、新築の家も多く、安曇野周辺の人気が分かります。山沿いの塩の道は、古い道祖神などがあり、里側には黄色く色づく稲田が広がり、とても良い景色でした。すこし進んで、斉藤さんの友人が作っている無農薬稲田の出来具合を見て、長峰山に向かいます。

    
       
       珍しい道祖神                    無農薬水田にて  

 ここから、県道51号線を南下し、犀川橋を渡って、長峰山頂上への狭い山道を登ります。駐車場から頂上はすぐ傍です。頂上には変なモニュメントがあってすこし興ざめですが、ここから見た安曇野は素晴しい景色でした。もし天気が昨日のようによければもっと素晴しかったでしょう。

 
                      長峰山から見た安曇野

    
  三川合流点(犀川、高瀬川、穂高川)(この先、犀川となり、千曲川、信濃川となって日本海に)

 風景を満喫し、ここを降りるとすぐ近くに大王わさび農場があります。すぐ近くから10年もかかって流れ出すと言う豊富な伏流水を使ったわさび田が広がり、ロケにも使われた水車小屋などもあって連休中でもあり、大勢の人が来ていました。ここで土産を買い、昼食をして斉藤さん宅に戻りました。

   
     定番のポイント(わさび農場内)
             遮光ネットをかぶったわさび田

 斉藤さん宅で一休みして、さて、これからどこに行こうかと考えましたが、新潟に出て弥彦山に行くルートは、ちょっと遠いので、長野に泊る事にしました。

長野のビジネスホテルを探した所、ホテル臼井館というのがあり、名前が知人と同じなのでここに決め予約し、さて、どのルートが良いかと思い、地図を見て一番山の中らしい鬼無里経由で行くことにしました。糸魚川街道に平行する県道を通り、白馬から鬼無里街道(国道406号)を長野まで進むルートです。

 2時に、出発し県道306号、31号、33号と行き、鬼無里街道に入ります。すこし狭くカーブも多いですが、車は少なく快適です。
鬼無里とは、平安時代、この地方を紅葉という鬼女が支配し、これを信濃守平維茂北向観音に祈願してその助けで退治をした、そして鬼が居なくなったと言う事から名付られたとの事。進んでいくと、奥据花温泉があり、元国民宿舎があった所に鬼無里の湯という交流センターがあり、その横に鬼無里ふるさと資料館というのがありました。

 資料館によって見ると、この地方が昭和30年代まで、麻の産地(主として畳表を編む糸)であったとの事、江戸時代には交通の要衝でもあり、林業などで栄えた所であったとの事です。

それを表すものとして、今でも祭りに使われている屋台は素晴しいものでした。道が狭いので2輪車ですが、丈夫の屋台は、ケヤキの一木つくりです。竜の巻付く柱は、竜を一木から彫りだし、柱にしたもの、屋根の天井、欄間なども一木造りです。写真撮影禁止とありますが案内してくれた館員の人が、私は居ませんから!!というので写真を撮りましたが、反射して良い写真が取れなかったのは残念です。

鬼無里の湯もまた良い温泉でした。

 

      鬼無里の屋台(各神社、計4台ある)          鬼無里の湯

 ここから、真っ直ぐ進んで長野に着き、ホテルに5時半過ぎに着き、飯には早いので、ホテルの支配人に推奨する飯屋を聞いて、善光寺さんまで歩いてお参り(片道15分位)残念ながら三門を修理中。帰りにホテル推奨の諏訪湖で食えなかったうなぎなど食って帰りました。
              
             
                   夕暮れの善光寺        

この日 183km

 

湯田中―渋―野猿公苑―草津―四万―中央道から帰宅

 朝、5時過ぎに起きると雨模様で山は霧がかかっています。車のフロントガラスに撥水剤をコーティングして、6時過ぎに出発。一人の時の何時ものパターンです。

善光寺にちょっとよって、コンビニで朝飯を買って、小布施を抜けて、湯田中温泉に出ました。湯田中の駅には足湯があり子供たちが遊んでいました。ここから、渋温泉に抜けるのに近道をしようとしたのが大間違い。進んでいくと、下り坂、しかも、車一台がやっと通れるかという道幅で、左は石垣、右は崖。ままよと進んで最後にすこし右カーブとなった所でガガーッツと前輪が石垣をすり、進まなくなりました。
   

                湯田中温泉駅の足湯                 渋温泉峡

 しかし、そこが4駆に良いところで、バックに入れて戻り通過はしたのですが、バンパーを傷つけました。九州では後部、今回は前部(実はそれ以外にもあるのですが)をやって、一年半の新車も早、普通の車の何倍も痛めつけられています。

  渋温泉を過ぎて山の中に進むと、野猿公苑があります。ここには露天風呂に入る猿がいます。駐車場から10分ほど歩くと、後楽園という一軒家の旅館があり、川辺には蒸気を自噴している所があり、そこから坂を上ると野猿公苑ですが、着いたのは9時頃。猿はまだ出てきていませんので入場券は発券しませんと言います。そこで、旅館まで戻って、こちらが露天風呂に入りました。

9時半過ぎにいくと、猿も出てきたようで、中に行ってみると、沢山の猿です。小猿も沢山います。見れば餌付けをしているので幾らでも増えるのでしょう。足元まで平気でやってきます。

露天風呂は、人工的に整備され、今は、暑いので入る気がしないのでしょう。たった1匹が代表で入っています。こいつは、風呂の中にまかれた餌をもぐって採っているのです。

            
                  地獄谷の自噴井                     

 
           野猿公苑の猿                  猿の露天風呂(猿はここに入る)

 さて、ここから292号線に戻り、志賀高原から渋峠を越えて草津温泉に抜ける訳ですが、志賀高原辺りから、霧が出て、渋峠では大雨隣になり、カーブも良く見えません。NAVIを50mスケールとしてカーブの状況を見ながら運転するやり方で進みますが、前の車が危なくて大変でした。

草津に来てもまだ雨。これでは、前回来た時見落とした日本ロマンチック街道の所々も見ることが出来ないので、まだ行ったことのない四万温泉に行きました。
        
           若山牧水の碑                     四万温泉 

ここにある沢の湯という日帰り温泉に入り、昼食をとり、ロマンチック街道から渋川ICに抜け、中央道、常磐道と進み、17時に自宅に到着しました。

この日 415km) 全行程約1200km

あまりに画像が多くなりすぎました。ホームページの最大契約容量は100MBなどですぐに満杯
になってしまうでしょう。
それを避けるために、写真のファイルをCANONのアルバム(CANON IMAGE GATWAY)に
貼り付け、そのアドレスをクリックするを、拡大してスライドショーで見られるようにします。
2台のカメラ(女房と)で120MB分あるので当面は大丈夫でしょう。