日野さんのインドTELK社訪問記

 インド最南端のケララ州にある変圧器メーカーのTELK社は、ケララ州政府と日立の合弁会社でした。
ここには、技術指導の為、設計者が何代にもわたって駐在し、技術教育を行ってきました。

 中でも日野さんは、学生時代に培った柔道の技も伝達し、地元に柔道協会を設立、インドでの柔道の魁の役目を果たしたのです。

それから、しばらくしてインドネシアの合弁会社に行かれた時にも、インドネシアだけでなく、インドにも柔道着を送るなどの活動をされたのでした。

 すでに、日立とTELK社との関係は終了していますが、このたび、TELK社を訪問し、昔の仲間たちとも会って来たのです。その訪問記を書いて頂いたので、ここに掲載します。なお、個人名は、略号としましたので、関係者で詳細を知りたい人は、日野さんに聞いてください。

 

「日野さんのTELK訪問記」

TELK社について(今の若い人は知らないと思うので概要を掲載)

  TELK(Transformer and Electricals Kerara Limited)

   工場はケララ州Cochinの近くにあり、日立とは、次のような関係でした。

1.  1964年、ケララ州と合弁、技術提携調印(日立資本26%)

       132kV 50MVAまでの技術供与

2.  その後、ブッシング、碍子型PCT、OLTCまで範囲を拡大

3.  1974年、400kV機器の技術提携 1977年インド初の400kV 変圧器を出荷

4.  1977年、碍子型GCB,IPBなどの技術提携が始まり、TELKは変圧器と遮断器の2部門となる。

5.  1989年、経営不振で借入金が資本を超過し日立は資本金を放棄し、公式には技術提携は消滅。

この間、多くの人がTELKと交流をもたれたが1989年以降は先輩のO氏がボランティア的に設計教育をするなどの活動も有った。

(注)

ケララ州は共産党政権で組合が強く、不況になっても人員を減らさないなどで、経営が悪化していったのです。

その後、TELK社は、インドの火力会社(NTPC)とジョイントベンチャー契約を結び、現在の社長はNTPC出身。

 

私とTELKの係わり合い

1.  1977−79年、技術顧問として駐在

2.  1999年、インドネシア駐在中に購入した碍子型GCBの品質管理で工場を訪問

3.  2008年(今回)私的に訪問

 

今回、訪問しようと思った経緯は、1999年訪問時に次のように感じたことからです。

1.  日立との関係が無くなり、工場から日立(国分)色が無くなっていること

2.  駐在中に指導した柔道が、ケララ州全体に広がり、TELK社内でも立派な柔道場ができ

  数名の有段者がいたこと。

3.  TELK創業時の人達が退職でいなくなり、世代交代によりTELKとの連絡、退職者と

の連絡が取れないこと

これらの事が分かり、少しでもこれらを改善し、また、発展させる必要性を感じたからです。

            

                       1999年訪問時

この時、昔、一緒に仕事をしていた時のP設計課長は工場長、J資材課長が副工場長になっており、後、4−6年で定年と言うことであった。

その後、国分O氏の訃報は、J氏に連絡が取れ、TELK内には周知できた。当時、P氏はすでに退職し、ABB社に採用され、オランダに800kV変圧器の試験に行っていたが、TELKからの通報でそれを知って、オランダから、日本のO氏宅までお悔やみの電話をしたとのこと。

 

「TELKと柔道」――ケララ柔道協会の設立

 柔道を習いたいとの従業員の要望を受け、アンガマリイに私費で道場を作り、マドラスで柔道場を開いているMr.Rajagopalという人を招いてデモをやった。

               

                      デモの時の写真

 最後列中央が世話役のS製造部長、その左がMr.R氏で 日本から自分の柔道着も届いていなかった。

              

                   Mr.R氏とS製造部長と

その後、1978年、この3人でKERALA柔道協会を設立、立ち上げを行った。

そして、自分の柔道着が届いたので、早速指導開始。生徒は全てTELK従業員で、彼等の柔道着は全て自分で作成、厚い布がないのでペナペナの柔道着。

             

                     柔道部のメンバー

     最前列左端のMr.Dが最も熱心で私の一番弟子、後に二段まで昇格)

            

                        指導

 その後、1979年、TELKを去るに当たり、S製造部長および、部員全員から記念の盾をもらった。これには、1978年のケララ柔道協会設立の謝意が記されている。

           

                  TELKを去るに当たって

「1999年の訪問」

1999年に行くと、TELKの構内に立派な柔道場が出来ていた。

              

              TELK社の柔道場(背面の建物2階部分)

 この時、ケララ柔道協会の会長がTELKに来て、20年前の協会設立に対するお礼をしてくれ、記念品を贈呈され、現地の新聞にも記載された。

           

              1999年訪問時の柔道協会からのお礼

 また、部員全員と近所の子供達などが集まってくれた。訪問に先立ち、50着の柔道着を寄付していたので、全員が綺麗な柔道着であった。

          

                  1999年訪問時の記念写真

             

                     柔道部員と

右手が一番弟子のMr.Dですでに引退、他は、その弟子で私から見れば孫弟子になる。

 

「今回の訪問」

 今回の訪問では、柔道着と黒帯を準備し、コチン市のあちこちで指導をしている孫弟子達を訪問し、その指導振りを見学し一人一人にそれを渡し喜ばれた。

工場内では、日立のマークが残っているのは、会議室にある創業当時の変圧器モデルを入れた箱についている社旗と技術提携の終わりを示す彫金のみである。

今回TELK内に立派な柔道場もあることから、日立国分のマークが入った柔道着をその横に掛けさせてくれるよう社長に依頼し、了承された。

ここには、NTPCとの合弁の額もあった。

          

        変圧器モデルと柔道着                     NTPCとの合弁

 また、訪問の前に一番弟子のMr.Dに依頼して、TELKOBの消息を集めた。州外に出た人は無理だったが、近くにいる人は住所も確認できた。

              

                OBへの挨拶(右はTELK社長)

私の訪問時、数人のOBが集まってくれ、Mr.B(昔のTELK幹部)の経営するホテルで昼食会をしてくれた。(TELK社長も参加)

日本では、国分OBTELKに関係した人が毎年集まっていることを話し、今回の訪問の件も次回の会合で話しをすることなどを説明し、インド側でも連絡を密にするように依頼した。

社長にも、OBを大切にしてもらいたいし、時々集まって食事でもしては、と提案しました。

住所録をまとめ、帰国後、各人に送っておきました。

            

                      集まったOB

なお、この席に出られなかったOBの何人かを訪ね、話しを伺いました。

           

                 病気療養中のM氏宅を訪問

             

                新聞社の技術責任者となったP氏と

 

(常陸国住人注記)

 TELKという会社は、ブラジルの会社と同じ頃立ち上げた海外の関係会社です。当時の先輩達の意欲が感じられます。大勢の実習生を招き教育をして、会社を立ち上げました。この時、技術指導者として現地に駐在して苦労された人達を中心に、国分TELK会を作り、毎年、集まっています。