群馬ー長野方面(その1)

             大学同期と蓼科、そして安曇野へ(07/09/19−23)

 大学の同期は7人。入学した時からの友人達で専門はそれぞれに分かれても、7人会と言ってずっと、付き合ってきた連中です。
大学時代は、1000円と学割を持って上野駅に集合。常磐ー磐越―信越と周遊する貧乏旅行で新潟駅で野宿をしたり、洗面器ですき焼きをして忘年会をしたり、机のある3畳の部屋に6人寝たり、70時間連続マージャンをしたりと様々なことをしてきた仲間です。

ここ数年、一緒に旅行をしていますが、奥さんの具合が悪く、2泊3日が限界とか、身体の都合で和室は駄目とか、運転は学生時代に自動車部で免許を取ったが、東京暮らしで最近はやっていないので自信ないとかさまざまな制約があります。
 小生も含め5人は囲碁部(麻雀課?!)で、小生を除いては皆、精進し7段から4段程度の腕前で、小生を除く4人は東京で月に一度集まって腕を競っています。NHKの通信講座などで昔を思い出し、ここに参加し始め、まあ2-3段位だろうと言われています。

 今年は、鎌倉に住むM電機に勤めていたO君の伝で蓼科のクラブで安く泊めて貰えることになり、ここに2泊して周辺を散策、旧交を温めることになりました。運転手は、そのO君と小生です。

折角、数100kmも行くのですから、小生は、皆と別れてから「コンフォートあづみ野」の斉藤さんにお願いして安曇野周辺を見て廻り、オール電化の家も見せて頂くことにしました。

   蓼科へ      

 まず、小渕沢の駅に12時前に行き、電車で来る連中をピックアップする必要があります。
中央道に出るのに、三郷から三鷹まで見通しが立たないので4時半過ぎに起き、5時に家を出発。7時前に三鷹を通過してしまい、NAVIの到着予定時刻は、8:50。
これは、いかにも早いので、韮崎ICで下りて、20号(甲州街道)を行くことにしました。

 韮崎は、常陸から流された源氏(常陸の佐竹家の兄弟)が、甲斐の武田家を起こした土地です。
20号線沿いを釜無川に沿って上っていくと、武川白州などの武田家ゆかりの地、宿場町の蔦木などがあります。高速道路側は、七里岩といわれる八ヶ岳泥流が釜無川塩川の間に形成した台地の崖が見えます。

この台地に、古戦場や城、武将の菩提寺などもあったことは、NHKの風林火山で放送されていましたね。
そして、至る所、風林火山の旗が立っていましたが信州側では、わざわざ、信州風林火山と書いてあります。


                       

              20号線から七里岩側を見る。一面の稲穂と柱状列石風の崖    

 道の駅「はくしゅう」に着きましたが、まだ9時前で一休みして、旧道などをゆっくり進み、サントリー白州工場に行って見ました。ここの展示館でウイスキーの歴史など見ました。
展示してあった「らんびき」を見て、九州の焼酎展示館を思い出しました。直販店でウイスキーなど買い、さらに20号を進みます。

                        
                     サントリー白州工場展示館  

              
     昔のウイスキー蒸留器(左)右は「らんびき」(元はポルトガル語)と言う焼酎の蒸留器    

 ここを出たのが10:30頃でまだ早い。幸い、次の道の駅「信州蔦木宿」蔦の湯という日帰り温泉があります。これに入りましたが中々立派な設備でした。
これで長い運転の疲れを癒し、小渕沢の駅に11時半過ぎにつき、東京組に合流、大阪から来る友を待ちます。

12:06着で着いた友を乗せて、富士見町にある「おっこと亭」と言う蕎麦屋で名物と言う蕎麦を食しました。

富士見高原を北上し、中央農業実践大で休憩。この頃から天気は晴れてきましたが、ここから見た八ヶ岳の眺望が素晴しいというのですが、山はまだ雲に隠れていました。
ここでアイスクリームなど食べたりし、さらに進んで国道299号に出て、乙女滝で記念撮影。近くの横谷観音(実は昭和になってから建立されたもの)の展望台から横谷渓谷を見ました。

さらに進んで、白駒池に行きました。湖畔までの道は、苔むした岩の上に木の根が絡んだハリーポッターやもののけ姫の映画に出てくる森のような所。障害のあるA君が行けなかったのは残念です。

 
      
乙女滝での記念撮影                     白駒池
   

 0君の計画では、渋川温泉で露天風呂に入ろうと言う事だったのですが、例によって、温泉などどうでも良い、宿に行って酒を飲みたいと言い出したのがS君です。
さもありなんと予め蔦の湯に入ってきたので反対もせず、戻って、蓼科高原別荘地の中を抜けて、宿の天望館に着くと、ほぼ、5時。
6時から食事と言うので早速、温泉に入りました。
夕食、そしてその後の酒を酌み交わしての懇談で疲れも吹っ飛んだ感じです。

この日 403km

  山並、そして古きものを訪ねる     

 今朝は快晴。6時前に起きて入湯、散歩をして8時に食事、9時に出発です。いつも思うのですが、この時間の出発はもったいない。一人なら、7時には出発してしまうものをといつも思わされます。

          
                朝の散歩に見る蓼科山

192号線を北上し、女の神展望台すずらん峠を越えて、夕陽が丘展望台と二つの展望台で八ヶ岳連峰の眺望を満喫しました。 

      
          女の神展望台から見る八ヶ岳連峰(遠くにアルプスまで見える)   

 女神湖を通り、県道40号を北上。日本では珍しい1回線平行配置の送電線があり、その下に牧場があり、ここの寄りたいと思ったが、無情にも先導車はその先の長門牧場へ行ってしまう。
長門牧場のアイスクリームが有名なんだそうである。帰って、調べると先の牧場は、蓼科牧場でここのアイスクリーム売り場から100mほどの所に珍しい遺跡があるとか。残念なことをした。

       
               長門牧場牧舎(遠くに蓼科牧場と送電線が見える)

 さらに40号線を進むと、光源寺というお寺がある。ここは戦国時代、この地方を支配した芦田氏の建立によるという。古い山門があり、そこを登ると立科方面が良く見える。

  
   光源寺(お婆さんが二人のんびりと)  山門(不開門と言われ皇室などの来寺などのみ開門)


 立科町の中の県道を北上し、千曲川を渡って、北国街道の宿場であった海野宿に行く。

ここは、武田に滅ぼされた海野氏の跡で、江戸時代は上田氏に属し北国街道の宿場町、明治以降は養蚕で栄えた所です。宿場町の面影が残っていますが、街道の町屋は、明治以降、

養蚕のため2階屋に改造され、隣との間に「うだつ」を設けた構造になっています。街道には用水が流れ道幅も広く、資料館の位置を聞いたおばさんが、何と言っても加賀の殿様が通った所だから道幅も広いとか「うだつが上がらない」とはこれから出た言葉だとか説明してくれました。

 
    海野宿から見た千曲川             宿場はずれの白鳥神社(海野、上田の氏神)

 
     海野宿(うだつの上がった家が見える)         昭和初期頃の海野宿                                

 さて、昼になったので上田に行き、宿場の面影の残る町で「おお西」と言う店で、またも蕎麦を食うことになりました。この町並みも短い良い所です。

                   
       
              昔の面影の残る上田の町(宿)

 あまり歩けない仲間もいるので上田城は省略し、コスモス街道別所温泉へと進みました。  
ここでは、先ずは、安楽寺の八角三重塔へ向かいます。竹の杖を貸してくれるので、ゆっくり登れば、彼も大丈夫です。

              
                    安楽寺八角三重塔

ここから、北向観音へ。駐車場がないので一旦、送って元の駐車場に車を置いてきました。ここから見た塩田平も中々の景観です。

     
           北向観音                     北向観音投入れ堂

           
                   愛染かつらと鐘楼                            

 自分としては、名古屋時代、日立に帰る時、ここに泊り、すこし先の中禅寺前山寺無言館などにも行ったこともありますが、温泉めぐりで入れなかった湯宿も幾つかあるのですが温泉はやめて先に進むことになりました。(蕎麦屋が長すぎる!!) 

O君の選択で前山寺へ向かいます。ここの鎌倉末期(室町?)の三重塔が有名です。塔の前では、つつじが狂い咲きで満開でした。

       
          前山寺三重塔           塩田平(鎌倉時代、馬の産地だったとか) 

 ここからは、平山寺トンネルを抜けて、152号線を進み、白樺湖を通って、すずらん峠を経て蓼科に向かいます。帰りの女の神展望台からの眺望も、雲ひとつなくすばらしいものでした。

帰って、温泉に入り、飯、酒、歓談と昨日と同じパターンです。

(この日 135km)

明日は最終日ですが、長くなるのでここで第一回を区切ります。

 

大学を出て、45年以上、七人がそれぞれに様々な道を歩み、様々な事情を抱えています。
もし、数年の付き合いであったとしたら、文句が多く我慢が出来なくなった爺の集まりで、すぐに纏まらなくなるでしょう。

お互いを知っているから我慢も出来、一体となっているということでしょうか?しかし、七色の虹も何時まで輝く?ことができるのでしょうか?