技術者のポケット      

 私が会社に入った時代には、技術者と言われる人たちは、胸のポケットにいつでもヘンミの小型計算尺を入れていて、何かあるとそれを取出して、計算をして確認したものです。

そのような習慣は、1970年代まで続いたのではないかと思います。

そのころまで、計算尺競技会というものが、設計の中で行われ、毎朝、何分間か問題を出されて、計算の練習をしたものでした。

 しかし、その後の電卓の進歩は目覚しく、15年位、前になると、皆、胸のポケットに、シャープの関数付電卓を入れて歩くようになりました。

そして、その後、電子手帳やPDAといったものも出てきましたが、今、これが携帯電話に置き換えられようとしています。おそらく、携帯電話が計算も含めたあらゆる情報を統合するようになるでしょう。

いみじくも、今では、誰も携帯電話などとは言いません。皆、「携帯」と言うようになったということは、このことを意味するのです。

ユビキタスなどと言う訳の分からない言葉を使うよりも、日本発の世界標準語として、「携帯」といった方がよいのではないかと思われます。

30年前、「計算尺」15年前、「電卓」今、「携帯」と言う進歩が、我々に、何をもたらしたのでしょうか。

「計算尺」を道具として扱う「頭脳」が、技術者の証であり、技術者と言う特権階級のしるしであると思っていた世代は、死に絶えました。代わりに関数「電卓」を使い、「パソコン」に発展していった世代も、舞台から去ろうとしています。

そして、「携帯」の世代が舞台に登場したのですが、次の「出し物」は何かが、いまだ不明です。

それは、これからの15年で、「携帯」がどのようになっていくか、「携帯」が何に発展していくか、それをどのようにつかうのかが決めることでしょう。

「計算尺」+「頭脳」が日本を復興させ、「電卓」+「パソコン」が日本を繁栄させ、さて、「携帯」+「??」が日本をどう導いて行くのでしょうか。

「携帯」だけで終わってしまうことはないでしょう。

「携帯」を使い、「??」を使える人が、昔流の技術者、その後のシステムエンジニアなどから、さらに脱皮していけると言うことだと思います。

 そのような時代の到来を、ぜひ、この目で見てみたいものです。