パリの「No Problem」後日談

 

 パスポートを間違って他の人に渡され、えらい目にあった事業部のK君には、その後もずっと海外の仕事でお世話になった。(設計のK君も別にいる)

 そのうち、小生も、事業部に席を置くようになり、K君も、関連会社に席を移したが、相変わらず海外の仕事もやってもらっており、昔の話をするたびに、「No Problem」の話となり、もう一度、一緒に、パリに行きたいと言っていた。

 チャンスと言うものは、狙っていると、やってくるもので、サウジの電力から、新しい注文が出ることになり、ここの総裁と顔のつながっているK君と小生が挨拶に行くことになった。

                

                    仕事はきちんと友好的かつ建設的に

 ここの商売のエージェントがスイスのジュネーブに店があり、ここへも寄るという事になった。

これは、勿怪の幸いである。フライトを上手くつないで、パリ経由で時間をとることが出来た。

 スイスでは、市電に乗ってレマン湖のほとりまで行き、観光気分を味わい、思い出に、CDを買ってきた。これは、6カ国語の音声と画像で、当時としては、珍しかった。その後、ドイツや英国、米国などに行ったが、CDを売っている所は、なかった。唯一、進んでいたのは中国で、

ここでは、西安、三峡など動画も入っているCDを売っており、この面では、中国が一番進んでいると思う。(いずれも、まじめなCDの話である)

 さて、パリに着いた。この頃ともなると、リスク対策委員会などがあって、海外旅行安全マニアルなども出来て、場末の木賃宿などに泊るのはもってのほかである。

 きちんとした宿に泊り、見るところも、昔と違い、ノートルダムや美術館である。

残念ながら、ルーブルが修理中で、オルセーに行った。ここの絵は、印象派が中心で、分かりやすい。また、展示も極めてアットホームで、殆ど、手で触れるくらいのところに展示してある。

 本来、撮影禁止のはずであるが、有名な絵の前で写真など撮っている人もいるが、別に制止するわけでもない。我々も写真を何枚かとってきた。

              

           オルセーにて(これでは、マグロの写真もやむをえないか?!)

 オルセーを見た後、セーヌ河沿いの小さなレストランで飯を食うこととした。牡蠣の季節でもなく、何を頼もうかと思案し、メニューを見ると、英語が併記されている。

そういえば、タクシーの運転手は、英語を話し、シャンゼリゼは日本人であふれている。

 町並みの変化は少ないが、パリも変わってしまった。絵でみたオペラ座の周辺や、モンマルトルも変わってしまったのであろうか?

 残念ながら、時間もなく、そこまで行くことも出来ず帰路に着いたのであった。

テルアビブ事件から、約20年以上が経過したが、この間の世界の変化の大きさを感じさせられた。昔は、日本には、口先だけの「No Problem」がなかったが、今はどうであろうか?