定年後の生活
昔の仲間で、S45頃入社の人達が、定年となり、S40年頃入社の人達も顧問などが終わり、会社を去る年齢になっています。
会社に同期で入社した仲間が、定年後の生活のコンサルタント的な仕事をしていたり、大学の同期が、独立して会社を作りそこでやってきた経験から、自分の第二の人生についての本を出版したりしています。
貴方は、定年後をどう過ごしていますかと聞かれることがあり、これについて再び考えて見ました。
1.
最初に
狭義の定年(本来の意味)は会社員や公務員が一定の年齢で辞めるという仕組み
広義の定年は今までの仕事から離れた生活に入ることを自ら決める
広義の定年の場合は、自分で将来のことを考えた上で決断しているので、その人固有の考えによるもので、狭義の定年間近の人には参考にならないかも知れない。
しかし、狭義の定年の中で、定年何年か前から、定年後を考えることの参考になる部分は有るかもしれない。
2.
定年を迎える人のその後の人生を決めるもの
定年後どうなると言うことは、大きく二つの条件で決まると思う。
第一は「金と仕事」、第二は「自分と家族」、この二つが変化していくということで、時として
それが、自分の自由にならないということであろう。
(1)「金と仕事」
定年に至るまで、なってからには大きく4つの節目があると思う。
それは、55歳、60歳、65歳、70歳である。
高級官僚や管理職、優れた技能を持った人などを除くと、55歳で定年後のことを考え始めることが、将来の安定性への最低の基本条件であるでしょう。
「55歳で考えること」
定年後、十分な蓄えがあるか?ーーーーーーーーーーーーーーーーYes、No
今の仕事が継続できるか?ーー65歳か70歳かーーーーーーーーYes、No
転職が出来る(十分な技能を持っている)か?―――――――――Yes、No
備蓄不十分、仕事の継続、転職???
最後のカテゴリーの人は、定年後は中々見えてこないでしょう。
「60歳で考えること」
「55歳で考えること」とほぼ同じだろう。ただし、
65歳から年金と備蓄で生活するか?ーーーーーーーーーーーーーYes,No
更に、今の仕事を継続できるか?転職できるか?―――――――Yes、No
と言う選択肢が大きな比重となる。更に仕事を続ける人は、定年後はまだ見えてこない。
「65歳で考えること」
完全に仕事をやめて、別のことをするかーーーーーーーーーーYes,No
「70歳で考えること」
これからどうする???
これらは、「金と仕事」という点からの見方で有るが、これを決める条件は「自分と家族」の状態が大きく影響する。
(2)「自分と家族」
これには、様々な組み合わせがある。基本は、「自分」「妻」「親、子」」である。ここで「子」とは、色々な条件で自分が面倒を見なければならない場合の「子」である。
ここには、(「自分」「妻」「親、子」)(「自分」「妻」)(「自分」「親、子」)(「自分」)という組み合せがある。
そして、それが定年前から始まっているか、定年後に段階的に来るものなのか、様々である。
更に、これは「健康」に生存していることが前提の表現だが、このうち誰かが「病気」となり、面倒を見なければならないことが定年後には必ず起こる。
如何に立派な定年後の計画を立てていても、こればかりは予測が難しい。
3.これからどうなる?
定年後、(「自分」「妻」)或いは(「自分」)で、「健康」と言う組み合せになれる人は、「狭義の定年」者のうち70歳位になると30%位ではないかと思われる。
それは、そのことは同期会などの出席者に現れている。
「高校同期会の出席者」(70歳) 全体の20%弱
当初の人員: 100%(400人)
すでに死亡: 10%位
自分が病気、不都合 30%位 (病気以外の理由も含む)
家族が不具合など 15%位
経済的理由など 10%位
もともと出ない 15%位
一応、一流高校なので、経済的理由の人は10%以下と思われるが、これも含めて考えると出席者20%は妥当な数値である。
一方、定年後の「自分の余寿命」と言うことを考えると、65歳まで生きると85歳位と言われる。先日の社友会で、昨年亡くなられた人の年齢を調べてみた。社友会は65歳入会であるが、最も若い人で、66歳、最年長で99歳で亡くなられ、平均値は84.5歳位であった。
さて、定年後の生活とは、どのような定義でどのように考えればよいかと言うと、きわめて難しい。
このような条件を考えると、自分などは、70歳まで(「自分」と「妻」)、「健康」、経済的にそこそこと言うことは、幸福ではあるが、70%位の人の参考にはならないであろう。
定年後の未来とは、若者の未来と違って、自分で決められない要素が大きい。
今まで幸福であったとしても、「貴方の命は後一年です」と医者が宣告しなくても「長くて15年です」と言われているのと同じであり、幸福と思える期間はもっと短いでしょう。
4.
自分の人生
私の定年は、あまり他の人の参考にはならないと思われる。
65歳まで会社の仕事をしてきた。その後、法律上、資格が必要なため、会社の取締役になっていたが、殆ど名目的なもので、会社のイントラへ毎週、教訓的?文章を書く、若い人の技術教育講座をやる、親会社への折衝などで顔を効かすなどが役目。
給料は、自分で名義貸しと言われない最低限に決めて、その代わり出勤は任意とした。
この段階で、免許を取ったので全国をドライブするとかもやり、半分定年後と言う生活をした。
そして、満70歳で会社関係は完全にやめると宣言していた。
その後のステップを次に様に考えた。それは、能力の衰えも含めて考える事でもある。
体力と能力は確実に衰える。幸い、友人にも恵まれ、新しい友もこの十年で増えた。色々なことをやってきたので、選択と集中が効く。結局、このことが大切なのだろうと思うようになった。
第一ステップ 21世紀の最後のゾロ目 12−12−12 74歳
第二ステップ 喜寿 77歳
第三ステップ 70歳から10万時間 81歳
第四ステップ 平均余寿命 85歳
計画が立てられそうなのは第二ステップまで、第三ステップ以降からは人に迷惑をかけない事とする。
若い頃は、西行法師のような世捨人的な最後もいいなと思ったが、これが出来るのは、それなりの年齢構成で若い人が身近にいると言うのが条件でしょう。
今の世の中、周りも皆、同じ年代となってしまう。
したがって、今の理想は、第三ステップ前後のある日、ピンピンころりと逝くことでしょう。
「願わくは、花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃」 (西行)