神話

 差別用語などと言う言葉がなかった昭和30年代の頃の話であるので、ご容赦願いたい。

昔、神々が、高天原からしこめ(醜女)を二艘の船に乗せて追放した」と言うところから話は始まる。

一艘は、尾張の国へ、もう一艘は、常陸の国へ流れ着いたそうである。

そして、時は流れて、天下分け目の関が原の戦い、武運つたなく、西軍側につき敗れ佐竹氏は、常陸から秋田に移封されてしまった。

 その時に、佐竹氏は、地元の美女を全て、秋田に連れて行ってしまったのである。

したがって、「名古屋はーーー」そして「日立は、もっとーーー」と言う話である。

これは、新人教育などで、総務部の課長などが尤もらしく言った話である

 しかし、この話は、誰が作ったのか、中々、よくできているなと最近になって思うようになった。それは、72年に一度と言う金砂大祭礼というの神事があり、今まで、知らなかった、祭の由来を知ったからである。

 このお祭りは、あわびの船に乗って常陸の国の水木の浜(私が住んでいるところ)に現れた東金砂神社(水府村)と西金砂神社(金砂郷町)の神々を72年に一度、500人の大行列がお神輿と共に、数十キロもある水木の浜まで往復し、ご神体を清める潮水行事や田楽舞の奉納などを行うものです。

 ともかく、仁寿元年(851年)に始まり、平成15年が17回目と言うのである。

水木に住んでいながら、不肖にして、田楽鼻という岬の地名や、大甕駅で売っている大田楽と言うお菓子の由来は、これから来ているのであるということも今回、初めて知った次第である。

 今でも、水木浜の人々は、お盆の送り行事を、海岸にほおづきを下げた注連縄をはり、送り火をたき、仏壇に供えた花などを持ってきて、先祖の霊を送っているのであるが、これなども、神仏混交とは言え、遠い昔に海から来た祖先と関係しているのかも知れない。

古代、人々のもっとも安全な道は、海路であったのである。確かに、熊野、伊勢なども、海から神が来ている。

 こうして考えると、「高天原からーー」と言う話も、誰かが、このような由来を知っていて作り出した話であろうと思われる。

 尾張周辺も、戦国の世が治まるにつれて、加賀の前田家のように全国の大名として、多くの武将が全国に移っていった。その時に、そして、「今はーーー」と言う話も付け足すことができよう。