「戸」

 「戸」とはなんだろうか?

「人の口には立てられない」などとも言う。家の入口にあって開閉するものであるが内と外の境目を示す仕切りでもあるのだろう。

家の内外という概念は、最近まで、日本と西洋、中国などとは大きく違っていた。

 日本では、家は玄関から入る。そこは「引き戸」であった。そして、玄関以外で、廊下などからも入ることが出来た。しかし、他人の家に入る時は、玄関から入る。

「引き戸」であるから敷居がある。

入り難いのを「敷居が高い」といった。敷居から内側が家の中である。

そして、家を塀で囲むといった構造は、武家屋敷とかであり、外部からの侵入を防ぐとともに、権威の象徴であった。田舎では、一般の家はせいぜい、生垣で正面を囲い、裏は竹林といった感じであった。家に入るには、生垣の「柴の戸」をあけて入るなどというのが風流人の住む家という感覚である。

小生が生まれた東京などでも、「引き戸」の玄関、生垣で囲まれた小さな庭、そこからすぐ隣が見えるというのが典型的な家であった。

 西洋や、中国では、家は塀で囲むのが一般的である。塀で囲むほどの身分や金が無くとも、家そのものがレンガなどで造られ、入り口は「扉」で蝶番で開く。

「引き戸」というのは、1mあけるには2mの巾が必要である。しかし、「扉」の場合は、1mでよい。防犯上も堅固な構造に出来る。

 日本でも大きな屋敷や、城などでは、門構えが立派で、ここは「扉」である。

しかし、人が入る部分は横に「木戸」を設け、「引き戸」である場合が多い。

「門扉」は、家の入り口ではなく、屋敷内へ入る所だから、馬も、車も通るため、敷居があったのでは都合が悪い。従って、字のごとく、「戸」に非ずと書く。

 近年になり、人の出入りの多いホテルなどでは「回転ドア」が使われるようになった。

「引き戸」「扉」の組み合わせで、空間が有効に使える。出入りする人がぶつかることもない。これを電動にして便利かつ危険なものにしたのは誰だろうか?

空間をもっとも有効に使えるのが、「巻き上げ扉」、すなわち「シャッター」である。

「扉」のごとく前後の空間を使わず、「戸」のごとく左右の空間を使わない。敷居も無いから、車などの出入りにも問題ない。電動にすれば、完全なバリアーフリーになる。

 なぜ、車庫や、商店の防犯用などにしか普及しないのであろうか?

やはり、「シャッター」という言葉が「戸」という我々の昔からの感覚にあわないのであろう。しかも「鎧戸」などというに至ってはなおさらである。

 人が少なかった時代、ぜひ、お出でくださいといっていた「戸」が、人が増えるに従い「扉」となり、ついには「鎧戸」になって、人を締め出すようになったのは悲しいことである。