ほしいも
茨城県の久慈川と那珂川に挟まれる台地は稲作ができず、麦やたばこ、さつまいもなどを栽培していた。中でもさつまいもは、火山灰土の土地に合う為、明治以来栽培され、2008年で100年になるとか。
冬場は副業としてほしいもつくりが盛んであった。戦時中もさつまいもは、アルコール燃料の原料として盛んに作られた。
このさつまいもは「茨城1号」という品種で、大きくて収量は多いが、水っぽくて全くうまくなかった。(今後の燃料用の米もそのような品種になるのだろう)
元々、さつまいもは、救荒食として、青木昆陽が下総(今の千葉県)で栽培をして広めたもので、当時の農民から感謝され「いも神様」と言われ、幕張には昆陽神社という神社まである。石見銀山の代官となった井戸平左衛門は、この地に赴任して、さつまいもを広め、農民を飢饉から救ったことで「いも代官」として祭られ、その名も「いも代官」という焼酎も地元では造られている。買ってみたがまあまあの味です。
いも代官
江戸の町でも庶民のおやつなどとして、焼きいもが売られ「九里四里(栗より)うまい十三里半」などと言われていた。小生の住んでいる団地にも、毎年、冬になると小型トラックに釜を積んで秋田の大館のほうから焼き芋を売りに来るおじさんが居る。
聞けば、今年、80歳で焼き芋の道具はこちらに預けてあると言う。
現在でも、勝田(ひたちなか市)などの台地では、さつまいもが栽培されているが、その大半は「ほしいも」にされて、「茨城のほしいも」の名前で全国に有名である。
ひたちなかのほしいも(ひたちなか市認定農業者の会パンフレット)
「ほしいも」は筆者が子供の頃、「乾燥いも」と呼ばれ、粉が吹いた堅い乾燥したものであったが、今日では柔らかく、名古屋のういろうを堅くしたような舌触りである。
いもの品種も、玉豊という甘みのある品種を使っている。
さらに作り方も様々で、古くからの平らに切った「ひら干し」の他に、丸いままの小さめのいもを使った「丸干し」太いいもを四角に切って作った「角干し」などが作られるようになった。
丸干し 角干し 平干し
阿字ヶ浦の海水浴場に近い海よりの台地に、O君という高校の同期生が居る。
信用金庫に勤めていたのであるが、定年になり、親の農家を引き継いで退職金を使って、「ほしいも」の様々な設備を買いそろえ、本格的「ほしいも」農家となった。
彼が作る「ほしいも」は評判がよく、「干しいも三ツ星生産者」を受賞、茨城県干しいも対策協議会から「生産履歴適正者」と認定されている。
この辺一帯の「ほしいも」は内陸部のものより味が良いと言うことである。
それは、同じ天日乾燥をしても、海からの潮風が微量の塩分を運んできてそれが甘みの隠し味になるのだそうだ。
そして、ビタミン、ミネラル、良質の食物繊維が含まれる健康食であるという。
O君の作業場
O君のほしいも乾燥場(南北に風が通るようになっている)
今年もまた、買いに行き、丸干しなど買ってきた。娘の友達などにも好きな人がいる。
毎年、買いに行くのだが、2006年のこと、暮れに出かけていって購入したが、寒すぎてうまく出来ないので来年、来てくれれば、もっと沢山売ることができると言う。
一月の中旬にもう出来たろうと電話をした。すると、がっかりした声で、寒すぎて室に入れてあったいもが皆だめになってしまい、今年はもう作るのはやめたと言う。
この年は、何十年かぶりの寒さであるが、この位の寒さは、子供の頃は当たり前であった。
昨年まで、元気で「ほしいも」作りを手伝っていた、お袋さんが元気だったら、きっと、昔の経験から、最近の貯蔵法では問題じゃないかと教えたのではないかとも想像し、一年の苦労がほとんど駄目になってしまったことに同情した。
仕方がないので245号線沿いの店に行って、女房の姉さんの所などに送ったが、話を聞くとほかにも駄目にした農家が何軒かあるらしい。
農業もまた、経験の積み重ねが重要なんだなと感じた次第である。