ブラジルの赤門、青門
これも昔の話、ブラジルが大変なインフレの時代のことです
以前、ブラジルに合弁会社があり、電力会社などに色々な器具を売っていた。
一時期は、鉄道会社に電車の制御装置なども納入し、これは、前金付であったからすさましいインフレの中にあっても、何とか利益をだしていた。
しかし、この受注がへり、電力会社からの受注のみになり、収支は急速に悪化した。
何しろ、配電する電力の20%以上が盗電されてしまうのであるから、電力会社の収支が良いはずがない。契約期限までに支払いがなされぬことがたびたび起こる。
こうなると、年率数100%のインフレであるから、せっかく金を回収しても、その時には、貨幣価値は十分の一といったことが珍しくない。
ここでの経営をやらせたら、キャシュフローなどというものはすぐ体験できるであろう。
もっとも、理解した時には大抵会社はつぶれているであろうがーーーーー
この会社は、リオデジャネイロにあり、左前になってからは、各部門で技術的援助などのために、しばしば、出張、滞在した。
小生も、何回か出かけたのであるが、昼は仕事で、休みを使っての往復のため、ほとんど、観光などをする暇が無かった。
ということになると、空いている時間は、夜ということになる。
町のレストランでは、シュラスコという串焼きの色々な肉を串焼きにし、大きなナイフで切ってくれ荒塩をつけて食べる名物料理、海岸のレストランでの大きなえびの料理、特産の焼酎など、うまいものも多い。
そして、食べ終われば、当然、行くべきところに行くことになる。
有名なコパカバーナの海岸のあたりにそのような店が何軒かあり、例によって日本人は上客である。中でも、入り口を真っ赤に塗った俗称「赤門」真っ青に塗った俗称「青門」が有名で、日本の赤線、青線になぞらえられていた。
一歩、店内に入ると、壁やら止まり木やらに、白から黒まであらゆる人種の坩堝である。一度、目移りがすると、ネクタイを選ぶより難しい。あっけらかんとして陰気くさい所はまったくない。スタイルの良い美人も沢山いる。
しかし、若くてきれいだからといって油断は出来ない。病気を移されてえらい目にあったという日本人も少なくない。ただ、当時は、エイズと言ったものはなく概してお互いにおおらかであったと思う。
えらい目といえば、当時、地方の町に据付調整に行っていた某工場の一団が、週末にマイクロバスを借りきって、リオまでそちらの方の買出し?に出かけ、途中で強盗にあって身ぐるみ剥がされたそうである。まあ、普通なら、事が事だけに、黙っていると思うが、よほど、金が惜しかった奴がいたと見えて、必要経費か何かで請求し調べられてばれてしまったという話もある。