インドネシアの子供達

                   古きよき時代のお話です

 ジャカルタ市を一歩出ると、そこは、農村地帯であり、村の入り口には門があり、通りからは、家々が見える。特に農村は、稲作が多く、作業用の庭を持った農家を良く見かける。その風景は、私が子供時代をすごした茨城の田舎と良く似ている。

 家電の工場などは、農村の中にあるといっても良いほどで、工場の裏に行ってみると、ガキ大将を親分として、十数人の子供達が裸で遊んでいる所なども、子供の頃を思い出させる風景である。

インドネシアオフィスは、ジャカルタ市内にあり、工場まで、ホテルから車で通うことになる。

途中の道路で、制服を着た子供達が学校に通うのに出会う。子供達は何処でもそうだが、屈託がなく、皆で、笑いながら走り回ったりして、通学している。

 時々、乗用車の助手席に子供を乗せて走っている車に出会うことがある。子供を、学校まで送っていくのかと思ったのであるが、身奇麗にして入るが、制服を着ている訳でもない。

聞けば、これは、車で市内に通勤する人の通行証のようなものだそうだ。

ジャカルタの市内の車が増え、交通が混雑するので、通勤時、一人で市内に入るのが禁止されている為だそうである。

子供は、郊外のしかるべき所から、車に乗って、市内に入り、オフィス付近で下ろしてもらい、何がしかのお金をもらう。帰りは、歩くか、バスにでも乗って帰って金を稼ぐのを商売としているとの事。都会の子供達は、中々生活も苦しいらしく自分達で金を稼いでいる。

 オフィスの反対側には、デパートがあり、大変、繁盛していた。昼などに時間があるとここに買い物に行くのであるが、雨季には、突然の大雨が降る。

この時も、子供の出番である。結構、笠を持たずにでてきている人が多く、これに笠を貸すのである。
自分は、パンツと半そでのシャツくらいで、頭からびしょぬれになり、客を反対のビルまで案内する。
道路は、突然の大雨で、水はけが悪く、何処を通って良いか分からない。

これを、巧みに浅い所に誘導しながら、反対側に連れて行き、何がしかのお駄賃をもらっている。子供達は、雨が降りそうな時刻になると、一斉に現れるのである。

 毎日の事でもあり、大人の方も、傘を持ってでれば良いとも思うのであるが、子供達に何がしかの駄賃を与えるというのが、回教の施しの概念でもあるのであろうか?

 このような子供達のたくましい生活力が、最も発揮されているのが、観光地であろう。

特に、有名な観光地には、子供のみやげ物売りが大勢いる。有名なボロブドール仏教遺跡では、観光バス、特に日本人の観光客が乗ったバスが着くと、手に手に土産物を持った子供達が、わっと集まってくる。

土産物は、大抵、安物のジャワ更紗のハンカチーフやシャツ、木彫りの小さな蛙を何匹もぶら下げたものなどである。

 彼らは、決して、着いたばかりの客に、買ってくれとは言わない所が賢い。そうではなくて、まず、これはと言う客を狙って自分を売り込むのである。

僕、名前、アリババ、アリババだよ!!おぼて!!」などと日本語で連呼して、じっと、顔を見る。そして、相手がわかったと思うと、また次の客に行って自分を売り込むのである。

 ここで、いや面白いガキがいる、などと自分の子供の頃をラップさせてしまうと、相手の思う壺である。

遺跡を見て、帰りのバスにつく頃に、また、忽然と現れて、「アリババ、アリババ!!」と連呼し、品物を見せて、「千円、千円!!」とまとわり付くのである。

 「高い」と言えば、「安いよ、安いよ!」と言い、蛙の土産で「無事、かえる!」などと言い、買いそうもないとみるや、「二つ千円」、「三つ千円」となり、バスが出る頃になると、上手く買えば「十で千円」位になるそうである。
 まあ,大抵の日本人は、「三つ千円」とか「五つ千円」とかで買ってしまうことになる。

バスの中で、お前いくつ買った?などと聞いて、自分は「三つ千円」相手は「六つ千円」などと聞くと、ずいぶん損をしたような気になるから不思議なものである。

 どうやったら、日本人に売れるかを、誰かが考え,子供達も工夫しているのであろう。