林森北路のダブルブッキング

           これも今は昔の話です

 日本人が台北に行き、現地の人と会食などしていると、大抵、「林森北路大学」へ行かれますか、などと質問される。

この大学で講義をすると言うことは、酒を飲んでカラオケをすることであり、講義を受けると言うことは、その道の女性から台湾語などを一対一で教えてもらうと言うことである。

 此処の一角は、殆どカラオケバーなどで占められており、当時は日本人客が大半を占めていた。

教授は美人が多く、大抵は、日本語で話も出来るし、カラオケの合間には、色々と日本語の意味などを聞いたりして、この時間帯は、中々、熱心な生徒である。

 先生達は、始めの頃は、いわゆる本省人で中国系が多かったが、時には、高砂族などの高地系の人達も増えてきていた。

 こちらが、正式に講義を受けようと思えば、チイーママなどが現れて、教授料などを決めて即、個人レッスンに出かけられるのであるが、誰が誰から受講したなどがわかってしまうので面白くない。

 そこで、カラオケの合間に、ダンスなどしながら、個人的にレッスンの契約をし、やー今日は疲れたので講義は受けないなどと言って、帰ってくるのも「品行方正大学」の卒業生的である。

すると、個人教授の先生は、店が終わってから来てくれる。実際には、この方が、先生方の見入りは、店に割り掛けを払わないだけ多くなり、授業の方もその分だけ熱が入ると言うものである。

 ある時、何時も一緒に出張するK君などと出かけ、個人契約で先生の講義を受けたが、講義が上手いので、次の夜も講義受けることにした。

仕事が終わって、その夜は、自分達のみで飯を食い、昼間のおさらいなども済んだので、今夜はどうする?と聞くと、いやー今日は疲れたので、按摩など呼んで寝ることにしますなどと殊勝なこと言う。ははーん、自分達だけでどこかに行くことかと思ったが、それじゃ、俺も疲れたので、今夜はこれで解散しようと言うことで、部屋の戻った。

 待つことしばし、先生が手土産などもって現れた。これは、台湾名産のスターフルーツとか色々な果物を持ってきて、楽しい講義を聴き、体育の実習もすることが出来た。

翌朝、K君に、昨日はどうだった?とかまをかけて聞くと、^^^^^などと訳のわからぬ言い訳をする。「俺も昨夜はよく寝たからよかったな」などと言って終わったのであった。

 また、ある時は、現地の人達としこたま飲んで、商社の連中と、林森北路大学へ出かけた。

酔っ払っているとは言うものの、熱心な学生であるから、個人教授の契約を結んでしまった。
しばらく、騒いでいると、商社の人が、なにやら、横で言っている。

どうやら、貴方の先生を決めたと言うことらしい。「俺は疲れているから、今日の受講はやめた」などと言っても、「そんなことはないでしょう、此処に来て、授業を受けないとい事はないでしょう。いい先生を決めましたから」と言う。

酔っ払っていることもあり、強くも言わなかったら、先生が、一緒についてくる。ままよ、まあ、良いかなどと無責任に考え、部屋に戻ってきた。

シャワーなど浴びて、多少、頭もすっきりしてきて、それでは、レッスン開始と思った所へ、枕もとで授業開始のベルが鳴った。と思ったら、フロントから電話である。貴方の先生に代わりますと言う。さて、それからが大変である。

上がってこられても困るし、酔っ払っていて、二人の先生から講義を受けるほどの自信もない。「今日は、酒を飲みすぎたので、受講は中止」などと言い訳をしてお引取り願った。一方、こちらの先生も、事情がうすうすわかったらしく、お冠で、授業にも熱が入らない。こっちもあまりその気にもならず、授業料を払ってお引取り願った。

 このような経験をして、林森北路大学を卒業するのである。

しかし、最近、台北に行き、昔、行った店に行ってみた所、生徒には、現地の人が極めて多くなっていた。何よりも、教授の年齢が高くなっていることにびっくりした。

一対一でのレッスンを受けても良いような所は、よほど学部を選ばないと駄目になってきたらしい。

考えてみると、日本でも、韓国でも、生活水準が上がってくると、わざわざ、このようなで先生をやる女性は減っている。

 林森北路大学でも、先生方の平均年齢は、年とともに上がってきているようである。

此処に入るよりは、檳榔街道で、飾り窓のなかに居て、運転手に檳榔を売っていたり、やたらと増えてきた通称「床屋」に入った方が稼ぎも良いし、仕事としてもよいと言うことであろう。