鬼
童話に桃太郎の鬼退治というのがありますね。
悪い鬼を退治に桃太郎が、きび団子を褒美(えさ?)として、犬、猿、雉を供に連れて、鬼が島に行き、見事、鬼を退治するという物語です。子供の頃、誰でも一度は聞いたことがあるでしょう。
節分の鬼払いの行事は、日本中で慣例となっています。東北地方では、なまはげがやってきて悪い子供を懲らしめるといった行事もあります。
鬼とは何でしょう。
節分の鬼払いは、今では全国的な風習になっていますが、それは江戸時代からのことでしょう。
そもそも、鬼というのは日本では想像上の怪物で、頭に角が生え、虎の皮の褌を締めて鉄棒を持っているという形に描かれていますが、これは、仏教で言う地獄で亡者を取り締まる鬼の形から来たものでしょう。
中国の民話などに出てくる鬼は霊魂、幽霊という意味が殆どです。
最近、九州を廻って、日本の神の起原について考えさせられる所がありました。
縄文時代、人々は、自然とのかかわりにおいて、また死というものについてどう考えていたのか? 弥生時代になり、仏教が入る前の部族は、自分達の神をどう考えていたのでしょうか。
それらが、大和朝廷の支配下で、大和の神々とどんな関係を持つようになったのでしょうか。
神社に祭られた古い神々、例えば、大国主命などは、早くからの大和との協力者の神であったのでしょう。猿田彦などもその一つでしょう。神とまで行かなくても協力者となったヤタのカラスなどといったものもあります。
中々協力しないで反抗したが征伐され、悪しき神という形で一緒に祭られたものもあります。
しかし、神話の時代が終って、支配が確立されて、記録も明確に残るようになり、仏教も入ってきたとなると、それ以降に征服された部族は、神にも、悪しき神にもなれずに終ってしまったのでしょう。それが鬼ではないでしょうか。
従って、九州には鬼はいないが、東北には鬼がいる。古墳時代の最後の頃、大和の勢力に反抗した部族で、九州は隼人、熊襲といった形で鬼にもならずそのまま残った。
しかし、岡山(すなわち、吉備の国)の勢力は、一説によれば、百済から製鉄の技術が持ち込まれ、強大な力を持ち始めて征服されたという説もあり、これが桃太郎の鬼退治のもとになったということです。
鬼は悪いものと言うのは征服者側の言い分で、太平洋戦争当時、「鬼畜米英」などと言っていましたが、鬼の方が強く負けてしまった。
これを神話と同じように解釈すれば、勝った方か神で、負けた日本は神ではなく、悪しき神、いや鬼である。
従って、神社に祭るなどはけしからんということになるのでしょう。
日本が勝利していた時代の乃木神社などは神であり問題にされていないのです。
そこで、太田光総理に提案する。
スターリンもマッカーサーも毛沢東も皆、靖国神社に合祀すれば良いのではないか?
古い日本の神社は、悪しき神、良き神とも一緒に祭られている。
両方祭っておけば、日本の神道とはどんなものか皆考えるでしょう。
それでも文句が出るなら、トルーマンもスターリンも蒋介石も毛沢東もチャーチルも皆祭る「総国神社」でも造ればいい。