座頭市

 最近、黒澤明作品などの映画がDVDになり、良く借りてきて見るようになった。
映画が娯楽の中心であった時代、それは高校生時代の昭和20年代後半から、会社に入って忙しく過ごした昭和40年代頃までであろう。

高校時代は、期末試験が終わるとよく映画館に行ったものである。大学時代になるとシネマスコープが出来て、西部劇などが盛んに上映され、西部劇3本立てなど半日かけてみたりした。有名な映画ともなれば、座ることも出来ず通路にしゃがんだり、後ろで立って見たりしたものである。

 その頃から、日本映画も様々な映画俳優が出てきて、東宝、松竹、大映、日活などの映画会社が色々なシリーズものを作り出した。

しかし、意外にDVD化されていないのは、何か問題でもあるのだろうか。

 そのような状況の中で、勝新太郎演ずるところの「座頭市」シリーズがDVDとなって出てきたので久しぶりに借りてきてみたのである。

シリーズ十数巻をはじから借りて映して見た。(鑑賞したと言うほどの芸術性は無い)

このシリーズは、主役が勝新太郎であるが、監督は、その都度代わり、シリーズを通じた相手役もいない。

「坐頭市」シリーズ 原作:子母沢寛

座頭市物語 続・座頭市物語 新・座頭市物語 座頭市兇状旅 座頭市喧嘩旅 座頭市千両首 座頭市あばれ凧

座頭市血笑旅 座頭市関所破り 座頭市二段斬り 座頭市逆手斬り 座頭市地獄旅
座頭市の歌が聞える

座頭市海を渡る
座頭市鉄火旅 座頭市牢破り 座頭市血煙り街道
座頭市果し状 座頭市喧嘩太鼓

座頭市と用心棒
座頭市あばれ火祭り 座頭市
新座頭市物語・笠間の血祭り 新座頭市物語・折れた杖

座頭市御用旅
新座頭市 破れ!唐人剣

(クリックすると「時代劇感想文集」と言うHPに繋がり、ストーリイの概要を知ることが出来ます。)

 いま、見てみると、極めて健康的で、性的描写も無く、相手を切っても血が出ない。

ただし、使っている言葉には「どめくら」とかいわゆる差別用語はふんだんにある。

この点を除くと、悪役は宿場のやくざが中心で、日本国中悪代官だらけにしたテレビの水戸黄門と似通った所がある。

 しかし、今のテレビや映画の時代劇などと最も異なるのは、ロケ地である。

第一作は、飯岡と笹川の出入りが舞台の水郷地帯であるが、そこがそのままロケの舞台となっている.その後の作品を見ても、様々な風景が江戸末期とそのまま同じと言えるような場所が使われている。遠くの山や川がそのまま映されているのである。

映画を良く見た頃にどうやって時代劇のロケ地を探すのか疑問に思ったことがあり、聞いてみたら、時代劇専門の場面の設定屋がいて、シナリオを見て、これならここが良いというように、ロケ地が皆、頭に入っているのだそうだ。

しかし、この50年位の間にこのような風景はすっかり失われてしまった。

時代が変わる時、古いものは破壊されていく。明治になり城が壊され、廃仏毀釈によって寺が荒廃したように、復興と成長の過程で古いものは失われていった。

失われたものは二度と帰らない。記録の無い過去は時間が経つにつれて、無かったのと同じになる。

 勝新太郎座頭市から数十年の時が流れ、今度はビートたけし座頭市を映画化し主役を演じている。ロケ地は遠景が無く、村祭りの踊りもタップを踏む。

そして、最後に本当にめくら?と聞かれると実はーーと言う落ちまでつく。

しかし、めくらの座頭市は悪人しか切らないが、目明きがそろっているにもかかわらず現実の世界では、自分が気に入らないと、こいつは悪い奴だろうと言うことで、人でも物でも切り捨ててしまうことが如何に多いことであろうか