「故郷の廃家

 年も押し詰まったある日、故郷の本宅(本家)や叔父の家を訪れた。

私の故郷は、今、住んでいる日立から30kmも離れていない所にある。生まれたのは東京だが、戦時中に、東京から疎開し、小学校から高校時代までをそこで過ごした。

 本宅と言うのは、江戸時代から16代続いた専業農家で、そこを中心に部落のほとんどが同姓である。小生の家は、祖父の時代に分家して、精米所や雑貨屋などをやっていた。

しかし、兄弟が多く、長男であった親父は、兵役を免れる師範学校を出て、東京に行き、教師となって家計を助けていたのである。

 しかし、親父は戦後すぐ発疹チフスで死んでしまい、お袋も、妹達と東京に行き、家は、末弟の叔父が継いだ。叔父も学校の先生であるから、精米所や店はやめてしまい、それらは取り壊してしまった。
 お袋も、財産を分ける時に、多少の田畑をもらったが、全て、本宅に預けて耕作してもらっていた。

しかし、一昨年、本宅のおじさんも亡くなって、おばさんとサラリーマンの息子夫婦では、全部の田畑まで手が回らず、小生の田圃など、近くの大工さんに預けてくれた。その家から、秋に新米を送ってきてくれたので、お礼もかねて出かけたのである。

本宅の息子も、子供は女の子二人であるから、16代続いた家も終わりかとおばさんが言ったこともある。

 本宅を失礼して、大工さんの家に行く。ここも、自分の家の前に、息子夫婦のために立派な家を建ててあるが、息子は、町に出て帰らず。空しく戸締めのままである。

その向かいにある昔、議員などやった村の名士が住んでいた家は、ぼうぼうに伸びた庭木に囲まれて、屋根が落ち廃屋となっていた。

 村の様子は、昔とあまり変わらないが、畑地は、枯れた背高泡立ち草におおわれ、国が管理する堤防のみがきちんと草が刈られて管理されていた。

  幾年、故郷来て見れば、

咲く花、鳴く鳥、そよぐ風、

        窓辺の小川のささやきも

           なれにし昔とかわらねど

              住む人絶えてなく 

と歌う「故郷の廃家」は、確か、スコットランドの歌だと思うが、ましてや住む人もない木造の家屋は、風雨に耐えることが出来ない。

             

                     諸処に見る廃屋

 都会では、派遣労働者が首を切られて住む所もないと言っているが、田舎では空しく廃屋が増えていく。

わが団地でも、目の前の家が引っ越してしまってそのまま家を残し、廃屋となってしまった。(壊さないでおいた方が税金が安いという別の理由らしい)