美しい日本を作ろう
この文章は某元首相が言い出した5年ほど前に書いたものです
やはり、2005年以降、激動の時代に入ったようです。
1480 応仁の乱終わり、戦国時代に入る
1540 鉄砲伝来、天下統一へ群雄割拠
1600 関が原の戦い、天下統一から徳川幕府へ
1660 鎖国完成、反幕府勢力の消滅
1720 幕政行き詰まり、吉宗の享保の改革
1780 田沼時代の終焉、外国船、日本近海に出没
1840 大塩平八郎の乱、天保の改革、幕末の変動
1890 帝国憲法成立、明治維新の完成、帝国主義への傾斜
1945 終戦、戦後の復興へ
2005 団塊の世代の退場、新しい時代へ
このように、時代は、約60年毎に変化してきたように思える。
戦後、復興のコンセプトは、平和国家建設、技術立国、民主平等の社会と言ったことであったと思われる。
さて、次の時代のコンセプトは何であろうか?
アラブ世界とキリスト世界の抗争が、宗教戦争的様相を示し、その中で、ついに日本も、イラクに出兵した。日本の国家の基本の理念、ルールである憲法も改定の議論が行われつつある。
これからの60年で、日本はどうなろうとしているのであろうか?
いま、政治の不毛は、これからのたった60年間の事も議論することなく、女性問題、学歴詐称といった低次元の話で持ちきりである。
ここで、次世代の日本のあるべき姿のコンセプトを明確にしておく必要があると思われる。
私は、それは「美しい日本」と言うことであると思われる。
幕末から、明治にかけて日本を訪れた外国人が、異口同音に言ったことが、日本の美しさである。
たとえば、英国公使となった、オールコックの「大君の都」の中には、随所に、日本の風景の美しさ、都市の清潔さ、人々の高潔さ、庶民の生活の中の子供に対する愛情などに対する賛辞が述べられている。
江戸時代の約250年と言う安定した時代の中で、高度の成長はないが、自然エレルギーを中心にした完全に近いリサイクル社会が構築され、それがうまく機能してきたのである。
「美しい日本」とは、まず、廃棄物を減らすことであり、この面での技術革新が必要であろう。
これがリサイクルの根本である。無駄を出さないと言うことでもある。
そして、人々の精神面でも、美しく高潔にならねばならないだろう。また、個人の身の回りも含めて、美しくなければならないだろう。「しつけ」とは「躾」と書くのである。
そのような人々で構成された社会は、それ以外の人々をすぐに見分けることができるようになるだろう。それにより、犯罪防止と言った面でもよい結果が得られると思う。
精神面での高潔さと言うことは、一面、かなりの規制と自己抑制を伴うかもしれない。しかし、今までの60年でなされたような経済面での成長は、国内では今後は望むべくもないのがこれからの60年である。
これからの60年、宗教的対立とテロとの戦い、地球温暖化、そして今回のアメリカ発の経済危機でいよいよ本格的な変革の時代に入った。
国土も、住む人の精神も、荒れ果てた日本になるかならぬかは、次の時代のコンセプトが何かを皆で真剣に考えて、政治、経済の面にも反映させることで決まるだろう。