回転

 誰でも知っているように、実用化されている電気エネルギー交流直流である。

直流の応用は古い。聞くところによると古代のメソポタミアではすでに電池の原理からメッキが行われていたという。

 交流は、それに比べ、はるかに新しい。磁石を動かすと磁界が周囲の導体に電流を流すという電磁誘導の原理が発見されてからその応用で実用化された。運動エネルギーを電気エネルギーに変換する最も簡単な方法は、磁界の中でコイルを回転させるか、コイルの中で磁石を回転させることである。

 そこで気がついたのであるが、我々は、自然界にあるさまざまなエネルギーを利用してきた。それは、初めは直流と同じように直線的に利用してきた。

川をいかだで下る、海流に乗って移動する。帆を張って船を進める。そりを使って大きな石や材木を移動する。などであった。
 それが、風車になり、水車になり、コロから車輪になって、エネルギーを無駄無く使うようになっていった。

そして、我々の住んでいる地球も太陽の周りを回転しながら回っているという地動説にたどり着く。
蒸気機関も回転エネルギーとすることにより、動力源として有効になった。風任せの船もスクリューのおかげで大きく進歩した。

 このようにして、回転ということがあらゆるところで用いられ、それがより効率的である。

最近、リフォームをして、大工の仕事に興味を持ち、木造建築の歴史を調べてみると、大工の道具も、斧、鑿、金槌などの叩くもの、鉋や鋸などの引くものと直線的であったのが、最近は全て回転である。

電気ドリル、インパクトレンチ、電動鉋に電動鋸などすべて電動かつ回転である。

経済の面でも、収益はもちろんだが、投下資本回転率などが問題とされる。

スケートも、三回転半から四回転である。

何でも回転が速い、多いほど良いという世の中になってきた。「頭の回転が速い」などと言う褒め言葉もある。「直情径行」などというのははやらなくなってきたのである。

しかし、本当にそれでよいのだろうか。

直進は戻ることが出来ない。回転には、元に戻るもの、回転しながら先に進むものがある。らせん状に回転しながら進むのが技術だとも教わった。

しかし、「回転、回転、ライブドア!!」などと言うテレビの広告も回転の速い世の中では、それをやった男とともにすぐに忘れ去られてしまったのだろうか。