高校同期会と小野田寛郎さんの講演

 水戸31会、在京31会の合同同期会が「古希を祝って」と言うことで東京で行われました。

参加者は、ご夫人も含めて90名でした。

水戸31会からは、27名がバスで水戸から出発。31会歩く会で世話になっている同期の山方の根本酒造の差し入れの御城大吟醸など飲みながら参加しました。

 今回は、小野田寛郎さんに講演をお願いして、フィリピンでの30年にわたる抗戦?生活についてお話してもらい、その著書も頂きました。

帰りはJRで帰りその中で、著書を読ませてもらいました。

講演と著書についての感想は、あくまで私の個人的なものです。小野田さんについてもっと知りたい人は下記の本を読んでみてください。

              

   (発行者:東京新聞出版局)                 講演中の小野田さん(掲載許可もらった)

 小野田さんは商社マンとして中国にわたり、徴兵後、士官学校から、陸軍中野学校で諜報活動の訓練を受け、フィリピンに派遣され、現地で終戦を迎える訳ですが、その段階で、ルバング島での撹乱抗争作戦を命じられ、戦後も作戦解除命令が無いと言うことで、30年間、密林で抗戦生活を続けたのです。

その間、最後に、3人いた部下も、一人は投降、一人は射殺、最後に27年一緒に過ごした小塚一等兵も射殺され、30年経って、冒険家の若者、鈴木紀夫さんと遭遇、彼が昔の上官に作戦解除命令をしてもらって、投降し日本に戻りました。

 その後、日本国内では、いろいろな毀誉褒貶があり、自分の経験から出きる事を考え、ルバング島での、住民が飼っていた牛を獲物にしたりして、その習性を学んだことからブラジルに渡って、牧場を経営し、結婚。
現在は、福島県の小野田自然塾の理事長をしています。    

   小野田自然塾(ここをクリックしてください)

86歳の現在でも、かくしゃくとし、お元気なのには驚きました。

               

           小野田さんご夫婦と同期と同期奥さん方と(掲載許可もらった)

 30年にわたる密林での生活(と言っても、住民との接触や投降ビラ、トランジスタラジオの入手などで、色々な情報は入手していたのですが)の中で得られた教訓についての話が中心でした。

まずは、どうやって生き延びるか、と言うことについては、現状を把握すること、たとえ、成功の確率が低くとも、死を決してやらねば生きられない、死を恐れていては力は発揮できないと言う事です。

133回にもわたる捜索(山狩り)を受けてきて、動物的感覚も研ぎ澄まされたと言います。また。目的意識を持っていて、能力が発揮できるとも言っていました。

住居は、雨季には小屋がけもする(住民もこない)が乾季は転々と場所を変えるなどして生活。

 更に、このような状況でも人は社会の恩恵を受けているのだと感じていると言います。
それは、食料は、住民飼っている牛、椰子の実、バナナなどが中心、生水は絶対飲まない。
火を起こす道具は住民が使っている竹を使った道具を学んだ、衣服は住民から失敬するなどなど。

苦しい時には、ユーモアでそれを吹き飛ばすなども生活の智慧であったようです。

 

 このお話しを聞いて、戦前の日本の一つの断面を感ずると同時に、小野田さんの行動は、場面こそ違え、今のテロリストの若者などの行動と似ている面があると感じました。

まず、若い時に刷り込まれた事は、人間と言えども中々、離れられないと言うことです。テロリストの若者も、教義や信念を実行するにはこれしかないと刷り込まれ、それを行うのも同じ事のように思えます。

 小野田さんの人生を色々と評論するのは簡単ですが、私がこのホームページの何処かに書いたように、個人の死は「餓死、病死、戦死、不慮の死、老死」と言う段階がある訳で、小野田さんは、他の人よりはるかに過酷な現実の中、これらの死を皆乗り越えて、最後の「老死」まで辿り着いたと言う稀有の人ではないでしょうか。

その人の語る「目的達成には、諦めず、死を恐れず、命をかける」と言うことが真実であろうと思いますが、それを、利用するもっと別の存在が問題では無いだろうかと思います。