「Re」

 今、わたしたちの身辺は、「り−」と言う言葉が溢れかえっている。

「re−」と言う接頭語のつく言葉や、もともと[re]つく言葉、多くの英語が使われ、日本語化しつつある。

 何でそうなったか、勝手に推測してみると、もともと、日本語には、「り」で始まる単語が少ないからではないかと思われる。

子供の頃、「しりとり」をやったことがあるでしょう。これに勝つ方法は、ともかく、「り」で始まる言葉を沢山知っていることである。二人でやれば、先に「り」のつく言葉を言わなければならなくなった方が必ず負ける。

なぜなら、最後が「り」で終わる単語が非常に多いからである。

「あり」から始まり、「いかり」「うり」「えり」「おり」「かり」「きり」「くり」―といくらでもある。

 我々日本人は、「り」で始まる言葉に飢えていたのである。

戦後、世の中が成熟してくると「re−」の本来の接頭語としての「繰り返す、再び」などを意味する言葉が多く使われるようになった。

日本人にとって、リサイクルなどと言う言葉は、語彙の中に無かった。それが当たり前であったからである。

物は直しながら最後まで使うということは当然のこととされていた。

そして、百年も使うとその品物に魂が宿り、妖怪になるということが江戸時代には、まことしやかに言われていた。使われなくなった怨念が妖怪を生み出すということなのか、使っている人の霊魂の一部が憑依するということなのか?

水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる妖怪のいくつかもそれである。

 しかし、今は、寿命が来る前に使われなくなってしまうものがあまりにも多い。

本一つをとってみても、100冊にも及ぶ百科事典などが、一つの端末に収納されてしまう。全ての辞書は要らなくなった。

広い書斎に、立派な机、後ろには大きな本棚があり、立派な辞書や文献が並んでいるといった書斎のイメージはもはや不要で、PCとその周辺装置、それがあればその他はいらないということになるのかもしれない。

「リクルート」「リストラ」の時代、「リコール」「リサイクル」から「リニューアル」「リメイク」「リホーム」の時代、「リベンジ」から「リタイア」の時代になった。

「リラックス」「リフレッシュ」しても、一度しかない人生は「リセット」はできない。

 全てのものが道具であった時代、物には使う人の「魂」がこもっていたのであろうが、今は、全てのものが商品であり、「り」の世界になったのであろう。

人間もまた、「り」の世界になり、道具の「魂」は無くなり「商品」になったと言うことなのかもしれない。

           金のためには「離婚」もすれば「離魂」もするか?