名古屋の思い出(その5)

          東海道を上り、伊勢参り、そして知多半島へ

 

西国大名を防ぐ第一の防衛線が「姫路ー大阪」とすると第二の防衛線は「彦根ー名古屋」となります。

第三の防衛線は、箱根でしょうか。

名古屋から京に上る道は、今は新幹線名神高速道関が原経由です。しかし、江戸時代は木曾三川を渡るのは大変なことでした。

したがって、熱田側から桑名側に船で渡り、鈴鹿山脈を越えて行くのが東海道でした。これが明治になり、木曾三川に橋ができると名古屋から木曾三川を渡って大阪に向かう国道1号線となったのです。

  

  江戸時代の東海道

  いま伊勢湾は、旧東海道の東側の宿場町の鳴海(熱田)側は埋め立てられて工業地帯となっています。

更に、その先には名古屋セントレア空港も出来ました。しかし、知多半島自動車道で、半島の先端の師崎まで行くと鳥羽へフェリーがあります。

(但し、当時は、鳥羽―師崎の直行便があったが、今は、鳥羽―伊良湖―師崎となり、伊良湖での乗り換えが必要になった。代わりに、鳥羽―セントレア空港便が運行されたが、これも07年に廃止になってしまった)

また、小生がいた頃は、伊勢湾岸道は、東名阪にまで繋がっていなかったが今は開通し便利になっています。

 

 名港西大橋          名港中央大橋       名港東大橋

いずれにしても、名古屋高速から伊勢湾岸道を通り東名阪自動車道で、亀山まで行き、関の宿場跡を見て、ここから伊勢自動車道伊勢まで行って二見ヶ浦伊勢神宮、真珠島などを見て、フェリーで知多半島に渡り、知多半島自動車道で、時間があれば熱田神宮によるというルートが面白いのです。

 もし、時間があれば、志摩半島周辺に一泊して、スペイン村英虞湾などに行くのも良いでしょう。

この方面は友人や家族、会社の旅行など、何回も行っており、自分の運転でも数回、行っている所です。

 

名古屋―亀山、関

 従来は、名古屋から北側の名阪高速自動車道それより南側の国道1号、更に南の名四国道(23号)と3本の道がありました。現在はこれに加え、更に南に伊勢湾岸道が出来ています。

 ここを江戸時代は、熱田神宮の近くの鳴海から桑名までを船で渡る七里の渡しで湾を渡ったのです。

桑名市は平成の大合併で、多度町、長島町と合併して人口14万の市となった。

江戸時代の藩主は何回か変わったが、桑名松平藩として、松平定信が有名です。

これだけ大きくなると、長島ランド、多度神社、三川公園の一部まで入ってしまいます。市内で有名なのは、七里の渡し跡、春日神社(桑名宗社)などでしょう。

    

 春日神社青銅の大鳥居          春日神社総門

    

     七里の渡し跡(伊勢神宮一の鳥居)

 七里の渡し跡には当時の常夜灯などもあります。
また、ここが伊勢神宮参拝の出発点と言うことで、ここに一の鳥居があるのです。

ご存知のように「その手は桑名の焼きはまぐり」などと言いますが、日持ちを良くした時雨はまぐりが有名です。

 ここから23号、或いは1号四日市を過ぎ、鈴鹿、津に至るのですが、四日市喘息で有名になった工業地帯で交通量も多いので、東名阪亀山まで一直線。

亀山からは、すぐに1号線、或いは伊勢自動車道に繋がっています。

ここで、1号を少し進むと東海道47番宿所の関宿に出ます。

    

   関宿の町並(亀山市資料)

    

中町の町並み(正面地蔵院)              地蔵院

   

    京の方向                           御馳走場跡

 土山から草津、大津と抜ける東海道に沿って、宿場の東端は、伊勢に抜ける街道、西端は大和の抜ける街道であり、宿場ととして栄えた所。古い町並みがそのまま残っています。全長で1800m以上あり、殆どが明治までの古い建物が多く、妻籠宿などとは少し違った江戸の街道(東海道では唯一、残った町並み)を偲ぶことができます。

 とは言え、ここで長居をすると先が大変です。

伊勢自動車道に乗り、松坂牛は贅沢と、横目に見て伊勢ICに一直線、降りてすぐが豊受大神宮(外宮)です。神宮は、まず、外宮からです。

伊勢神宮については、何も言うことはありません。外宮の御祭神は、豊受大御神皇大神宮(内宮)天照大御神です。

    

  日除橋(奥が第一鳥居)                緑の多い参道を行くと第二鳥居

   

    御正殿

江戸時代は、全国に張り巡らされたお伊勢講により、多くの参拝者を招き、明治以降、国家神道の中心として今日に至っています。

   

内宮への道                  五十鈴川禊場

      

内宮(正面から撮影禁止)             内宮の拝殿手前

  

  神楽殿

外宮は、駐車場も比較的空いているので、時間によっては、ここに車を置いて、皇大神宮(内宮)おかげ横丁と廻るのも良いでしょう。

 おかげ横丁の通りには、かの「赤福」などもあり、茶店となっています。伊勢うどんも有名ですが、小生には、名古屋の味噌煮込みうどんの方が口に合います。

    

 おかげ横丁への通り                かの赤福

ここで少し遅い昼食、少し休憩し、戻って、国道42号を進み、右手の丘の上にある伊勢戦国時代村を無視して少し進むと夫婦岩のある二見が浦です。

の神社は興玉神社です。ニニギノミコトが天下った時、邪悪をはらって道案内をしたと言う猿田彦がここに祭られています。夫婦岩とはもっと大きいものと思っていましたが意外にもあまり大きくありませんでした。

    

 二見が浦                        興玉神社

更に、42号を進むと鳥羽市で、ミキモト真珠島、鳥羽水族館などが鳥羽港の傍にあります。ここを見ていては、フェリーに乗り遅れるので、フェリー港へ。

ここから師崎港へ向かいます。(今は、この航路はありません。伊良湖港に出てそこから師崎港に行くことになります)

 港を出ると、答志島、菅島の間を通り、師崎港へ。この近辺は岩礁が多く、菅島の灯台は日本最古の洋式灯台だとか。

師崎港から名古屋方面には、3本のルートが考えられます。時間があれば、伊勢湾側から常滑を通る247号で行くルート、知多湾側の247号を通るルート、南知多道路を行くルートです。

 この時は、時間の関係上、南知多道路でまっすぐ名古屋方面に抜けましたが、ここを通らず、247号線で廻ったこともありました。伊勢湾側には、常滑市の焼き物などもあり、途中にソニーの創始者である盛田氏の実家の盛田酒造もあり、倉を改造して展示館、売店などとしています。この辺を廻るのも面白いでしょう。
常滑周辺は、セントレア空港が出来て、大きく変わっているでしょう。

   

           盛田酒造                         師崎港            

さて、知多道路を降りて、247号を北上すると熱田神宮です。ここの祭神は熱田大神で、御神体クサナギの剣です。熱田大神とは誰か?

天照大神、ヤマトタケルなど、幾つかの説があるようですが、もとは、この地方の土着の神ではないかとも言われています。ここのご神木です。

(間違っているかもしれませんが、楠のご神木の最東端ではないでしょうか)

    

  熱田神宮(高校同期と)                    ご神木(楠)

 

これで、一周ですが、途中の観光地などはかなり省略しています。朝早く出て回れる限界でしょう。フェリーが無くなった今は、この旅行は不可能です。

 

最近、調べてみると、フェリー航路がだんだんと減っています。乗客、車とも減ってしまい、燃料高騰で成り立たなくなっているのでしょう。ドライブ旅行でフェリーを利用するのがだんだん困難となって来ています。