「気」
昔、会社にいた時、書いた雑文の一つ
数年前まで電気も来なかった人気(ひとけ)もまばらな山奥の温泉宿が、元気の良い亭主と色気のある女将の気配りが評判となって、雑誌の人気投票で上位に入って客が大幅に増えた。
一度、行って見ようと気の合った高校の同期の連中と出かけてみた。天気は快晴で空気も澄み秋の気配も濃厚で、山は紅葉しまことに快適なドライブだった。
予定も無い呑気な旅であり、早めに宿につくと元気よく従業員が迎えてくれ、部屋に案内してくれた。
「**さん、##さん、本日はご利用頂き有難うございます」と顔を見て名前を言って挨拶する。どうやら、記帳時に顔と名前を覚えるらしい。なかなかの気遣いである。
浴衣に着替えて、冷蔵庫からビールを取りだして飲み始めたが、まだ日も高い。
ところで、この近くに和気清麻呂を祭った神社があったはずだと誰かが言い出した。
そんなことを言っても、酒気帯び運転になるぜ、俺は温泉に入ったほうが良いとか銘々に勝手なことを言い出したがともかく宿に聞いてみようと言うことになった。
先程の従業員に聞いてみると、確かにそんな所がありますけど、細い山道を登った暗い林の向こうで気味の悪いような所で、昔はお参りすると邪気を払うのに効き目があるといわれていたと言う。
せっかく、旅行に来て宿の入ったのにそんな所に行くのは狂気の沙汰だなどと冷やかして、結局、全員温泉に入ろうと言うことになった。
ここは、若い子にも人気があってしかも混浴だったよなと誰かが言い出したが、お前,その年では、色気よりも食い気だろうなどと冷やかされつつ温泉に入る。
混浴と言っても浴槽は仕切られ、うす明かりの向こうは湯気で煙って何も見えない。
泉質は硫黄泉で、白く濁っており、硫化水素の臭気が強い。
露天風呂には、残念ながら我々以外誰も居らず、まだ早いと思っていた秋の日は山陰に暮れかかり、色付いた楓の林を照らし、温泉から白い水蒸気が立ち上っている。
ゆっくりと温泉につかり、上がってきたがまだ夕食には早い。再び、ビールなど飲んでいると眠気が差してきて、皆しばし仮眠をむさぼった。
しばらく寝てしまったが寒気がして目がさめた。時計を見ると6時である。
6時半に飯を頼んでおいたので、皆起きだし、食事が用意された別室に行く。
ここの食事は、良くある旅館3点セット(マグロの刺身、えびのてんぷら、メロンのデザート)などは無く、食材は全て地元のものなのが気に入った。
地酒を飲んで馬鹿話をしていると、女将が挨拶にきた。
一通り挨拶をして、「商売繁盛いいですね」などと言っていると、「おかげ様で、色々なお客様に来て頂いております。気に入って頂いて、毎年、来て頂く常連のお客様も多いですよ」などといささか自慢気に話をする。
「面白いお客さんもいるでしょう」などと言うと、「そうですね、先日、常連の方が中国の人をお連れになりました。何でも気功の先生だとかで、漢方では有名な方だそうです。」と言う。
「もともと、気というのは、目に見えない天地万物の大元のことである。藤田東湖の正気の歌に{天地正大の気、粋然として神州に集まるーー}などと有るだろう」などと
水戸学にこっている奴が言い出した。それは、文天祥の真似歌だろうとは思ったが、こいつに水戸学を語らせると長くなるので、「そういえば、お前、高校時代に生物を習ったはずだが、葉っぱの気孔は習ったろうが、人体の気は習わなかったろう」「気孔というのは、植物が大気を取り込む葉っぱの孔だ、人体の気孔とは肺のことか?」
「植物は気孔でこちらは気功、カンフーなどの気と同じ」と話を戻す。
「ところで、中国で、気管支炎は何のことか知っているか?これは、発音が中国語で
恐妻家と同じなんだ」などと中国人との昔の仕事の付き合いなどの話をする。
「中国では、自動車を気車といい、蒸気機関車を火車という。電車もそうだが、車を動かすエネルギーを言うのであれば、気=ガスであるから日本語より理屈似合うだろう」と言うと「いや、あれは、もともとガス=ガソリンからきたのではないか?」と言うのも出てくる。「そんなことは無い。昔の車のエンジンには、気化器がついていた」などとだんだん屁理屈めいた議論になり、その頃は、女将も「ごゆっくりどうぞ」といなくなってしまった。
気が付くと11時過ぎとなっており、そろそろお開きにして部屋に帰り、寝る前にもう一度温泉に入り寝たのであった。
このように、気という言葉は実に様々に使われる。間違った使い方をして、気違いなどと言われないように。
(ここに書いたことは、全て架空の場所、人であります)