フィリピンにて

        かなり昔、全ては時効の頃のことです

 「私は、6人兄弟で、お父さんはマニラ湾の向こうの方で漁師をしているの」とその女の子は、たどたどしい英語で話し始めた。

「もともと、暮らしは楽でなかったのに、数年前から赤潮が続いて、魚が取れなくなり、仕方が無く、私がこうやって仕送りをしているの」と問わず語りに身の上話をする。

 その言い方は、決してじめじめしたものでなく、そのことで同情をかって金を余分にもらおうと言う様子見えない。勘ぐると、その方が余計に同情してもらえると言う演技とも取れないことは無い。

しかし、昔の日本の貧しい農村の女の子が遊郭に身売りをし、「わちきの家は、出羽の国でとと様は貧乏小作人。6人兄弟で、飢饉で食うや食わず。12の年に身売りをし、人買いに連れられて、苦界に身を沈めたんでありんす」などと言ったのと同じように、本当に彼女達もそのような境遇に置かれているのであろう。

 中近東に出稼ぎで女中として行き、雇い主から暴行を受け、虐待され、耐えられずに雇い主を殺したと言う話もそれほど前のことでもない。

私が、中近東の某国に行ったときに、立派なアパート群があり、商社の人から、あれは、ベドウィンの定着化を図るため、政府が建てたが、彼らは、砂漠のテント生活の方がよく、誰も入らずにおかれている。ある時、調べてみたら、行方不明のフィリピン女性だかがミイラ化して発見されたなどと聞かされたこともある。(その後の湾岸戦争で、ここは避難民の住居となったが)

 東北の温泉宿に行った時に、夜は、舞台で歌や踊りをやっていた女の子が、翌朝は、宿の中のコーヒーショップで給仕をしているのを見て、よく働くなと感心したこともある。

日本の温泉などに、舞踏団などとしてきている組は、幸せな方なのかも知れない。

 そんな話を、帰国後にしていたら、「あなたも、そんなことを聞いてる暇があるなんて年を取った証拠だ」などとK君(いつも、仕事で海外に一緒いく、この方面の猛者)に冷やかされた。

 しかし、その後、何年か経って、K君と一緒にフィリピンに行き、最近は、治安が悪いのでこの辺は、タクシーに乗っているのが見えないように伏せていてくれと運転手に言われながら、その方面に出かけた。

その翌日、彼は、しみじみと、昨夜は、「私のお父さんは、ミンダナオ島の独立派で、ゲリラ活動をしていて、政府軍に殺されてしまった。その為、このような境遇に身を沈めたのでありんす」と聞かされて、いたく同情し、お金を沢山渡したなどと言っていた。

 誠に、男というものは、皆、同じようなものである。