檳榔街道

     10年ほど前のことです

 

 以前、技術供与をした台湾の某社に、数年ぶりに訪問した。

社長は、京都大学の出身であり、本省人でもあり、日本人に極めて親近感を持っている。

 台湾のIT−P/C関連を中心とする経済の発展は、やはり目覚しく、以前、延々と建設中であった高速道路も完成し、空港から市内へのアクセスもずいぶんよくなったように感じた。

  翌日、工場に出かけた。高速を降りて、工業団地に向かう一般道に入ると以前はあまり見かけない風景に気がついた。

以前から、街道筋には、「檳榔」と言う看板を掲げた屋台風の小さな店があり、ここで、街道を行き来するトラックの運転手に、檳榔を売っていた。

 それが、今では、色々な電飾を施したガラスで囲った幅1.5−2.5メートル、高さ2.5メートルくらいの部屋があり、この中に、ホットパンツの短いのをはき、上半身は、殆ど中が見える位の服装の女の子が、道路の方を向いて、止まり木風の椅子に腰掛け檳榔を売っている。

胸のあたりが、トラックの運転席より少し低いあたりに位置している。トラックからは、胸が見え、乗用車からは、もっと下が見たくなる高さが設定されているようである。

             

                   檳榔売りの看板娘

 日本でも、向こう横丁のタバコ屋の看板娘と言う歌があったが、そんな生易しいものではない。

 場所によっては、このような店が道路の両側に軒を連ねてまさに檳榔街道である。

同行した社長に、昔は、ああいう店はすくなかったがーーと言うと、色々と解説してくれた。

 まず、檳榔は、一種の覚醒効果があり、運転手連中が愛用しているのだが、物が物だけに背後には、やくざの組織と利権が絡んでいる。

だんだんと過当競争になって、露出度も激しくなり、わき見をした運転手が事故を起こしたりする。

 また、売るときに、4個で、100NT$のものを、2個しか渡さず、おかしいと言うと、女の子が、残りの2個はこれをサービスするわーーなどと言って、胸を開いて見せたりする。
運転手によっては、そっちの2個の方がいいーーなどと言って手を出したりして悶着を起こしたりする。

 実は、この間、ふと見るとどこかで知っている女の子だと思ったら、その会社の元の従業員で、後で調べたら、こちらの方が、楽で実入りが大きいと言うことで辞めて鞍替えしたとのこと。

 警察も、時々、取り締まるが、どうもやくざが上納金を出しているらしく、おざなりで、その瞬間は、少しはよくなってもすぐに元に戻ってしまうとのこと。

この社長は、李登輝さんの京都大学の後輩で、京大の名誉学位をもらおうと言うことで運動したが、日本の文部省の反対で沙汰やみになったと言うほど親しくしているが、まだ李登輝氏が首相だった頃、会社に来てもらうことになったが、その前後だけは、何処から手が回ったか、これらの店は全く撤去されてきれいになったと言う。

 しかし、自分で運転せずに、助手席などから、次々に出てくるこのような店を見ているのも楽しいものである。

ネットで見たら、最近では、檳榔西施などと名がついて、人形まで売っているようである。

                  

                       檳榔西施

 道理で、林森北路の飲み屋などで、若い女性が少なくなったのかもしれないなどと納得させられた。