「神様」
数年前のことである
神様の本場である九州に行こうと計画を立てていると、玄関のチャイムがなった。
出て見ると若い女性が二人立っている。
「ご主人様ですか?お忙しい所済みませんが少しお時間を拝借したいのですが?」
「何の話?」
「今年の一語の漢字は何になったかご存知ですよね?」と若い方の女性があまり話し慣れていない口調で一生懸命に聞く。
どうも、もう一人が指導員?でキリスト教の布教で回っているらしい。
「命だろ」
「そうですね。今年は本当に命が粗末にされたですね。子供が殺されるのが多かったのをどう思いますか?」
「確かに殺された子供が多かったが、我々の子供の頃はもっと子供は死んでいたよ。
殺されたのではないが、病気のため子供の何割かは大きくなる前に死んでしまった」
「でも、死ぬということと、殺されるということは違いますよね」
「違うけれども、命がなくなるということには変わりがない。何が違うかといえば、死ぬことで恨みが残るかどうかということだろう。ところで、死には4種類あるのを知ってるかい?」
「・・・・・」
「それは、餓死、病死、戦死、老死だよ。最も恨みが残るのは戦死で、殺人も一種の戦死だろう。80歳以上の人が死んでも惜しまれこそすれ、恨みは残らない。
餓死や病死は可哀想で終わる。
今の日本は、戦後60年、戦争もなく過ごしてきた。餓死も病死も戦死もない」
「聖書に、神を信じ行いをよくすれば争いはなくなると書いてありますがーー」
「神様って何人いるの?」
「・・・・・」
「キリストやモハメッドや色々いて、それは、神をこの世に現すために具現したとも言われていて、それを信ずる人もそれぞれにいるのだから、大勢居るんだろうね」
「あなたは神を信じますか?」
「人間は、色々なものの存在を証明してきたが、神の存在を証明できていないのだからいるともいないともいえないよ。キリスト教もイスラム教も内部で争い、宗教同士でも争っている。 ということは、居るとすれば沢山いるんだろう。
しかし、今の日本のように餓死も病死も戦死もないのは幸せだが、日本全体が老死するかもしれないね」と言った事を勝手に話してみると、
「そうすると日本という国がなくなるということですかね」と驚いたように言うので
「今の日本人が居なくなっても、世界から幾らでも人が入ってくるだろう」
などと、話をしていたら女房が帰ってきて、「また、面白がってからかっている。暇な爺さんは困ったものだ」という顔をするのでやめにした。
やはり、女房は上に「お」がつくこの世の神様か?