一語一絵



蓮池白鷺図(れんちしらさぎず)

 現今は先行きが不透明で、とても不安な時代と愚痴をこぼしつつも、相変わらず物質文明に心を奪われ、今までの生活を惰性で送り、分相応な生活が出来ないでいるのが今生きている我々であろう。

『昔はこうだった』と言いたくなる人がいる。論語には温故知新の名言がある。先人の教えに 耳を傾け、生活の根幹を知る事も未来への生きる智慧となるかもしれない。
つまり、かたよらない、とらわれない、驕らないという心を持つことが大切と言えよう。

正月気分も抜けた一月二十五日、襖絵の完成報告法要と記念茶会が行われた。思い起こせば三年前の十二月、当山の茶道教室である男子稽古の会、無門塾納会の折、日本伝統工芸正会員である友禅作家、二塚長生先生をゲストに迎えて懇談の中、先生が突然『住職、俺に障壁画を描かせてくれんか?』という言葉に端を発し、無門塾生徒十一名の法愛により勝縁がかなう事になった。

襖の製作には国内外で御物や国宝級の文化財を修復してきた金沢市文化財保存修理研究所長、川口法男先生に依頼、ようやく仕上がったのがもう暮れの十二月。それから二塚先生に描いてもらうのには余りにも慌しいと思いつつも、実は自分が一番焦っていたのかもしれない。十二月の寺の本堂は寒い。先生の体を心配し、塾生とアトリエと化した本堂を屏風で囲み、ささやかな暖を確保した。拙僧といえば大掃除で忙しく、しかし、絵が気になり邪魔にならぬよう横から覗き見。『先生も頑張っている』―自分も激励されて仕事が進んだのは事実であった。道元禅師の「動静大衆に一如せよ」という教えがあるが、人に勇気付けられ、励まされる事が如何に大切なものなのか。

ようやく六日間の製作が終わり完成をしたのが三十日。製作中様々な事を教えられた。中でも琳派や俵屋宗達の独特な手法である、たらし込みという技法。帰り際になって先生は『宗達の心で描いていた』と話してくれた。背筋に電気が走った。『この絵の蓮は、現在、過去、未来を現している』とも話してくれた。

拙僧は、人の生き様、つまり佛教の生、老、病、死の世界ではないかと思った。

先ずは襖の前にどっかり座り、心を落ち着かせ、心の目で見て欲しい。             
戦前、戦後沢山の国宝級の文化財が外国へ安値で流れて行った。法要後、川口先生曰く
『住職、この絵だけは売らないように』―と。答えて曰く、『代々、受け継がれていきます』と