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ひとりごと

ありがとう booちゃん 

 2005年8月14日 午前6時6分  
私の大切な大切なネットで知り合った心友booちゃん(HN boogie)は、自宅でご家族に囲まれ苦しむこともなく静かに天国に旅立たれました。
優しいご主人と、まだまだそばで母親の力を必要としている3人の息子さんたちと、高齢のお母さんを残し、48歳の生涯を閉じることは彼女にとって、どれだけ無念だったかと思うといたたまれない思いです。
目を閉じると、電話をかけて来る時のいつもの「booちゃんで〜す!」の声が聞こえてくるような気がします。

 5年前に初めて会った時、豪快な笑い声の笑顔が素敵なbooちゃんは、私よりほんとに年下って疑うくらいさりげない細かな気づかいで逞しくて、頼れるお姉さんのようでした。
私が困った時は何故か察知してくれて、メールや電話が来ました。
今まで私はどれだけ助けてもらったか、今は感謝の気持ちでいっぱいです。

 そんな素敵なbooちゃんとの思い出、そして最後までbooちゃんらしく生き抜いたこと、みんなにも知って欲しくて辛いけどひとりごとに書くことにしました。


5年前のbooちゃんとの出会い
 
 「今教室終わったとこで、HPちょっとだけ覗いてうーんと唸ってしまった。また後でメールします。 boogie」とだけの初めてメールを頂いたのは、5年前の秋「mizumamaの部屋」がやっとネット検索に載せてもらえるようになった日のことだった。
あまりにも簡潔明瞭なメールで、ひょっとして誰かと間違われたのかなあとも思ったり、どうお返事をしたらいいのか迷った。
そして次の日の朝、「あらためてはじめまして!箕面でキルト教室をしていて、教室の前ちらっとHPを拝見したけど、昨日は教室日で終わったらなんせ3人の食べ盛りの息子がいるもんで、急いで晩飯の支度をしないといけないので、とりあえずメールしたんやけど。。。」とのことでした。

 その時の私はネットの世界に慣れていなくて迷ったけど、でもなんとかお返事をと思い自己紹介のお返事をした。
「神経難病で1年前くらいから車椅子になり1人で外出がままならなくなって、この1年間は病院以外の外出が出来なくなり、キルトも手につかなくて、実はHPは玄ちゃんが私の今までの作品を載せて作ったので、いつまでHPを続けていけるのかわからない。」と言う内容の、今思うとかなり暗い内容のお返事だった。
それを読んだbooちゃんから、奈良の友人のキルト展がもうすぐあり、そこの会場は友人の問い合わせたらバリアフリーの会場で段差もなく玄関前に車椅子マーク駐車場もあるので安心して行けるから、玄ちゃんといかが?と誘われた。
せっかくのお誘いで、近場のバリアフリーの会場のキルト展と言う言葉に惹かれて、久しぶりの受診以外での外出に連れて行ってもらった。
そのキルト展で素晴らしい作品を堪能した私はそれがすごく刺激になり、キルトを再開したくなったことを、booちゃんにメールで伝えた。

 それから少し経って、大阪心斎橋大丸でのキルト展でのオフ会に誘われた。
世間のバリアをすごく感じていた私には、近場の外出もままならない状態なのにそれも大阪の繁華街と聞き、一旦は車椅子なのでとても無理とお断りした。
booちゃんから、「無理やりとは言えないけど、でも体調が許すのだったら思い切って来ない?オフ会参加者にはお医者さんのキルターもいるし、みんなで手助けするから」と再度メールがあった。
先日のキルト展で刺激されてた私は、それでも不安ですごく迷った。
でもこんなに熱心に言ってもらえて、せっかくのお誘いをお断りするのもと思い、あまり乗り気でない玄ちゃんに頼みドキドキして参加した。
オフ会不慣れなシャイな玄ちゃんは女性の中にいることが恥ずかしくて、私をみんなに預けてどっかへ行ってしまい、初対面のbooちゃんに車椅子押してもらった。
ずっと前のひとりごとにも書いてますが、初めてのオフ会は時間が経つのを忘れるくらい、刺激いっぱいで楽しくてほんとに行けて良かったと心から思った。
後で知ったのですが、そのオフ会の前日に電話で車椅子が入れるか聞いただけでは心配だったbooちゃんは、バリアフリーチェックをしに心斎橋までわざわざ下見をしに行ってくれていました。
そんな優しさにふれ私は徐々にキルトを再開し、それからは絵手紙や人形作りもはじめ生活に張りが出ました。
それからの私は、キルトのサイトだけでなくいろんな方と知り合い、工夫しながらもいろいろなことにチャレンジするようになり、一つ一つチャレンジしたことが達成する度一緒に喜んでくれました。


キルトウィーク大阪2005&布の博覧会に向けて

 
 去年あたりから私の筋力の低下は少しづつ進んでいて、ハンドでのキルティングがかなりしにくくなって、やはりキルト続けていくのは無理かなあと玄ちゃんに話していたら、1通のお手紙がbooちゃんから届いた。
今年6月にあった大阪キルトウィーク2005のミニキルトコンテストの応募要領と、「みんなで参加して、好きやねんキルトの前でオフ会しようよ。もしキルティングが困難やったら手伝から、遠慮なく言ってね。」と書かれた走り書きが入っていた。
やっぱ無理だわとbooちゃんに電話したら、「mizumamaも参加せんと盛り上がらへんやん。だからさあ〜、キルティングは手伝うってばあ〜。」とのこと。

 実はその前の年からbooちゃんが体調崩してて、それも悪性らしいとのことを風の便りで知り、それに会う度に少しづつ痩せていってるのを感じていて、とてもそんな負担になることを頼めることは出来ないから、私には無理やとお断りした。
booちゃんは残念そうに「しゃあないか。。。」と寂しそうに言ったのが気になった。
でもよくよく考えたら、今こうしてたくさんの方に出会い人生を前向きに楽しめるようになった感謝の気持ちを、やはりキルトで表現しなければいけないなあと思い、コンテストにチャレンジする気持ちになった。
そして一大決心をして、久しぶりに自分の力で50cm角のミニタペストリーを作った。
と言っても、キルティングがすごく大変で、思った以上日数がかかり、筋肉の脱力もひどくて途中何度も止めようかと思った。
booちゃんは、私がまたやる気を出したことをすごく喜んでくれて、「mizumama〜、ミシン使ったらまだまだやれるんとちゃうかあ〜。」と言われた。

 この6月の大イベントの布の博覧会で、booちゃんは思い切って教室でブースを借りたこともあり、みんなの好きやねんキルトの下でオフ会ということにはならなかった。
でも今になってみたら、私がキルト続けられるように肩を押してくれたんだと思っている。
当日会場でまた会えると、booちゃんの教室のブースへ行った。
でも誰もいなくてノートが置いてあり、私は気になって携帯電話したら、「今お母さんの病院行きに付き添ってるから行かれなくてごめん。そこのノートになんか書いてってやあー」といつもの元気な声だったので安心した。
そして会場で、booちゃんに言われたのがきっかけになり、キルト諦めたくなくてベルニナミシンオーロラ440QEを買うことに決めた。


booちゃんからの電話

 イベントからしばらくして新しいミシンが届き、簡単な使い方をミシン屋さんから教えてもらった。
思った以上に使い易くて、その嬉しい気持ちを伝えたくてbooちゃんに携帯メールした。
すぐ「mizumama〜、よかったよかった!ミシン屋さんにちゃんと値切らなアカンでー」って大阪人のbooちゃんらしい返事があった。
その時点で、携帯メールはすぐに返事が来るのに、HPのBBSの書き込みの返事がイベント前から途絶えてることが不安になった。
いつものように携帯メール出したり絵手紙出したりしてたら、7月11日に携帯メールに「mizumama〜、近々告白タイムするから」との意味深なメールが来た。

 そのメールから2日経った7月13日、booちゃんからの電話があった。
「mizumama〜!今入院してんだわ。」まではいつもと一緒の元気な声だったのに、次の言葉が出なくて号泣してる声だけが聞こえた。
どう声かけたらいいか思いつかなくて。。。2、3分も経っただろうか涙声で「mizumama〜、私もうアカンねん。肝臓に転移して末期なんやって。。。今月もたへんかも。。。さっき主治医が強い痛み止め使うって言ってん。。。意識なくなってうわごとでボケたこと言うようになるかも知れへん。。。そうなったらmizumamaにお別れ言われへんようになるから。。。こんな辛いことmizumamaには言いとうなかってすごく迷ってん。。。私まだ40代で若いんだよ、何んも悪いことした覚えもないのに。。。死にとうない。。。。。」
つまりつまり言う電話の向こうのbooちゃんの声を聞き、私も涙が止まらなくて少しの間沈黙が続いた。
「mizumama〜、取り乱してゴメンね。これまで何度も病気のこと言いかけてたのに、病気と共存してるmizumamaがまぶしくて言えなかったんだあ。まだまだ私共存出来ないんだなあ。。。」と力ない声でbooちゃんが言った。
どう答えて言いか迷いながらもbooちゃんに、私が20年前神経難病を発病してからの今までのことや、いつ急変で呼吸不全が起こり気管切開での人工呼吸器になるかわからないから積極的治療を受け入れるかどうか主治医から聞かれているけど、まだハイと返事が出来なくて、共存どころか迷ったままでいることなど、今はただ一日一生と思い生活してて前向きのようでほんとは後ろ向きでいるようにも思うことなど、今思えばかなり支離滅裂な言葉を発してたのかもしれない。
じゃあとbooちゃんが電話を切ってからは、身体の震えが止まらなかった。

 それから1週間は毎日メールのやりとりをして、2日に1回くらいは痛みが和らいだ時に電話がかかってきた。
その電話も「みんなどうしてんかなあ。。。○○はもうミシンなれたかなあ。。。○○は相変わらず飛び跳ねてんやろなあ。。。」って、ネットのみんなの近況を聞きたがった。
でもメールではすごく浮き沈みがあり、心の迷いが感じられ夜眠れないようで、真夜中のメール発信が増えていた。


病室で会ったbooちゃん

 私はどうしてもbooちゃんに会いに行きたくて、玄ちゃんのお休みの7月23日の土曜に行ってもいいかとメールした。
「会いたいけど泣くよ。もう泣いてるよ。辛いよ、みずまー。こんなで会えないよー。あえないよ。」と
でも少しでも元気になってもらいたくて、「そっちの方まで行く用事があるから、病院の下に着いたらメールするから都合悪かったら言ってね。」と病院の駐車場からメールした。
断られるのを覚悟だったけど、「4階に上がって来て。」とのことだった。

 半年ぶりに会ったbooちゃんは、抗癌剤の副作用と痛みと吐き気とで寝返りがやっとで、見た目にもかなり病気が進んでいることがわかった。
最初の瞬間は涙声だったけどすぐにいつものbooちゃんに戻って、いつもの軽快なジョークも飛び出したり、私のミシン第一作目の作品も見てもらえて◎のお墨付きも貰えた。
でもその間、booちゃんは私の手をずっと握って離さなかった。
「mizumama〜、病気と共存するって難しいね。でも今日は来てくれたことで少し元気出てきたから、晩ご飯は吐いても食うぞ〜!」なんて言いながら、吐き気で膿盆抱えていた。
帰り際に阪神でやってる「キルト100人展」のチケットを差し出し、「玄ちゃん、mizumama連れて行ってや〜。でも車椅子で梅田の陸橋渡られるかなあ。」なんて、しんどいのに私の心配までしてくれた。

 その次の日、せっかく貰ったチケットを無駄にしたくなかったので、連日のお出かけになったけど阪神のキルト展に連れて行ってもらった。
阪神に行けてチャックさんのキルトすごかったことや、梅田の陸橋も車椅子のスロープあったことをメールしたら、「うん、行けてよかった。阪神のいかやき食いてーー!」ってbooちゃん流の返信がすぐ帰ってきた。
 
 それから1週間くらいは、ダンナが病室に泊まった日ののろけ話や病室での息子達とのことや、27日には痛みのコントロールのため脊髄に麻酔を入れること、夜中には夜勤の看護師さんのコーヒーのいい香りをさせてくれることなどなど、8月1日までは、毎日1回はメールが来て、それからしばらくメールが途絶えた。
 丁度その時私の家のエアコンが壊れて私も体調が不安定になりメールできなかった。
やっと体調が戻った日、急にどうしてるか気になっていたら「booちゃんの代理」の件名でお友達からのメールがあった。
どうやら私のメールが数日来なかったので、体調崩してないか気にしてて、痛みのコントロールが出来なくて代理でメール頼まれたとのこと。
土曜には近くである作品展の帰りにまた会いに行くつもりにしてたので、そのことをすぐ伝えた。

 6日、顔を見るなり「玄ちゃん、mizumama連れて来てくれてありがとう。」て言って笑顔で迎えてくれた。
その日は近くの友人が来られていて、どうやら以前booちゃんの教室展の時お会いしてたみたいで私を覚えておられた。
友人が帰られてからダンナさんが入ってこられて、booちゃんは本気で家に帰ることで今話を進めていることを聞いた。
「mizumama〜訪問看護受けるようになった時、うまくいった?」って聞かれたので、その日は在宅療養の話になって、喉渇いたのでアイスの実をみんなでわけっこしてくれて一緒に食べた。

 7日は前日に家に泊まった娘が、持って帰る荷物が多いから送って欲しいとのことで、娘のマンションから箕面が近いから2日続けてだけど、3時のおやつ一緒にとゼリー持って、booちゃんに会いに行った。
部屋に入った時は、寝たままでハワイアンキルトのキルティングをしていた。
みんなで一緒に森永モンカフェをストローで飲み、おやつの寒天ゼリーを食べた。
booちゃんは、「もうすぐ退院することがはっきりしたので、今度はうちんちで会ってお昼ごはん食べようね。うちの家は玄関に10段の階段があるけど、玄ちゃんmizumamaを抱えて連れて来てやあ〜。」と言われて「きっと行くから、ご馳走してやあ〜」と約束して帰った。
この日の夜「ごめんね、いつまでもめそめそして。見習わなきゃ」とメールがあった。


念願の退院

 ベットのレンタルの都合で17日くらいに退院と聞いてたけど、10日の朝「明日お昼前に家に帰ることにした!ダンナがあれから走り回ってくれてね。最終的に良い主治医に恵まれたと言う感じ。夫も含めなんども専門医が集まってくれ、退院はわたしにとっては、恐い言葉だったけどクリアできそう。私が車椅子に乗れるまで、みずまー、会いにきてね!」とメールを貰った。
「玄ちゃんの都合がつく14日には、絶対会いにいくからね。」とメールを送った。
その日のbooちゃんは珍しく3回も「今日はみずまー、一人でいる時、こけんようになあ。」とか、その日私のとこにキルトのメル友さんが遊びに来てくれるのを知ったら「新刊のQLいいよ。パッチワークに花を咲かせてやー」とか、いつもは1日1回のメールがやっとなのにすぐ返信が来た。

 11日、朝届いたメールは、booちゃんの名前だけの空メールでした。
すぐ返信出したけど返信が来なくて、帰ってすぐで出しにくいのかもとも思ったけどそれから音沙汰がないので心配になって、13日自宅に電話すると、「実は退院の前の日の夜、呼吸困難になったけど本人の意思で退院しました。今血圧も下がってきてます。でも本人はしっかりしていて、病院の時の痛み、家に帰ってからは言わないんですが、医師から今日明日が山場と言われてます。ご都合がついたら、会いたがってますので来てやって下さい。」とダンナさんに言われ、「明日の朝、起きたらすぐ伺います。」と伝えた。
 14日の朝早くから出かける用意をしていたとき、7時頃息子さんから「今朝方6時過ぎに、母は苦しむことなく息をひきとりました。家族の前で安心して逝きました。」とメールが届いた。
あれだけ家に帰ったらうちに来てと約束してたのに。。。
今となっては約束が果たせなかったことが悔やまれますが、大好きな家で最期を大好きな家族みんなで過ごせられたこと、booちゃんはやはりbooらしく生涯を終えたんだなあと思っています。



 16日のお通夜、17日の告別式には行くことが出来ました。
祭壇には、今年3月の最後の家族旅行で行ったハワイで撮った、booちゃんらしい素敵な笑顔の写真でした。
お通夜もお葬式も、参列者が広い葬儀場の部屋の中に入りきれず、廊下からロビーにまで人があふれ、長い長いお焼香の列になり、誰一人お焼香を終えてもすぐ帰る人はいませんでした。
「24年連れ添っていて、一主婦のはずだった妻がこんなにみなさんに愛されていたことを知りませんでした。ほんとに驚いています。」と言われたくらい、ダンナさんはbooちゃんの友好関係の広さに驚いておられました。


 オフ会でbooちゃんと会ったのは何回あったかなあ。
プチオフ会も入れたら20回、いやもっとあったような気がします。。
 そうそう2002年の神戸キルトウィークで、booちゃんに車椅子押してもらって夜のキルトパーティー行って、チャックさんのトーク聞いて、キャッシーさんファミリーのフラダンス見て、珍しいバイキング料理食べて、すごく楽しい夜過ごせたなあ。
そんときbooちゃんったら、チャックさんとキャッシーさんに、「一緒に写真撮らせて貰っていいですか?」なんてズケズケと言い出すんだもん、ハラハラしちゃったんだよなあ。
 去年の秋はダンナさんと私のとこに来られて、一緒に近くのレストランでランチしながら笑いこけてたなあ。
そんとき大きなオムライス食べた後、デザートも食べようかなあって言って、ダンナさんに食べ過ぎやって言われてbooちゃん未練そうやったなあ。
 そやbooちゃんのHPの初めてのカウプレ、クリスマスタペが私に当っちゃって、ほんとはキットだったのに、作るの大変そうだからと仕上げて送ってくれたんだよね。
 まだ私が病気と障害を持って生きていくことに迷いがあったとき、ネットの12人のサンタさんからの頂いた膝掛け、booちゃんは大好きなハウスのパターン縫ってくれてたんだなあ。
 私が気まぐれに送った今までの絵手紙、みんな大事にコルクボードに貼って、みんなに自慢してるって言ってたなあ。
 booちゃんに何か力になれることないか、考えても考えても何も思いつかなくて、メールや下手な絵手紙出すことしか思いつかなかったけど、何か出来ることなかったのかなあ。

 ここ数日、booちゃんのこと思い出しては涙が出ます。
「ごめんね、いつまでもめそめそして。見習わなきゃ」って、booちゃんから言われてたのに、ほんとは私のほうがもっとめそめそしてるみたいです。
このひとりごとを書きながら、途中で何度も書くのを止めようかなと思いました。
でも書くことで気持ちを整理して、booちゃんに笑われない生き方が出来るんじゃないかなあと思いました。
まだまだ書き足りない気持ちですが、読み直ししてみると、かなり長いひとりごとになってしまいました。
mizumamaのつぶやきだと思って読み流して下さい。
しかし、天国のbooちゃんがこの長〜いひとりごと読んだら、何と言うかなあ。
booちゃ〜ん ありがとう!
まだまだ笑いのネタいっぱい仕入れるまで、そっちに会いに行かれへんから、そんときまで首長うして待っててやあ〜。

booちゃん 享年48歳 ご冥福をお祈りします。         合掌

(2005/8/20)

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