ひとりごと
mizumamaの部屋を開いてから、3度目のお正月を迎えることが出来ました。
以前より筋力も落ちてきているため手芸も思うように出来なくなってるのに、いろんなことにチャレンジ出来た昨年は、ネットに出会う前、部屋の中で悶々としていた私を思うと自分でも信じられないくらいの変わりようです。
中途障害の場合、どうしても心のバリアはなかなか取れません。
知らないところに行くのはなんともなくなっても、以前の私を知ってる人の前に出ることは、かなり躊躇します。
最近は結構いろんなとこに出かけてる私なので、ネットのみんなは不思議に思うかもしれないけど、実は去年の春までは、近所を車椅子で散歩に行ったことがありませんでした。
春に思い切って車椅子を電動に改造して、それまで躊躇してた近所のお散歩も、玄ちゃんに散財させた申し訳なさを思うと出かけない訳にいかなくて、最初は帽子を深めにかぶってこっそりと人気のないとこを選んでの散歩にいきました。
「隠したって、みんな知ってると思うよ。」って玄ちゃんが言う通り、近所の人は笑顔で以前と同じように声をかけてくれました。
立ち寄った駅前の喫茶店のマスターは、車椅子で入れるようにお手製のスロープを作ってくださったり、町ではいろんな方の親切もひしひしと感じ、お蔭様で私の心のバリアは少しづつ取れて、人通りがある駅前も帽子を深くかぶらなくても堂々と前を向けるようになりました。
そうなると、いろんなことにチャレンジしたくなって、電動車椅子で電車に乗ったり、町のバリアフリーチェックに参加したり、町の行事に参加したり、作品展も開くことが出来ました。
ただ1人での外出はかなり困難さがあるため誰かと一緒でないと無理ですが、いろんなところで覚えてくださってる方も増えました。
そうなるとまだまだ自分に出来ることがないかと、昨年末には思い切って家も改造してもらいました。
たぶん以前の私なら、これから病気が進むともったいないようにも思っていました。
でも改造をすることは自分の可能性を広げ、生きることが楽しみになり、諦めない人生が送れるんじゃないかと思いました。
玄ちゃんにはまたまた散財させてしまったけど、きっとパワーアップしたmizumamaをお見せ出来ると思っています。
ネットでは、春に山陰、秋には安曇野で、大オフ会も実現出来、たくさんの出会いもありました。
しかし、療養サイトの方とのお付き合いが多いため、残念なことですが悲しい別れも何度か経験しました。
一期一会の重みをよけいに感じた1年でもありました。
それと我家では、夏に突然の長男が彼女を紹介しすぐに入籍し、先日年の瀬にチャペルで結婚式をし、新郎の母として参列することも出来ました。
お嫁さんから、「お母さん」と呼ばれることに、やっと慣れてきたところです。
世間では、イラク戦争、自衛隊派兵、不況、子どもの虐待などなど。。。怒りや嘆きや悲しみが多いです。
でも一方で、勇気、希望を与えてくれることもあります。
阪神タイガースの快勝は、特別ファンでない私も楽しませてもらいました。
新聞の片隅に載っていた、未来を担う若者が起こした「ピースウォーク」は希望の光を感じました。
2004年の新年を迎え、よけいに平和な世の中であって欲しいと願わずにはいられません。
いろんな方に助けられての私ですが、これからも自分に今何が出来るか、考えて行動していきたいと思います。
これからもmizumamaの部屋をよろしくお願いします。
(2004/1/1)