ひとりごと
24才の長男、22才の長女、21才の次男の3人の子どもがいます。
末っ子の次男は、この春建築の専門学校をやっと卒業して建築会社に就職します。
これでやっと3人全員が社会人になり、一段落つきました。
まだまだ頼りない面もありますが、これからは自立して欲しいと思っています。
長男と長女は途中色々なりたい職業が変わりましたが、次男は物心つくときから一貫してなりたい職業は「大工さん」でした。
これにはきっかけがあるんですが、それは3才位の時新興住宅に住んでいたせいか、まわりでたくさん建築中の家がありました。
大工さんって10時と3時におやつがあるんです。
幼心に、大工さんはおやつをいっぱい食べられていいなあって思ったらしく、羨ましかったようで「ぼく、大きくなったら大工さんになる。」って言ってました。
4才のとき、初めて大阪城を見せたとき「だれがこのお城作ったの?」って言うので、「豊臣秀吉と言う人が作れって言って、大工さんが作ったんだよ。」って言うと、「大工さんってすごい人なんだ。やっぱり僕大工さんになろうっと。」と言いました。
6才のとき、初めて法隆寺を見せたとき「だれがこのお寺作ったの?」って言うので「聖徳太子が命令して、宮大工さんが作ったんだよ。このお寺は1000年立っても壊れないんだよ。」って言うとすごく感心して「やっぱり、僕大工さんになってもう1個法隆寺を建てるんだ。」って言いました。
小2のとき、「お母さん早く来て見てよ!」って言うので、外に出てみると庭になんと小屋が建っているんです。粗大ゴミを拾ってきて、家の大工道具を持ち出して自分で作ったようです。
玄関あり、窓もあり2畳ばかりの部屋が2つあり、ゴザが敷いてて天井は懐中電池がぶらさがってました。もう、ここまできたらちっちゃな大工さんです。
つい、「上手にできたね。」って言うと「僕やっぱり大きくなったら大工さんになるからね。」っと言いました。
小5の時大阪に「ツイン21」の大きなビルが出来、おばあちゃんがそのビルへ食事に連れて行ってもらい、「このビルどうやってまっすぐ建ってるの?」って聞きました。おばあちゃんは、「きちっと設計して1mmも狂い無く作らなくてはならないんだよ。1mm違ってもビルは傾くんだよ。」と聞いて、「僕、こんなすごいビル設計できる人になりたい。」と言いました。
それから何年か経ち高校受験の時、どうしても建築の勉強がしたいと言いました。
でも中学校では羽をのばしすぎておちこぼれ状態。行ける高校はないって先生に言われて、それからの彼は猛勉強をして、なんとか希望の私立の建築科に入ることが出来ました。
高校に入ってからも油断すると怠け病がぶり返しましたが、進路を考える時迷わず頭に浮かんだのは「建築家」だったようです。
なんとか推薦入試で建築の専門学校に入りましたが、2年の時私が入退院を繰り返して家を留守にすることが多かったせいもありますが、留年してしまいました。
去年の就職活動も求人が思ったよりもなく、10社以上受けて毎回の「見送らせてもらいます。」の返事に秋頃は口数も少なくなり、傍で見ていても声をかけにくい状況でしたが、本人がこれが最後だと私に初めて内緒で受けた就職試験で、やっと採用が決まりました。
それからの彼は想像もつくと思いますが、希望に燃えています。
なんていっても小さい頃からなりたかった「家を建てる人」になれるんですから。
ヒヤヒヤの連続でしたが、一貫してなりたかった職業に一歩近づいたことは心から誉めてやりたいと思います。
会社に入ってもこれから勉強の連続です。
10月の「2級建築士」の国家試験が目標のようです。
仕事をしながらはたしてどこまで頑張られるかわかりませんが・・・・・
そんな末っ子ですが、最後のオチがありました。
23日の卒業式を寝過ごして欠席しました。
本人曰く「これが最後のサボりだから。会社に入ってこんなことしてたら、首になるもんな。」ですって・・・・。
まだまだ、気を緩められません。玄ちゃん父さんは、子どもが心配かけるのは私にとって、まだまだくたばれないぞっということで元気印になると言いますが、困ったものです。
(2001/3/25)