ばたばたと時の記念日やりすごす

2012年度  6枚目の手紙  2012年 6月 16日

毎日歯を磨くように、

知性と感性も磨きたいね

 
紅に二寸伸びたるバラのつる 


参観日に向けての保護者アンケートより

心配してもらえることへの安心

(略)

☆子どもの求めを、教師はいつも待っています

☆口ではなく背中で語るのがダンディ、愚痴ではなく夢を分かち合うのがお洒落

親の願いと子の願い

良い子になることではなく良い大人になることが目標

大人が子供の健やかな成長を期待するのは自然なこと。期待を受けて子供が頑張る気持ちを持つのも自然なこと。そして、誰かから何かを押し付けられて反発するのは思春期の子供に限らず大人でも同じこと。「従順な良い子」が「反抗的な娘」に変身していくのは、きわめて自然で健康的なこと。それが自ら判断し責任を持って行動できる大人への道のりです。

願いが自分の願いなら、願いをかなえるための努力を惜しむことはないでしょう。しかし、面倒なことを避け、あれこれ口実を設けて努力を怠るのなら、その願いはその程度の願いに過ぎなかったといえるでしょう。もし、他人の願いを自分の願いのように「錯覚」していただけだったのなら、それに気付いた時に「背負った願い」を放り出したくなるのは自然です。


見付けるべきは問題を見付ける力

答えの見つけ方を見付ける力

「どうしたら勉強ができるようになるのか?」という問いに対する答えは簡単です。「面倒がらずに繰り返し覚えなさい」「時間をかけて問題を解きなさい」「分からないところが見つかったら質問しなさい」です。

しかし、それがすぐにできるなら、誰も苦労はしませんし、悩みもしません。できないことを嘆くのでも責めるのでもなく、有無を言わせずやらせるのでもなく、それができるようになるやり方を見付ける手助けが、本当の支えというものでしょう。一番の問題は、それをする本人が「できるようになりたいという願い」を持てるようになるにはどうすればよいかです。

試行錯誤の価値

自分でスプーンを使えるもん自分でボタンをとめられるもん

2〜3歳の第一次反抗期。上手くできないくせに何でも自分でやりたがる子どもに、親は時間を取られて苛々したはずです。その時、子供のペースで子どもが納得いくまでやらせ、子どもが助けを求めたときに手を貸したでしょうか。それとも、待つ余裕がないままに手を出して、自分で何かをやり遂げる達成感や、そこで得られる自信を奪ってしまったでしょうか。

主体的にする意欲を育てるのか、余計なことをしない臆病さ、他人から指示されるまでしない従順さを育てるのか。今、何をどうすることが成長の助けになるのか。第二次反抗期の今も、同じ課題があるのかもしれません。

出会いにときめく感性

一つの知識を得て十の不思議に出会う楽しさ

「勉強は本来辛いものだ」ということもできます。しかし、年をとっても知的好奇心を失わないのが人間らしさでしょう。知らないことを知る喜び、解けなかったことを解く楽しさを知ればこそ、面倒臭い暗記や単調なドリルにも耐えられるというものです。

家の中で家族と、学校で友達や教師と、自然や社会や人間に対する疑問を投げかけ合う場を持つこと。正解を求めることよりも、不思議を楽しむ心のゆとりを大切にすること。それが「知性」を育てる土壌となるのかもしれません。



ねぇ、どっち?


ねぇパパ、トラとライオンとどっちが強い?

そりゃぁトラさ、昨日の交流戦で阪神は六対一の大勝だぞ

ねぇママ、トラとライオンはどっちが強い?

トラとライオンは住んでるところが違うから闘わないのよ

ねぇママ、ブタ玉とねぎ焼きとどっちがおいしい?

このところキャベツが高いから、今夜はねぎ焼きにしようかしら

ねぇパパ、ブタ玉とねぎ焼きとどっちがおいしい?

それは人それぞれの「お好み屋」なんてね、座布団一枚

ねぇパパ、国語と英語とどっちが大事?

アメリカ人にはどっちも同じさ

ねぇママ、国語と英語とどっちが大事?

英語が話せる人ってかっこよく見えるのよねえ

ねぇママ、掛け算と割り算とどっちが難しい?

ママ昔から数字が苦手なの、家計簿付けるの大っ嫌い

ねぇパパ、掛け算と割り算とどっちが難しい?

人生、賭けるのも割り切るのも難しいもんさ

ねぇパパ、子どもと大人とどっちが楽しい?

パパは永遠の少年さ

ねぇママ、子どもと大人とどっちがステキ?

夢のある子どもと思い出のある大人ならどっちもステキよ

ねぇママ、生きるのと死ぬのとどっちがつらい?

生きている辛さの中に死ぬ辛さがあるのよ

ねぇパパ、生きるのと死ぬのとどっちがつらい?

お前が元気でいてくれれば、それが一番さ

今日と明日とどっちが楽しい?ねぇ……

見えるものと見えないものとどっちが大切?ねぇ、ねぇ……

どっちかなぁ、お休みなさい

どっちかなぁ……おやすみなさい




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梅雨を待つレインシューズの水洗い

2012年度  5枚目の手紙  2012年 6月 6日

母は母である前に一人の人間

君は京女生である前に一つのいのち

 
変わることが紫陽花らしさ    

進路を探るシリーズ 第5回

他者を排除する力は
自己を排除させる力にしかならない
違いを受容できる力を育て
違いから創造する力を身に付けよう

多様性を創造性に繋げる力

どのクラスでも、文化祭展示発表の企画書作りが進んでいるようです。

どのクラスでも、多様なアイデアが出て、意見の違いを一つにまとめることに苦労しているようです。

君がこれから生きていく社会には、学校の中とは比較にならないほど多様な人々が存在し、調整不能と思える利害関係に振り回されつつ、感情的ないがみ合いを乗り越えて、なんとか「折り合い」を見付けながら生きていこうとしているのです。それには頭の柔らかさと心の強さが必要です。

自分の思いを一方的に押し付けるのではなく、納得せぬまま一方的に我慢するのでもなく、安易な多数決に逃げ込むのでもなく、単純に足して二で割るのでもなく、互いを活かし合う三つ目の道を見つける力を身に付ける。共に育て合い、鍛え合う場が京女の文化祭です。

違う意見は自分にとって面倒な邪魔者ではなく、小っちゃな自分を大きく育てる成長の糧。違う相手を否定するのではなく、相手と共に自分一人では思いつかなかった豊かな世界を創造する楽しさを手に入れる。感情的な攻撃でも防御でもなく、頭と心と体を使って未来を切り開くための知性と感性を磨く。文化祭の取り組みは、君の「進路」の支えになるはずです。




     ちっちゃな独楽(こま)



  僕らの銀河は毎秒600qで宇宙を漂い

  僕らの太陽系は毎秒217qで銀河を巡り

  僕らの地球は毎秒30qで公転し

  僕らは毎秒500mで自転する地球に乗っかっている



  僕らの銀河は250万光年隣にある

  アンドロメダ星雲と引き合っていて

  40億年後に衝突し

  60億年後に合体するとか



  僕らは寝ても覚
(さ)めてもおならをこいても

  毎日宇宙を5000万qぶっ飛びながらクルクル回り

  やがて一つの銀河に溶け合うのだ



  僕らの未来の伴侶はアンドロメダからこっちを眺め

  自分中心にクルクル回ってぶつかり合ってる

  僕らを慈
(いつく)しんでいるのだ






     花ガラ摘み



  いつからだろう、そうなったのは  咲き初めの生の喜び

  咲きかけるつぼみの一つ一つに明日を夢み

  咲きそろう鉢の一輪一輪に語りかけ

  漂う花の吐息
(といき)を嗅(か)ぐ喜びを知ったのは



  いつからだろう、そうなったのは  散り際の死の切なさ

  咲き誇る鉢の一輪一輪に心惹
(ひ)かれず

  花ガラを一つ一つ摘む手触りに心奪われ

  まだ摘めぬ花に軽い失望を感じ始めたのは



  花ガラ摘みは人の身勝手

  摘まれるほどに花芽を付け続けた鉢も

  時が来れば種を結べぬまま透けていく



  花は未来の花のために咲いているのに

  人は人が満ち足りるために

  今日も花ガラを摘んでいる





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手になじむ湯呑に香る母の愛

2012年度  4枚目の手紙  2012年 5月 9日

「お茶にする?」って

声が聞こえる

家に住みたいね

 
メダカ池に転校生がきました  

進路を探るシリーズ 第5回

いま自分に、本当に必要なもの何か

自分達がまともに生きていく社会をつくるために

いま、必要なことは何か



        人生が二度あれば

             作詞・作曲 井上陽水

父は今年二月で 六十五
顔のシワはふえて ゆくばかり
仕事に追われ このごろやっと
ゆとりが出来た
父の湯飲み茶碗は 欠けている
それにお茶を入れて 飲んでいる
湯飲みに写る自分の顔を じっと見ている
人生が二度あれば この人生が二度あれば

母は今年九月で 六十四
子供だけの為に 年とった
母の細い手 つけもの石を
持ち上げている
そんな母を見てると 人生が
だれの為にあるのか わからない
子供を育て 家族の為に 年老いた母
人生が二度あれば この人生が二度あれば

父と母がこたつで お茶を飲み
若い頃の事を 話し合う
想い出してる
夢見るように 夢見るように
人生が二度あれば
この人生が二度あれば
人生が二度あれば
この人生が二度あれば
この人生が



        傘がない

            作詞・作曲 井上陽水

都会では自殺する若者が増えている
今朝来た新聞の片隅に書いていた
だけども問題は今日の雨 傘がない
  行かなくちゃ君に逢いに行かなくちゃ
 君の街に行かなくちゃ 雨にぬれ
    つめたい雨が今日は心に浸みる
    君の事以外は考えられなくなる
    それはいい事だろ?

テレビでは我が国の将来の問題を
誰かが深刻な顔をしてしゃべってる
だけども問題は今日の雨 傘がない
 行かなくちゃ君に逢いに行かなくちゃ
 君の家(うち)に行かなくちゃ雨にぬれ
   つめたい雨が僕の目の中に降る
   君の事以外は何も見えなくなる
   それはいい事だろ?

 行かなくちゃ君に逢いに行かなくちゃ
 君の街に行かなくちゃ 雨にぬれ
 行かなくちゃ君に逢いに行かなくちゃ
 君の家(うち)に行かなくちゃ雨の中を
 行かなくちゃ君に逢いに行かなくちゃ
 雨に濡れて行かなくちゃ
 傘がない

■ 見失った理想と生きがい

右に載せた二つの歌は、今からちょうど40年前の1972年5月に発売された井上陽水のファーストアルバム『断絶』に収められた曲で、当時の若者の間で大ブームになったヒット曲です。

この二つの曲にはアルバムのタイトルの「断絶」がひそんでいます。『人生が二度あれば』では、戦争や戦後の混乱をくぐり抜け、やっと「豊かな生活」を手に入れかけた親の世代と、一見平和に見えながら矛盾に満ちた社会の中で生きる目標を見出せない若者との断絶が唄われています。

『傘がない』では、世の中を変えることにあきらめを感じ、社会の矛盾から目をそらし、社会と断絶して個人の内面の世界に沈み込んでいく若者の姿が唄われています。

この歌をギターで弾き語りし、レコードが擦り切れるまで聴いた若者が、その後の社会を支えてきて、いま50〜60代のおっさんやおばさんになり、会社を定年し、子育てを終えようとしているのです。

■ 無関心が生み出したもの

1970年には『人類の進歩と調和』をテーマに、大阪で万国博覧会が催されました。それは経済大国となった日本の経済発展を世界に知らせるイベントで、日本中がお祭り騒ぎに浮かれました。

その万博の開幕に合わせて建設されたのが日本最古の軽水炉型商業原発である敦賀1号炉でした。万博の開会式では「原子力の灯がこの万博会場へ届きました」とアナウンスが流され、日本の原子力発電の夢と希望が宣伝されたのです。その2年後の1972年には、札幌オリンピックも開かれましたが、次のような出来事も起きました。


2月 - 連合赤軍によるあさま山荘事件。

4月 - 川端康成がガス自殺。

5月 - アメリカから沖縄返還、沖縄県発足。

6月 - 田中角栄通産相「日本列島改造論」発表。

12月 - アメリカ軍、北爆再開(ベトナム戦争)。

社会の変革をしようとした人たちの一部は暴力をふるって人々の暮らしを脅かし、仲間同士で殺し合い、国民からそっぽを向かれました。日本の政府は、「人生や社会の豊かさは物やお金の多さで決まる」という価値観(大事にする考え方)をもとに、山を削り、海を埋め立て、川をコンクリートで固め、『豊かな社会』を支えるための高速道路や新幹線や原子力発電所を次々に建てていきました。

また戦後、アメリカ領となっていたオキナワは日本にかえされましたが、アメリカ軍の基地はそのまま残され、そこから飛び立った爆撃機やアメリカ兵がベトナムの人を殺し自然を傷付けました。そしてベトナム戦争が終わって40年近くたった今も、アメリカ軍基地は沖縄の人々の暮らしを圧迫しています。

その後、膨張した「発展」の泡(バブル)は壊れ、社会のゆがみが噴き出し、毎年3万人以上の自殺者が出て、老人が孤独死をし、若者が就職も結婚も子育ても安心して出来ない社会になってしまいました。そうした社会はどこかの知らない誰かによって知らぬ間に作られたのではありません。

理想を掲げず、社会の矛盾と向き合わず、問題を解決するために闘うことを避けてきた私たち大人が作ったのです。そして2011年3月11日の大震災と原発事故が、今を生きる私たちに社会をこれからどう作り直していくべきなのか問いかけているのです。

■ 何かを作り出す喜び、そして自分が役割を果たせる喜びを
    文化祭の準備で見つけよう

どこの大学に進むのかではなく、何を実現するために何を学びたいのか。どんな仕事につくのかではなく、誰のためにどんな役割を果たしたいのか。それが自分の進路を見つけていく基本です。世の中の矛盾に気付く力。解決すべき問題と向き合い、時にそれと闘い乗り越えていく力。くじけて諦めかけてしまう心を励まし合える仲間を作る力。その力を手に入れることが、自分の夢を見つけ、豊かな社会を実現する道であり、その道のりに文化祭のクラス発表もあるのだと気付いてください。



保護者のみなさまへ

参観日全体会にて


本日は、お忙しい折にもかかわらず、中学2年生第一回授業参観・クラス懇談会にご参加くださりありがとうございます。新学期が始まってから一カ月程しかたっておりませんが、新入生を迎えて「先輩」になったことで、生徒たちの様子は大きく変わりかけています。その変化の様子とこれからの課題について、全体会の場でいくつかお話しさせていただきます。

@ しっかりした子が増えてきました

何をするにしても初めてでオロオロしてばかり、指示が出るまでトロトロしているばかりだった一年前と比べ、自分が置かれた状況を自分で判断し、少しばかり先を読みながら行動できる子が増えてきました。先日の花祭りでも、教員が教室の見回りに行った時には、全員が教室を出て講堂に向かっていました。

授業の始まりに当たっても、ちゃんと授業の準備をそろえて机に座っていられる子が増え、議長が「起立」の号令を掛ける前に自分の判断で立ってあいさつの姿勢を取れる子も増えてきました。

一時間、落ち着いて授業に参加できる子が増え、いちいちノートに書きなさいと言われなくても自発的にメモを取り、授業の後で質問に来る子が増えてきました。

ホームルームの話し合いでも、自分の意見を言うだけではなく人の意見を聴きながら参加できる子が増え、掃除の手順も覚えて教師が細かに指示をしなくても段取りよく片付けられる子が増えてきました。

幼稚な悪ふざけや過度の自己アピールが減り、周りへの気遣いができ、大人に対しても適当な距離と礼儀をもって接することのできる子が増えました。

A 不安定な子、無気力な子が目立ってきました

思春期に突入して、今までとは違った目で自分自身を見つめ始め、他人との関わりについて悩み、ゴチャゴチャモヤモヤした思いをどうしてよいか分からずにいる子が目に付いてきました。

授業中ボンヤリあらぬ方向を見ている子、前を向いたまま口を開けて寝ている子、始業の挨拶が終わった後でロッカーに教科書を取りに行く子、教科書もノートも出さずにいて注意されるとふてくされたように言い訳する子が目に付きます。

声を掛けたり面談したりしても大事なことははぐらかし、対話を避けてやり過ごそうとする子もいれば、妙に甘えた物言いをしてみたり、サラッと人の気を惹いてみたりする子がいます。

クラブを辞めてしまってエネルギーの発散の場所や生活の支えとなる場を失い、フラフラ所在なさげにしている子が目に付きます。

京女で学び続ける目的や自分の将来について考えては見るものの、簡単には答えが見つけられず、イライラしたりグズグズしている子が目に付きます。

人との関わりに自信を無くして、自分から関わりを絶とうとしてみたり、何とか結び目を見つけようと行きつ戻りつしている子が目に付きます。

B 保護者のみなさまへのお願い

@ 家庭で果たすべき役割を示してあげてください

ひょっとしたらうちの子は自分の力の無さが情けなく、自己嫌悪にさいなまれているのではないか?友達や姉妹との間で劣等感を抱きながら暮らしているのではないか?人との関わりに自信を無くしているのではないか?と思い当たられるならば、どうか彼女の身の丈に合った役割を家で与えてあげてください。

「あなたがいてくれるだけでいい」と心底思っていて下さっているかもしれません。しかし、誰しも自分がいる場所で、自分の価値を実感したいものです。家の中で何らかの役割を果たし、ちょっとしたことでも「ありがとう」って言ってもらえるだけで、心が休まり元気が出ることがあるのは、大人も同じでしょう。

A グチは黙って聞いてあげてください

何かちょっと愚痴っただけで、それはドウなのコウなのと根掘り葉掘り問い詰められたり、アアしろコウしろと意見されたらげんなりするもの。その上、頼みもしないのにアレコレされたらたまりません。

嫌なこと辛いことがあっても誰かに聞いてもらえただけで気が楽になり、「大変だね」って受け止めてもらえたらそれだけで頑張れることも多いはず、なのは大人でも同じでしょう。

B 夢にケチをつけないでください

13歳の時に夢見たことをそのまま抱き続けて実現している大人が100人中何人いるでしょう。そもそも、アンナふうになりたい、コンナふうにしていきたいって願いをはっきり口に出せる人の方が少ないかもしれません。大切なのは挑戦する意欲とやり遂げる粘り。

命にかかわる危険なことでもない限り、大人の目から見てそれが子供じみていようと、非現実的であろうと、否定することは百害あって一利なし。それを実現する方法を一緒に考えてあげてください。それが何であれ、意欲的に取り組む力が養われれば、それは別の道に進んだ時にも役立つものだという経験を、大人は持っているはずです。

C 管理するのではなく自己管理の手伝いをしてあげてください

朝、親がたたき起こさないと起きられない。親がそばについていないと宿題一つやらずにダラダラしている。四六時中携帯をいじっていて、親が取り上げないと止めない。そんなこんなで毎日イライラのスパイラルに陥ってお悩みのご家庭もおありのようです。

自分で起きられるようにするには生活改善の工夫が必要。勉強するにはそれなりの動機付けが必要。携帯をいじり続けるにはそれなりの訳があるはず。

いま彼女が課題を克服するためには何をどう変えていくことが必要なのか、一緒に考えてあげてください。何べん言っても言うことを聞かないのは、言ってるだけだからだめなのか、言ってる中身がずれているのか、そこに思い至るゆとりが大人には必要ですよね。

D 守ってあげるべき秘密と見抜いてあげるべき秘密

あるクラスで授業中にこんな話をしました。「お母さんが自分のプライバシーを侵害したり、親の願いを無理やり押し付けてくるようなことがあったら、静かにお母さんの目を見て教えてあげなさい。『お母さん、もうへその緒は切れてるのよ。知らなかった?』って。」

自立の第一歩は親に秘密を作ること。その一方で、親に気付いてもらえない辛さを抱えている子もいるはず。バレたら怖いし知られたくないことだけど、親が気付いて何とかしてあげないといけないこともあるはずです。その一つがネットの世界と学校の行き帰り。

我が子を見守る目を、一つでも多く持つ工夫を大人同士で見付けたいものですね。


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野辺の花 名も知られずに蜜捧ぐ


2012年度  3枚目の手紙  2012年 4月 24日

物の値打ち、人の値打ちって

何で測ったらいいんだろうね

   
水色の六弁の花の名は     

進路を探るシリーズ 第4回

お釈迦さんもイエスさんも
お母さんから産まれてきた
男中心で成り立ってきたこの世の
ゆがみを
治せるのは女の知恵と力かも

女がいなけりゃ この世は闇

■ 南の世界では

旧暦4月8日はお釈迦さんのお誕生日と。学校では月遅れの5月8日にお誕生会の花祭り(灌仏会)を行います。

お釈迦さんのお母さんのマーヤー(麻耶)さんは、6本の牙を持つ白い象が胎内に入る夢を見てお釈迦さんを身ごもり、出産のために郷里に帰る途中に立ち寄ったルンビニーの園でアショーカ樹(無憂樹)の花に伸ばした右腕の脇の下からお釈迦さんが生まれたと伝えられています。

しかし、お釈迦さんを産んで一週間後に亡くなってしまい、その妹が継母となってお釈迦さんを育てました。

■ 西の世界では

一方、胸に銀のクルスを掛けているクリスチャンの人は、4月8日は花祭りではなくイースター(復活祭)のお祝いをしたはず。信ずる者を救って下さるイエスさんが十字架にかけられて死んだ三日後、復活したことを祝う日。

そのイエスさんのお母さんは聖母マリア(サンタ・マリア、別称ノートルダム)さん。天使ガブリエルが処女だったマリアさんに「お前は聖霊によって神の子を身ごもった」と告げ、マリアさんは10か月後の12月25日にイエスさんを出産したのです。

■ 日本の国では

その神さんじゃなくて、家の神棚には天照大神(アマテラスオオミカミ)という女神さんの名前が書かれたお札がまつってあり、一年中家族を守って下さっているという家もあるかもしれません。

アマテラスは日本の太陽の女神様。天皇家の祖先とされ、明治時代には日本の神様のトップと認定されました。



        同じ命のそれぞれが



    僕らは何処
(どこ)に居ても

    一人ぼっちにはなれないんだ

    命を育む水と光と風に

    今も助けられている



    僕らは此処
(ここ)にいる限り

    互いに僕であり君であり続ける

    命の素(もと)の水と光と風に

    僕らが還って行く日まで



    生はしばしの出会い

    同じ命のそれぞれとして

    此処で共に交わる



    死はしばしの別れ

    同じ命のそれぞれが

    其処
(そこ)で一つに溶け合う



日本の国のもとを作ったイザナギ(男神)とイザナミ(女神)の兄妹は夫婦となって交わります。イザナミは火の神を産んだ時に股をやけどして死に、黄泉(ヨミ)の国に行ってしまいます。そのイザナミを地上に連れ戻そうとして失敗したイザナギが、ケガレを流すために洗った左目から生まれたのがアマテラス、鼻から生まれたのが弟のスサノヲでした。

天上の世界を治めたアマテラスは、スサノヲの乱暴に怒って天岩戸(アマノイワト)に隠れてしまいます。すると世界中は闇に閉ざされ災いが満ちあふれました。困った神様たちは、知恵を出し合い、それぞれの特技や力に応じた役割分担をしてアマテラスを岩戸から引き出す作戦に出ます。

その中心になったのはアメノウズメという名の女神さん。岩戸の前でコミカルな裸踊りを演じると、神様たちは大爆笑。その笑い声でアマテラスは、まんまと外におびき出されてしまいます。

そして世界に光が戻り、みなは幸せに暮らしましたとさ。メデタシメデタシ。
 
  産み出す 救い出す 照らし出す

2000年以上前のマーヤー、マリア、アマノウズメのエピソードから、君は何を導き出すでしょう。

目先の小っちゃな損得勘定や不安に振り回されず、何かを信じて自分を活かせるチャンスを掴む。それが、今の自分にできないこと、他の誰にもできないことを、「できる自分」に育てるはずです。



知識や技術は必要だし、

誰かに認めてもらうための資格も有効

でも、もっと大切なのは

「ここでの自分の役目」に気付くこと

この世で今、

「自分が果たすべき役割」を成し遂げる力

「手に職」よりも「天職」を見つけられたら

幸せだとは思いませんか?


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花びらを散らして実るサクランボ


2012年度  2枚目の手紙  2012年 4月 14日

いのちに気付こう

いのちを燃え立たそう

     
生まれて初めて花をつけた桜     

      身につけるべき力
それを支える力    

私たちは一年前、入学してきたみんなに、下の三つの力が育つように努力することを「中学1年生への指導目標」として示しました。それから一年たった今、その力がしっかり育ってきた人もいれば、まだまだ未熟な人もいます。

中学1年生への指導目標

一. 一人ひとりの願いの実現に必要なのは何か?
それを探し、支え合える力を育てる
同じだけど違うのは? 違うけど同じなのは?
居場所をどうつくる?
二. 困ったときにどうすればよいか?
それを考え、実行できる力を育てる
どう耐える? どう打ち破る?
助けをどこに求める?
三. 果たすべき役割はなにか?
それを見つけ、実現できる力を育てる
より高い望みは? 自分には何ができる?
誰と、どうつながる?


中学生になってからの一年間、人生経験の少ない君たちの前には、日々未知の困難が立ちふさがり、子育て経験の少ない親御さんの前には日々新たな心配が沸き起こってこられたと思います。そして、その一つひとつを乗り越えていく中で、子どもも大人も少しずつ育つことができたのではないでしょうか。

これからの一年間、三つの力がより大きく強く育つよう、私たちも投げず怠けず知恵を出し合い、一人ひとりに寄り添いあるいは向き合って、一人ひとりが自分の進路を切り拓くうえで突き当たる悩みや辛さや心配を共有し、一緒に成長していけることを願っています。


      なまめく命



    桜の木を眺めて思う

    桜がこんなにもなまめかしいのは

    微かに淡いピンクのせい

    吹雪いて散り敷く舞のせい



    桜の一輪を見つめると気づく

    中心に屹立した一本の雌蕊
(めしべ)

    競うように取り巻き花粉を掲げ

    伸びあがる数十本の雄蕊
(おしべ)



    一輪の花に激しい恋が宿り

    一本の木に何万もの恋が群れ

    噴き出す桜の命の営みに人は酔うのだ




学ぶのは子供、育てるのは親、それを手助けするのが学校

でも 同じ時空に生きる人間同士

子供も大人も越えるべき課題は、たいして変わらないかもしれません

みつける いどむ やりぬく 心配なのはわかってる でも
私と一緒にジェットコースターには乗らないで
ただ 降りてきたとき大丈夫って抱きしめて
じれったいのは分かってる でも
私の代わりにボートのオールをこがないで
ただ 元気が出るようチョコを一欠け食べさせて
まつ うけとめる ささえる



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見も知らぬ土に 根を張る種一つ

2012年度  1枚目の手紙  2012年 4月 9日

あれから一年、

これからの一年、

同じではいられない

 
ひそかに香る沈丁花      

知ってることはすべて過去のこと
僕らの前には
知らないことしか待っていない

「知る喜び」があります。
でも、知識を持っているだけでは力になりません。

「する楽しさ」があります。
でも、経験を重ねているだけでは力になりません。

僕らは昨日までに身に付けた知識と経験を、目の前に立ちふさがる困難を乗り越え、明日へ向う道を探って踏み出す力に変えていかなければなりません。

あやふやな知識に惑わされず、わずかな経験にとらわれず、いっしょに、生きていくための力をつけましょう。


        知りたくって



    花曇りの空を見上げて溜め息ついた



    この天
(そら)は果てしなく広いのに

    自分はこんなにも小っちゃくって

    あの人の心の闇は底知れず深いのに

    自分はほんの上っ面しか見られなくって

    それでも何かが分かりかけた気がして

    ときめいて

    何にも分かっちゃいないことに気付いて

    落ち込んで

    それでもくじけず知ろうとし続けて



    バッカみたいって笑う君が眩
(まぶ)しい




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