Top Pageへ戻る





なごり雪 振り払いつつ 発つ朝
(あした)

2011年度  38枚目の手紙  2012年 3月 19日

    困った人は困ったことを投げ出す人

    困った人を救えない人


45億年の時を刻む日時計 



     なにはどうあれ、とにもかくにも

  みんなでこの日を迎えられて、ありがとう




中学校生活の1年目を、みんなは乗り切ってくれました。勉強するのは当たり前、クラブをするのは個人の好き好き、その上で議長の仕事を頑張ってくれたり、勇気をもって生徒会に立候補したり、いろんな成果をつかんでくれた人がいます。

その一方、やるべきこともなかなかできず、やりたいことも思うようにいかないまま、一年生の終わりを迎えた人もいます。それでも……

何はともあれ、一つの節をクリアしました。

気持ちよく次の節目を迎えましょう。


(中略)


      見えないけれどありがとう



  愛の重みをもらったモノでしか

  量れない人もいるものだから

  チョコにバッグにワインにリング

  いつでもわたしはあなたへの愛を

  あなたにあげるモノで告げた



  愛の深さをしてもらったコトでしか

  測れない人もいるものだから

  ハグしてキスしてシチューを煮込み

  いつしかわたしはあなたへの愛を

  してあげるコトで繋ぎはじめた



  不安な愛は形をほしがるものだから

  指に触れるモノがあれば

  言葉以上のコトをすれば



  くれなくたって逢えたらいい

  してくれなくても居てくれたらいい

  出会えたあなたにありがとう



  不安な愛は形をほしがるものだけど

  指に触れるモノはなくても

  浮かぶ微笑み交わす眼差し

  言葉以上のコトはなくても

  静かに流れる二人の時間


保護者のみなさまへ

「進路」について語り合って


一年生の修了式が終えられました。「無事に」とは決して言えません。様々なことを経て、それでもなんとかこの日を迎えられたのは、保護者のみなさまの多大なるご理解とご協力をいただけたからこそだと思っております。不行き届きや、みなさまのご期待にそえなかった点につきましては、深くお詫び申し上げます。

さて、本日修了式終了後、学習面で特段の励ましがいる生徒につきましては、「激励会」に参加してもらい、「激励の手紙」を渡しました。生活も含め、今後の学校生活に支障が出ると心配される生徒につきましては、この春休み中か新学年早々に、保護者の方も交えて面談の場を設けさせていただきたいと存じます。

また、本日配布いたしました「保護者アンケート」にお気掛かりな点はご記入のうえ、早めにご相談が必要なことがございましたら、担任までご連絡ください。

春休み中には、ご家族で心身ともにリフレッシュできる場を工夫していただき、四月の新学年を意欲的に迎えられるよう、ご指導よろしくお願いいたします。

一年間、ありがとうございました。次年度もよろしくお願いいたします。

        熟させたいなら



    未熟な実は青々として

    艶やかな夢を秘めてはいても

    青い実は固くて小さい

    青い実は鳥も食わない



    青く固い実の半ばは

    ふくよかに色付く時を待たず

    吹き荒れる風に払われ

    降り止まぬ雨に腐れる



    あるがままにあるものは

    あるがままに生を受け

    あるがままに死を受け入れる



    君がその実を熟させたいなら

    君はその実のあるものとなり

    君の力を振り分けよ



    その実が求めている分だけの

    君の力を振り分けよ



 
目次に戻る




























































何のため 何を学びし 学びの舎
(や)

2011年度  37枚目の手紙  2012年 3月 13日

    そのページを閉じなければ

    次のページは開けないのです


桜のつぼみも花咲く準備 


        君は何を祈るのか


明日の「3年生を送る集い」で、君たちは「Hey 和」を合唱するようですね。昨日の練習では、まだ歌詞がうろ覚えだったり、リズムに乗れず、音程が取れず、声が出ず……苦労している人がたくさんいましたが、明日は大丈夫でしょうか?

唄は歌詞が命。みんなは卒業していく3年生に対して、何を「神」に「祈るように今日も唄う」のでしょうか。それがちゃんと心に思い浮かべられてさえいれば、多少歌詞を間違えようと、音が外れようと気にすることはありません。三年生に思いが届くよう、しっかり声を出すだけです。

集いが終わった今週末、君たちは参加できませんが、中学校の卒業式が催されます。その卒業生の退場の際、送る人たちが「蛍の光」を歌います。「蛍の光」は大みそかのTV番組や、スーパーの営業終了前によく流れているので、メロディーは誰でも知っていると思いますが、右に載せた歌詞の意味を気に掛けずに歌っている人も多いようです。

「蛍の光」の原曲は「オールド・ラング・サイン」(Auld Lang Syne=old long since=昔むかし)というスコットランド民謡とされていますが、実はちゃんと作詞・作曲者がいて、内容は昔の友と再会して酒を飲みながら昔を懐かしむという歌でした。そのメロディーに、世界各地でいろんな歌詞が付けられてきたのです。

日本では文部省唱歌の作詞者の一人だった稲垣千頴(ちかい)が詞をつけて愛唱されてきました。

「蛍の光」が流れるこの季節、日本人は何を歌ってきたのか、その歌詞の意味と歴史を知っておくのもよいと思うので、Webの記述を利用して紹介します。それを知ったうえで、この歌を口ずさんでください。


      Hey 和 (ゆず)

            作詞・作曲:北川悠二

  神は僕らの心の中にある

  一つ一つの命の中に

  耳を澄ませば聴こえてくるだろう

  気付かずにいた生命
(いのち)の声を



  見上げた夜空に君を思うよ

  体中に感じるぬくもり

  どこにいたって一人じゃないんだ

  深い悲しみに涙あふれても

  Wow… 祈るように今日も唄う



            (以下略)



■ まずは古典の復習として

一番の「蛍の光 窓の雪」は、一所懸命に学問にはげむこと。大昔の中国にいた車胤という人は、貧乏であかりをともす油が買えず蛍の光で勉強し、孫康という人は窓の外の雪に反射する月の光で勉強していたという故事がもとになっています。

そして「すぎのとを」は掛詞。年月が「過ぎ」ると、教室を出る「杉の戸」と、当時の小学校の卒業の年である「10」歳を掛けてあります。そして「開けてぞ今朝は別れ行く」は係り結びで、ここが思いの中心です。

四番の「至らん國」の「ん」は推量の助動詞「む」の連体形で、「これから任務につくことになるだろう国(土地)」。「ん」については、打消しの助動詞「ず」の連体形と考え、「日本の力が及んでいない敵国」という解釈もあります。

「背」は夫や兄のことなので、どっちの解釈にしても、「うんと勉強した後、兵隊になってお国のために戦いに行く大切な人が元気でありますように」と見送る歌になります。

■ 次は社会の予習として

三番の二つの地名は、日本の経済発展を支えた地域。明治の初めから「筑紫」は九州の炭鉱地帯、「陸の奥」は東北の鉄鉱石の産地でした。四番の二つの地名は日本の軍事的拠点。「千島」は第二次世界大戦後にロシアが支配する北方領土、「沖縄」はアメリカの領土となり、現在もアメリカ軍の多くの基地がおかれています。

つまり、三番と四番は、日本を経済大国・軍事大国にするために、「遠く離れた場所にいても、国民すべてが心を一つにして、お国のために尽くそう」という意味。そこで四番の歌詞は、日露戦争後には「台湾の果ても樺太も 八洲の内の守りなり」と変えられています。それゆえ、戦争放棄をした日本国憲法のもとでそんな歌を歌うのはまずいんじゃない?ということで三・四番は学校で教えないようになった様子。

一方、日本の侵略支配からの独立を目指した朝鮮半島では、このメロディーに「わが大韓万歳!」という歌詞をのせて唄い、1948年まで韓国の国歌となっていたそうです。

■ 最後に宗教の自習として

実はこの曲、クリスチャンにとっては讃美歌370番「目覚めよ我が霊(たま)」としてなじみ深い曲だそうです。歌詞は、神様の力を信じて困難にも立ち向かえば、必ず神様は救ってくださるという意味のようです。

さて君は、これからどんな思いでこのメロディ-を聴くのか、唄うのか……


        蛍(ほたる)の光

        小学唱歌集初編
        (明治一四年十一月二四日付)


  一 螢の光、窓の雪

    書
(ふみ)読む月日 重ねつゝ

    何時しか年も、すぎのとを

    開けてぞ今朝は 別れ行く



  二 止まるも行くも 限りとて

    互に思ふ 千萬
(ちよろづ)

    心の端
(はし)を 一言(ひとこと)

    幸
(さき)くとばかり 歌うなり



  三 筑紫
(つくし)の極(きわ)み 陸(みち)の奥

    海山遠く 隔
(へだ)つとも

    その眞心
(まごころ)は、隔て無く

    一つに尽くせ 國
(くに)の為



  四 千島の奥も 沖繩も

    八洲
(やしま)の内の 護(まも)りなり

    至らん國に 勲
(いさを)しく

    努めよ我が背 恙
(つつが)無く




目次に戻る







































































ぼんぼりに ともした夢は 桃の色


2011年度  36枚目の手紙  2012年3月3日

将来は妃(きさき)か官女か大臣か、

桃の節句に夢見てください

進路を探るシリーズ 第3回 名を残す

死んだあとに残したくないのは……借金

死んだあとに残したいのは……

財産? 子孫? 思い出?

それとも歴史に残る自分の名前?




進路前にも花が咲いてます

恋多き才女になってみない?

百人一首の中には、女性が歌った歌が何首あるか数えてみたことはありますか?そして女性の名前は本名ではなく、父や夫や息子や、自分が仕えたご主人様とのかかわりでつけられたニックネームだということに気付いていますか?女性は公の場では本名を名乗ることはなかったのです。

百人一首でおなじみの次の四人は、二組の母と娘です。いずれも一条天皇の中宮(たくさんいる妻の内の一人)となった彰子に仕えた点で共通しています。その人生をちょっとのぞくとヘェ〜と思うようなことも。

紫式部 大貳三位
平安中期の作家、歌人。

父は学者で詩人の藤原為時。
藤原宣孝に嫁ぎ、娘である大弐三位を産む。

夫の死後、一条天皇の中宮・藤原彰子に仕え、その間に『源氏物語』を書いた。

中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。


むらさきしきぶ


平安中期の歌人。

父は藤原宣孝で、母は紫式部。

本名は藤原賢子(ふじわらのかたいこ/けんし)。藤三位(とうのさんみ)、弁乳母(べんのめのと)とも呼ばれる。

3歳ごろ父と死別。18 歳ごろ、母の後を継いで彰子に仕え、多くの上流貴族男性と交際をする。


だいにのさんみ



紫式部の本名はよくわからず、「藤原香子」(かおりこ / たかこ / こうし)とする説もある。

父である藤原為時の役職が式部だったので、「藤式部」と呼ばれていたが、『源氏物語』が評判になった後、物語中の人気登場人物「紫の上」から「紫式部」と呼ばれるようになったそうな。

関白藤原道兼の次男兼隆と結婚して娘をもうけたが離婚。その後、後冷泉天皇の乳母に任ぜられ、東宮権大進高階成章と再婚。

後冷泉天皇の即位とともに従三位に身分が上がり、夫成章も大宰大弐に就任したので「大貳三位」と呼ばれるようになったそうな。

和泉式部 小式部内侍
平安中期の歌人。

父は越前守・大江雅致。和泉守・橘道貞の妻となり、夫と共に和泉国に住む。女房名「和泉式部」は夫の任国と父の官名を合わせたもの。

道貞との結婚生活はうまくいかなかったが、娘の小式部内侍は歌才を示した。


いずみしきぶ


平安中期の歌人。

父は橘道貞、母は和泉式部。

母の和泉式部と共に一条天皇の中宮・彰子に仕えたため、母の式部と区別するために「小式部」という女房名で呼ばれるようになった。

母と同様に恋多き女流歌人として多くの上流貴族と交際。


こしきぶのないし



道貞との別居後、冷泉天皇の皇子・為尊親王と熱愛の仲になるが、身分違いの恋であるとして親から勘当された。

為尊親王の死後、その同母弟・敦道親王の求愛を受けて子をもうけるが、夫の親王は早死。

その後、中宮・彰子に仕え、彰子の父である藤原道長の家来藤原保昌と再婚したそうな。

藤原教通との間には男の子、藤原範永との間には娘をもうけたが、藤原公成の子を出産した際に死亡。まだ20代だったそうな。

上の歌は、再婚したお母さんが義理のお父さんと一緒に丹後に行ってしまい、離れて暮らしている時に読まれた歌だと伝えられている。


4人とも国語の教科書の中の、試験範囲に書かれていた「見ぬ世の人」たちです。

男性中心の貴族社会の中では、女は誰かの娘として生まれ、誰かの妻になり、産んだ息子の母として生きていました。それでも、才能に恵まれた女性は一流人の秘書や教育係である「女房」として働き、多くの恋をし、歌われた歌や紡がれた物語は1000年の時をへだてて愛され、その名を残しています。

女だから子どもを産んで立派に育てる。女であっても一流企業に勤めて出世する。それもいいですが、時を超えて人の心を感動させる何かを残す芸術家、人の暮らしを変える何かを発明する科学者、社会の仕組みを大転換させる革命家になる。そんな生き方を思い描くことがあってもよいのではないでしょうか?
 
目次に戻る

























































カメリアのこぼすしずくに宿る春


2011年度  35枚目の手紙  2012年2月24日

人を背負ってもつぶれない人が 本当の力のある人

進路を探るシリーズ 第2回 玉の輿

人に背負われる人になりたいの?

それとも人を背負う人?

人の後ろについていく人?人より前に進む人?

荷物を分け合い手をたずさえて歩く人?





春待つ紫陽花の冬芽

玉の輿に乗りたがる人のために

今回紹介するのは「大正三美人」と世間の評判をとった4人の女性です。当時のスーパーセレブ美人の第1位は京都女子学園ゆかりの九條武子さん。
2月7日は武子さんの命日で、西本願寺では今年も「如月忌」の法要が営まれました。1位と2位の二人は「名家の出」ですが、3位の二人はいわゆる玉の輿。三美人なのに4人いるのは、3人目の選び方が人によって違うからです。100年以上前に生まれた4人の女性の人生は、今の私たちから見ても驚くほどドラマチックでパワフルです。
納得のいく人生を送るには、自分で立って歩き、苦労を背負う力を身に付ける事が大切なのかも。

第 1 位 第 2 位
父は西本願寺門主の大谷光尊、母は側室の藤子で紀州藩士族の娘。

22歳で男爵九条良致と結婚したが、ヨーロッパへの新婚旅行中、夫はロンドンに残り、武子だけ日本に戻る。10年の別居の間、夫から武子への手紙は2通だけだった。

元々兄から許婚だと言われていた東本願寺の子息への思慕を抱きつつも離婚はせず、義姉を助けて京都高等女専を創始し、西本願寺の仏教婦人会本部長を勤め、生き仏様と敬愛される。

夫が戻った後、随筆『無憂華』の売り上げを元に貧民救済活動を行なった。

子には恵まれず、敗血症により42才で死去。


九條 武子
(くじょうたけこ)

明治20 (1887)年

〜昭和3 (1928)年

本名Y子。父は華族の柳原前光、母は妾で元芸者のおりょう。大正天皇の従妹。

14才で子爵北小路資武と結婚し15才で男子出産。20才で離婚し実家に戻り、東洋英和女学校を卒業。

27才の時、25才年上の大富豪伊藤伝右衛門と政略再婚。冷えきった夫婦関係の一方で、情熱的な歌や小説が評判となる。

36才の時、7才年下の東大生宮崎龍介と恋に落ち、子を宿して駆け落ちする。

第二次世界大戦で愛児を失い、戦後は反戦運動の先頭に立つ。

緑内障で両眼失明後、夫の介護のもとで歌を詠みつつ81才で死去。


柳原 白蓮
 (びゃくれん)

明治18 (1885)年

〜昭和42 (1967年)

第 3 位
本名栄子。父は愛媛県令の関新平。母は幕府御用達の豪商の娘花子。

父母は結婚をしておらず、農家に里子に出された後、新橋の芸妓になる。

20才を過ぎたころ、20才以上年上の法学博士で富豪の江木衷と結婚。新聞や雑誌で騒がれるほど贅沢に暮らす。

大正12年の関東大震災ですべての財産を失い、2年後には頼みの綱の夫に先立たれた上に病気で手術。

神経衰弱におちいった53才の時、身を寄せていた弟の家で首吊り自殺。


江木 欣々
(きんきん)

明治10(1877)年

〜昭和5 (1930)年

両親は義太夫語りの芸人だったが、9才で料亭の養女となる。

17才でアメリカ帰りの富豪の代議士日向輝武と結婚。6人の子どもを産みながら3つの学校に通い、高い教養を積む。

31才の時、夫が汚職事件で失脚、事業も失敗。きむ子は美容液「オロラ」を考案して売り出し家計を支えたが、夫は精神を病んで死去。

夫の死の翌年、36才で9才年下の詩人林柳波と再婚。

更に2人の子どもを産み、新作舞踊の林流を創立し、童謡や舞踊創作活動をしながら83才で死去。


日向 きむ子
(ひゅうが)

明治17(1884)年

〜昭和42 (1967)年

参照:「幕末維新明治・大正 美人帖」、「大正美人伝 林きむ子の生涯」、「白蓮れんれん」他


この4人の中でも一番多くの人に注目された美女は柳原白蓮(びゃくれん)。世に名高い『白蓮事件』とは、大富豪の伊藤伝右衛門と離婚する際、『私は金力を以つて女性の人格的尊厳を無視する貴方に永久の訣別を告げます。私は私の個性の自由と尊貴を護(まも)り 且(かつ)培(つちか)ふ為めに 貴方の許を離れます』という公開絶縁状を朝日新聞に掲載して大反響を呼んだ事件。

白蓮の生涯を綴った林真理子の小説『白蓮れんれん』には、関東大震災の被災者を援助するために救護救済所(後のアソカ病院)や簡易食堂を開設し、震災孤児などの救済をした九條武子の恋の秘話もつづられています。ぜひ、お母さんにも紹介してあげてください。

目次に戻る



















































































あの人の 編んだセーターほつれおり


2011年度  34枚目の手紙  2012年2月22日

一目一目編んだ根気が 愛の支え

進路を探るシリーズ 第1回 バカ

わたしはバカだから   かしこくなりたい

わたしはバカだとしっているから  ひとをバカにはしない

わたしはバカだけど  ずるがしこくはなりたくない

わたしはバカだから  ひたむきにいきる




春待つ紫陽花の冬芽


昨日の今年度最後の礼拝のお話は校長先生でした。そこで、茨木のり子の『自分の感受性くらい』が紹介されました。味わい深い詩なので、改めて紹介します。茨木のり子さんは1926年大阪生まれ。結婚した24歳頃から詩を書き始め、49歳で夫に先立たれた2年後に詩集『自分の感受性くらい』を世に出しました。

脳動脈瘤破裂によって亡くなるまでの31年間、ずっと一人暮らしでしたが、73歳になった1999年には詩集『倚(よ)りかからず』を発表するなど、亡くなるまで創作意欲は衰えませんでした。

そんな茨木のり子さんの素敵な詩『倚りかからず』も、あわせて紹介します。


      自分の感受性くらい

                          茨木のり子

  ぱさぱさに乾いてゆく心を

  ひとのせいにはするな

  みずから水やりを怠っておいて



  気難しくなってきたのを

  友人のせいにはするな

  しなやかさを失ったのはどちらなのか



  苛立つのを

  近親のせいにはするな

  なにもかも下手だったのはわたくし



  初心消えかかるのを

  暮しのせいにはするな

  そもそもが ひよわな志にすぎなかった



  駄目なことの一切を

  時代のせいにはするな

  わずかに光る尊厳の放棄



  自分の感受性くらい

  自分で守れ

  ばかものよ






      倚りかからず

                          茨木のり子

    もはや

    できあいの思想には倚りかかりたくない

    もはや

    できあいの宗教には倚りかかりたくない

    もはや

    できあいの学問には倚りかかりたくない

    もはや

    いかなる権威にも倚りかかりたくはない

    ながく生きて

    心底学んだのはそれぐらい

    じぶんの耳目

    じぶんの二本足のみで立っていて

    なに不都合のことやある

    倚りかかるとすれば

    それは

    椅子の背もたれだけ



こうした詩がある一方、『自分の感受性くらい』が発表された時代、世間では小坂明子の『あなた』が流行り、『倚りかからず』が発表された少し前には、平松愛理の『部屋とYシャツと私』が流行っていました。

『あなた』を作詞・作曲した小坂明子は1957年生まれ、兵庫県西宮市出身。この曲は大阪音大付属音楽高校ピアノ科に在学していた時、授業中に書き上げたそうですが、ヒット曲はこの1曲だけでした。
一方、1992年に『部屋とYシャツと私』をヒットさせた平松愛理は1964年生まれ、神戸市出身。この曲を出した2年後に結婚しましたが子宮内膜症を患い、1996年に女児を出産した後、子宮を切除。2002年には乳癌で活動を休止。その後は講演や執筆活動をしていましたが、2005年には子育てと仕事とで夫婦の間にすれ違いが生じて離婚。
こうしたアーティストの詩や歌や人生から学べることは何か。お母さんやお父さんと熱く語り合ってみてください。



あなた (1973年)   部屋とYシャツと私 (1992年)
作詞・作曲 小坂 明子     作詞・作曲 平松愛理
もしも私が 家を建てたなら
小さな家を 建てたでしょう
大きな窓と 小さなドアと
部屋には古い 暖炉があるのよ

真赤なバラと 白いパンジー
子犬の横には あなた あなた
あなたがいて欲しい

それが私の夢だったのよ
いとしいあなたは 今どこに

ブルーのじゅうたん 敷きつめて
楽しく笑って 暮らすのよ

家の外では 坊やが遊び
坊やの横には あなた あなた
あなたがいて欲しい

それが二人の望みだったのよ
いとしいあなたは 今どこに

そして私は レースを編むのよ
私の横には 私の横には
あなた あなた
あなたがいて欲しい
お願いがあるのよ あなたの苗字になる私
大事に思うならば ちゃんと聞いてほしい
飲みすぎて帰っても 3日酔いまでは許すけど
4日目つぶれた夜 恐れて実家に帰らないで
部屋とYシャツと私 愛するあなたのため
毎日磨いていたいから
時々服を買ってね 愛するあなたのため
きれいでいさせて

いつわらないでいて 女の勘は鋭いもの
あなたは嘘つくとき 右の眉が上がる
あなた浮気したら うちでの食事に気をつけて
私は知恵をしぼって 毒入りスープで一緒にいこう
部屋とYシャツと私 愛するあなたのため
毎日磨いていたいから
友達の誘うパーティー 愛するあなたのため
おしゃれに行かせて

大地をはうような あなたのいびきもはぎしりも
もう暗闇に独りじゃないと 安心できて好き
だけどもし寝言で 他の娘の名を呼ばぬように
気にいった女の子は 私と同じ名前で呼んで

ロマンスグレーになって 冒険の人生
突然選びたくなったら 最初に相談してね
私はあなたとなら どこでも大丈夫
もし私が先立てば オレも死ぬと云ってね
私はその言葉を胸に 天国へと旅立つわ
あなたの右の眉 看とどけたあとで
部屋とYシャツと私 愛するあなたのため
毎日磨いていたいから
人生の記念日には 君は綺麗といって
その気でいさせて

目次に戻る































































うたうたう うたいたいから うたうたう


2011年度  33枚目の手紙  2012年2月15日

歌は訴え みんなで歌うことは、

一つの思いをみんなで共有すること




春待つ紫陽花の冬芽     


昨日のプレコーラス発表が終わった夜、NHKのBSプレミアムで「BSシネマ アカデミー受賞作品特集『エディット・ピアフ 愛の讃歌』(2007年オリビエ・ダアン監督)」が放映されていました。エディット・ピアフ(1915年 - 1963年)は、フランスのシャンソン歌手で、代表作は『愛の讃歌 Hymne a l'amour 』。

15歳で自立してストリート・シンガーとなり、18歳で私生児を病死させ、二度の結婚の間に大恋愛した恋人を飛行機事故で失い、モルヒネ中毒を克服しながら47歳で病死するまでステージに立って歌い続けた波乱万丈の人生が、素晴らしい歌声と共に綴られた名作でした。

その映画を見ながらみんなのコーラス発表会を思い起こし、もっとしっかり国語の勉強が身に付くようにしてあげなければと反省しました。緊張して声が出ていないとか、緊張感がなくてダラダラしているとかいうこととは「別の次元」の話です。みんなで一つの歌を唄うという基本にかかわることです。

あのステージの上から、みんなは誰に向かって何を訴えたのでしょう。伝えたい中身が一人ひとりにありましたか?伝えたい相手が心の中に見えていましたか?そしてそれをクラスごと、みんなで確かめ合っていましたか?

そのすべては、歌詞の解釈をクラスで共有していたかどうかにかかっていたはずです。

評論でも小説でも詩でも、「題が大事」。『いのちの名前』にはどんな意味が込められていると考えましたか?もしも命が一つなら、命に名前はいりません。

作品の理解の基本は世界を構成する時間・空間・人間の「三つの間」とイメージの確認。「夏」の「青空と見えない川」が見える所にいる「わたし」と、今ここにはいない「あなた」と、どこかにいる「神様」と、どこにでもいる神様の子どもたち。

「わたし」と「あなた」はどんな関係で、「あなた」は今どこにいるのか?詩の基本となるイメージの「白」から君は何を感じた?

テーマに近付く簡単な方法はリフレーン(繰り返し)と数字(特に一)のチェック。「未来にすくむ」「叫びたいほど」「一つのいのち」のリフレーンから、この詩のテーマを見つけましたか?

そして比喩。「見えない川に浮かぶつぶれたボールと花びら」は何のたとえなのでしょう?

指揮者はメトロノームの代わりでもボリュームのつまみ替わりでもありません。みんなの心を一つにまとめ、それを伝えたい人に伝わるように導く人です。指揮を見つめて歌う人は、指揮者が示すそれを感じ合って歌っていたでしょうか?

来月の「卒業生を送る集い」の送辞で唄う『Hey 和』、来年の体育祭で唄う応援歌、そして再来年のコーラス発表会で取り組むミュージカル。君たちの成長が、歌に現れていくことを陰ながら願っています。


          いのち名前

作詞 覚和歌子 作曲 久石譲


    青空に線を引く

    飛行機雲の白さ

    ずっとどこまでも

    ずっと続いてく

    明日を知ってたみたい

    胸で浅く息をしてた

    熱い頬冷ました風も覚えてる



    未来の前にすくむ手足は

    静かな声にほどかれて

    叫びたいほど懐かしいのは

    一つのいのち

    の光

    あなたの肩に揺れてた木洩れ日




    つぶれた白いボール

    風が散らした花びら

    二つを浮かべて

    見えない川

    唄いながら流れてく

    秘密も嘘も喜びも

    宇宙を産んだ神様の子どもたち



    未来の前にすくむ心が

    いつか名前を思い出す

    叫びたいほどいとおしいのは

    一つのいのち

    帰り着く場所

    わたしの指に消えないの日


保護者のみなさまへ 参観日のおさらいです

未来の前にすくむのは誰?

叫びたいほど懐かしくいとおしい  一つの命って何?

先日の最終参観日には、ご多忙にもかかわらず多数ご参加くださいましてありがとうございました。

クラス懇談会では、保護者の皆様同士でいろいろな情報交換をされ、よそのお宅の様子をうかがって安心された方もたくさんいらっしゃったようです。二年生になると今とは違った心配事も増えてくるはず、大人がゆとりを持って子どもの成長を見守れるよう、参観日の機会をご活用くだされば幸いです。

全体会では、思春期の子供の反抗や不安定さを受け止めるため、親子で「進路」を考えていただくための視点についてお話をさせていただきました。ご都合がつかずご参加いただけなかった保護者のみなさまに、その一部をおさらいいたしますと……

「未来の前にすくんだ」子どもの不安に親が引き込まれてしまうと、今度は親の不安が子供に伝わって親子共々不安のスパイラルに落ち込んでしまいます。また、子供たちは子供からと大人になるために、子供の時と同じように何でもかんでも親に話をしなくなります。

親に知らせない「秘密も嘘も喜びも」、すべてが自立の糧となっていくのだと受け止めてやりたいものです。子どもとの距離を上手に取って地に足を付けて見守り、親御さんの不安は私ども教員が共有して参りますので、何か気掛かりがありましたらご遠慮なくお気軽にご相談ください。

進路についても同じことです。類型コースや受験のための情報は、教務係や進路指導部から折々に伝えられます。学校で身に付けてもらいたいことは、それぞれの教科担当者が責任を持って教えています。教科の学習については、まだ幼くて親の手を借りなければならない子、ツケが溜まっていてご家庭で特別な配慮を頂かなければならない子もいますが、保護者の皆様には、いまだ性差別がはびこる社会の中で、大人の女性として人生をどう切り拓いていくのかということなどを話していただきたい。

そしてなにより、どんな生活、何を手に入れることが「豊か」と言えるのか、お店で売っていない幸せとは何か、親御さんの人生観や価値観を語っていただけたらありがたいです。

私は「お金で買えるものを手に入れるために勉強する」ことよりも、「なりたい自分に近付くために必要なことを身に付ける」ことを意識して、いま勉強する苦労を背負ってほしい。そして「個人」としての「消費」は豊かさの大切な要素の一つですが、それ以上にまだない何かを産み出すときめき、社会の壁を打ち砕く喜びを、多くの人と共有できる力を持ってほしい。

中学、高校、大学卒業後に立ち向かものは、ひとり一人違っていくでしょうが、それぞれが困難に負けず自己実現し、社会を変革できる力を付けてほしい。どの子も、一人ひとり違う名前を持ついのちのあらわれとして輝いてほしいと願っています。

親としてお嬢さんに願っていることは、ひょっとしたらご夫婦の間でも違っているかもしれません。一人の大人、一社会人、一女性として子供に願うことをボチボチ折々に語っていただければ幸いです。


目次に戻る


























































ガッコのネズミもチョコ食ってチュウ


2011年度  32枚目の手紙  2012年 2月 14日

君はいま、なにになみだをながすのか


冷たい春雨に濡れて咲く水仙 

今日は昨日からの卒業式

そして明日への入学式


北門の『法語板』に書かれている今月の言葉は、

    流す涙に 育てられる ものもある

登校する時、下校する時、それを横目でチラ見した君は、何を思ったでしょうか?

三学期に入って、クラブを辞めた人がパラパラいます。仲良かった友達と離れて、自分なりの道、新たな目標を見つけようとしている人もいます。

一ヶ月後には、三年生の卒業式がやってきて、それから半月もしないうちに君は二年生になります。

いま、自分の状態を「ヤバい」と思っているなら、今日が昨日までの君からの卒業式。明日からではなく、今日から何かを変えましょう。まだ来ぬ明日ではなく、今ある今日が大切です。

今まだできないくやしさ、できるようにするために背負う苦労の辛さ、そして、辛さをかかえながら共に支え合う人のために、涙を流す人になりませんか?

ひょっとしたら一年前、卒業式で次の歌を歌った人がいるかもしれません。思い出してみて下さい。


    TOMORROW    岡本真夜 (略)




             涙の中の愛



       溢
(あふ)れた涙をスポイトで集めて

       蛍光灯に透
(す)かしても

       目薬見るのとどこも変わらず

       悲しみなんかどこにも見えない



       零
(こぼ)れた涙を蒸発皿に垂らして

       ガスバーナーで炙
(あぶ)っても

       乾いた白い塩粒が

       わずかに底にへばり付くだけ



       NAMIDAの中にはAMIDAがおわし

       AMIDAはAIを両手に抱く

       涙の中に悲しみはない



       涙の愛は誰への愛

       可愛い自分が可哀そう

       それとも愛
(いと)しい人への愛おしさ




保護者のみなさまへ

「進路」について語り合って


■ 一緒にジェットコースターには乗らないで


思春期のむずかしさ、反抗期の厄介さでお悩みのご家庭も多いようです。しかし、悩んでふさぎ込むのも、生意気な口応えも、子どもから大人になるために必要な手続。反抗と甘えは表裏一体。自分の弱さ情けなさを自分でじんわり噛み締められるよう、しっかり反抗させて、ほどよく甘えさせてあげてください。

保護者の皆様は、くれぐれも子どもと一緒に思春期のジェットコースターに乗ってしまいませんように。地に足付けてしっかり見守り、お嬢さんが「大人の女性」に育っていけるよう、豊かさとは何か、豊かな生活を手に入れるために必要なものは何か、折々に人生を語っていただければ幸いです。


■ 学びたいから学ぶんです。
    力がほしいから我慢もするんです。


その一方でのことですが、授業が始まっているのに、あまりに落ち着かない人がいるクラスがあったので、「転校」について話をしました。当てられても、何を質問されているのかすら分からないままオロオロしている人がいたクラスでは、「勉強は誰のため、何のためにするのか?」を問いました。

その要旨は、次のようなことです。お嬢さんが何を学び、どんな苦労に背負おうとしているのか、聴いてあげて下さい。


義務教育の「義務」は、君たちの親にあるのであって、君たちにあるのは学ぶ権利だ。親の都合で一日中働かせたり、小さな子の子守をさせたり、親の気紛れで学校に行かせなかったりしてはいけない。

それは、どの子も学校に行っていろんなことを知りたい、分かるようになりたい、家ではできないことをしたいという願いがあるからだ。君たちは、どんなに家が大変でも学校に通わせてやりたいという親の願いに支えられて学校に来ているはずだ。しかも、君たちは普通なら必要のない高い学費と定期代まで払ってもらって学校に来ている。




          翼はいらない



       飛べない羽のペンギンを

       カモメは空から見下して

       憐れな奴だと蔑
(さげす)みました

       あれでも鳥かと罵
(ののし)りました



       カモメがギャオギャオ喚
(わめ)くのも

       気にせず岩場のペンギンは

       波の頃合い見つめては

       飛び込む機会を計っていました



       地上が思うにまかせぬように

       空にも自由はありません

       空では卵を産めません



       ないものねだりは子供の夢

       苦労を厭
(いと)わず大事なものを

       産んで守って育てていくのが大人の夢





なのに、授業をしっかり受けようとせず、受けるための準備もちゃんとせず、その上きちんと授業を受けたいと願っている人達の邪魔をしている人がいるのはなぜか?一年前、何を願ってこの学校を受験し、入学式に何を決意し、いま自分はここで何を求めているのか思い出してほしい。

君の勉強が親の見栄のためなら、自分のためだけにするのなら、どうでもいいやと放り出すこともできる。自分が大切にしたいことがある、自分が守り育てたい人がいる、そしてまだ見ぬ世界と結びつき、この世の人を苦しめている問題を解決できる力がほしいと思った時、本気で勉強したくなるはず。学校にいる一分一秒を大事にしたくなるはずだ。

もし今、自分がここにいることが間違いだと思うなら、自分が求めるものはここにはないというのなら、家に帰って「地元の中学校に転校したい」と伝えなさい。君が本気でそう思い、親がそれでも反対するなら、私が親を説得してあげよう。




        女性の人生を語ってみるための参考資料



朝日新聞Web News 2011年12月9日 http://www.asahi.com /national/update/1208/TKY201112080764.html
単身女性、3人に1人が貧困 母子世帯は57%

勤労世代(20〜64歳)の単身で暮らす女性の3人に1人が「貧困」であることが、国立社会保障・人口問題研究所の分析でわかった。2030年には生涯未婚で過ごす女性が5人に1人になると見込まれ、貧困女性の増加に対応した安全網の整備が急がれる。

2007年の国民生活基礎調査を基に、同研究所社会保障応用分析研究部の阿部彩部長が相対的貧困率を分析した。一人暮らしの女性世帯の貧困率は、勤労世代 で32%、65歳以上では52%と過半数に及んだ。また、19歳以下の子どもがいる母子世帯では57%で、女性が家計を支える世帯に貧困が集中している。

貧困者全体の57%が女性で、1995年の集計より男女格差が広がっていた。非正規雇用などの不安定な働き方が増え、高齢化が進むなか、貧困が女性に偏る 現象が確認された形だ。




男女共同参画社会に関する世論調査 平成21年10月調査

内閣府大臣官房政府広報室


1.男女共同参画社会に関する意識について

(1) 各分野の男女の地位の平等感

 次のそれぞれの分野で男女の地位は平等になっていると思うか聞いたところ,「平等」と答えた者の割合が,「学校教育の場」で68.1%,「自治会や NPOなどの地域活動の場」で51.0%,「法律や制度の上」で44.4%,「家庭生活」で43.1%,「職場」で24.4%,「政治の場」で 21.0%,「社会通念・慣習・しきたりなど」で20.6%となっている。

ア 家庭生活における男女の地位の平等感


 家庭生活において男女の地位は平等になっていると思うか聞いたところ,「男性の方が優遇されている」とする者の割合が46.5%(「男性の方が非常に優遇されている」7.8%+「どちらかといえば男性の方が優遇されている」38.7%),「平等」と答えた者の割合が43.1%,「女性の方が優遇されている」とする者の割合が8.4%(「どちらかといえば女性の方が優遇されている」6.7%+「女性の方が非常に優遇されている」1.7%)となっている。
 性別に見ると,「男性の方が優遇されている」とする者の割合は女性で,「平等」と答えた者の割合は男性で,それぞれ高くなっている。

イ 職場における男女の地位の平等感

 職場において男女の地位は平等になっていると思うか聞いたところ,「男性の方が優遇されている」とする者の割合が62.1%(「男性の方が非常に優遇さ れている」15.6%+「どちらかといえば男性の方が優遇されている」46.5%),「平等」と答えた者の割合が24.4%,「女性の方が優遇されている」とする者の割合が5.3%(「どちらかといえば女性の方が優遇されている」4.4%+「女性の方が非常に優遇されている」0.9%)となっている。
 前回の調査結果(平成19年8月調査をいう。以下同じ。)と比較してみると,大きな変化は見られない。
 性・年齢別に見ると,「男性の方が優遇されている」とする者の割合は女性の20歳代から50歳代で,「平等」と答えた者の割合は男性の30歳代,60歳 代で,それぞれ高くなっている。

(4) 女性が職業をもつことについての考え方

 一般的に女性が職業をもつことについて,どう考えるか聞いたところ,「女性は職業をもたない方がよい」と答えた者の割合が3.5%,「結婚するまでは職業をもつ方がよい」と答えた者の割合が5.5%,「子どもができるまでは,職業をもつ方がよい」と答えた者の割合が10.7%,「子どもができても,ずっと職業を続ける方がよい」と答えた者の割合が45.9%,「子どもができたら職業をやめ,大きくなったら再び職業をもつ方がよい」と答えた者の割合が 31.3%となっている。
 前回の調査結果と比較してみると,「子どもができても,ずっと職業を続ける方がよい」(43.4%→45.9%)と答えた者の割合が上昇している。


2.家庭生活等に関する意識について

(1)結婚観,家庭観等に関する意識


 結婚,家庭,離婚についての考え方を聞いた結果は以下のとおりである。

ア 結婚は個人の自由であるから,結婚してもしなくてもどちらでもよいか

 結婚は個人の自由であるから,結婚してもしなくてもどちらでもよいか聞いたところ,「賛成」とする者の割合が70.0%(「賛成」48.0%+「どちらかといえば賛成」22.0%),「反対」とする者の割合が28.0%(「どちらかといえば反対」16.9%+「反対」11.1%)となっている。
 前回の調査結果と比較してみると,「賛成」(65.1%→70.0%)とする者の割合が上昇し,「反対」(32.8%→28.0%)とする者の割合が低 下している。

ウ 結婚しても必ずしも子どもをもつ必要はないか

 結婚しても必ずしも子どもをもつ必要はないか聞いたところ,「賛成」とする者の割合が42.8%(「賛成」22.5%+「どちらかといえば賛成」 20.3%),「反対」とする者の割合が52.9%(「どちらかといえば反対」30.1%+「反対」22.8%)となっている。
 前回の調査結果と比較してみると,「賛成」(36.8%→42.8%)とする者の割合が上昇し,「反対」(59.4%→52.9%)とする者の割合が低下している。

エ 結婚しても相手に満足できないときは離婚すればよいか

 結婚しても相手に満足できないときは離婚すればよいか聞いたところ,「賛成」とする者の割合が50.1%(「賛成」21.9%+「どちらかといえば賛 成」28.2%),「反対」とする者の割合が44.8%(「どちらかといえば反対」29.3%+「反対」15.5%)となっている。
 前回の調査結果と比較してみると,「賛成」(46.5%→50.1%)とする者の割合が上昇し,「反対」(47.5%→44.8%)とする者の割合が低下している。



目次に戻る































































熱の日に知る 母の手の冷たさ


2011年度  31枚目の手紙  2012年 2月 1日

その辛さが 辛さに耐えていた人に気付く小道



陽の光求めて咲くスノーポール
 

人の気を惹く花も実も

地味な努力の積み重ねと

向上心の結果です



堅い物差し


なんで早く言わへんの?って

私はあなたを責めてしまった

言えない事情があなたにあって

言えなくしたのは私なのに



なんで同じ事ばっかり!って

私はあなたをまた責めた

できぬ弱さがあなたにあって

できる助けを私はせずに



アナタの握った物差しが

丸いアタシを四角く測る

まるまるアタシをピシリとはたく



あなたをしっかり抱き留めたいのに

邪魔する私の物差しを

それでも私は手放せない


切ないごまかし


ごまかしているのは

したこと

してないこと

あなたが知りたくないこと



ごまかすのは

逃げたいから

逃げられないから

あなたに逃げられたくないから



あなたが好きなのは

厚化粧できちんと服を着て

あなた好みに演ずる私



ごまかすことで助かるのは

ごまかされているあなた

救われないのが私


目次に戻る






























































蒔いた豆 拾いながらのストレッチ


2011年度  30枚目の手紙  2012年1月27日

厳しい寒さにさらされた種だけが、春に芽吹くのだそうです



命を宿した酔芙蓉     


    鬼さんこちら



鬼ごっこで歓声をあげて

一目散に逃げた

だけど鬼は追って来なかった

鬼はあの子を追って行った



隠れん坊でとおの間に

息を凝らして隠れた

だけど鬼は見付けに来なかった

鬼はあの子を探しに行った



鬼は外、福は内

追われた鬼さんこっちにおいで

私は一人で待っている



目隠し鬼さん手の鳴る方へ

あなたの前に立っている

私を早く捕まえて


    暮らし向き



挨拶の一つも言えぬ人の

貧しさ



おはよう も

いってきます も

ただいま も

いただきます も

ごちそうさま も

おやすみなさい も



ないままに終わる一日の

哀しさ



ありがとう

ごめんなさい

ごくろうさま

おかげさまで

どういたしまして

ありがとう



素直に挨拶を交わせる人の

豊かさ


目次に戻る


























































寒さの冬だからこそ ジャンプできる人もいるんだろうね


2011年度  29枚目の手紙  2012年1月22日

冬枯れの校庭の片隅にも、確実に春は巡ってくるのです



校庭に灯る南天の実     


ありがたや



朝日に向かって手を合わす人は幸いです

地球は45億年前から虚空に浮かんで

同じように憮然と回り続けていても

ここに立つ人が朝と出会えるとは

限らなかったのですから



夕日を見つめて立ち尽くす人は幸いです

地球に70億人がへばりついて

同じように息をし屁をこいていても

誰もが静かな夜を迎えられた

わけではなかったのですから



夜と昼との境界が

地球のどこかにいつもある

一つは光に一つは闇へと人を引き込んでいく



あたりまえの夜明けと夕暮れが

奇跡の生と必然の死に重なって

ありがたやうらめしやうらめしやありがたや


目次に戻る

























































淋しさに衝き動かされ マッチ擦る


2011年度  28枚目の手紙  2011年12月22日

人生の暗い夜道も

心のともしびで照らせる人になりたいですね



校庭に灯る南天の実     

■ あきらめが 自分らしさを 引き出す

「あきらめずに頑張りなさい」という言葉は常に正しいでしょうか? 「あれを手に入れたい」、「自分を変えたい」、「長生きしたい」といった願い=欲望は人を向上させますし、一人ひとりの生きる力や文明の源でもあります。

願いが分相応な(自分にふさわしい)願いであること。何かを犠牲にしてでも願い相応の(願いに必要な)努力を重ねる覚悟があること。そして願いがかなわなくとも挑戦したことを後悔しないこと。それがあれば、あきらめずに頑張ることは人を幸せに導くでしょう。しかし、ただの「ないものねだり」や、努力の裏付けがない願望は人を不幸にしかねません。

だからまず、それが自分の願いなのかどうかを確かめましょう。もし自分の願いでないのなら、いったい誰の願いなのか?自分の願いは誰かの願いに応えることなのか?

それがもし自分の願いであるならば、それを実現するために、限られた条件、与えられた人生の中で自分は何を我慢するのか、犠牲にするのか。人類の可能性は無限でも、一人ひとりは有限の生き物です。無理をすれば疲れますし、やがて衰弱して死を迎えます。おまけに世界は不平等で、欲望を満足させるために必要な努力の量は、人によって異なります。自分がいまできることには限りがあるの。

■ 「あきらめずに頑張る」には、他の「何かをあきらめること」が必要なの

勉強も同じこと。京女で学校生活を続けたいなら、必要最低限の学習成果を上げなければなりません。そのために、君は何かをあきらめて必要な努力をするしかないのです。

あれもこれもと抱え込んでしまった時、人は自分を見失います。

「何を持っているか」が個性であるかのように思う人がいますが、「何をあきらめたか」にこそ、その人らしさがにじみ出ているかもしれません。

この年末、大切なものを得るために何を捨てるべきか。自分自身の大掃除をしてみませんか。


私の今日を



不幸をヒトのせいにする母は

幸せもヒト任(まか)せにしてきた

私があいつと別れた夕べ

私の中でそんなハハが泣いていた



自分勝手で頑固な父の

口癖はヒトに優しくだった

私が独りで目覚めた夜更(ふ)け

鏡の中でそんなチチが睨(にら)んでいた



それも私

それが私

それでも私



ハハの涙を拭い 拗(す)ねるチチをなだめ

窓を開けて朝日を吸おう

私の今日を始めるために


■ 二つの聖夜

年末年始、教会でのクリスマスミサに参加し、お寺で除夜の鐘をつき、神社へ初もうでに行って一年の無事を祈る。一週間の間にそんなことを自然に受け入れられる国民は、日本人くらいかもしれません。

クリスマスといえば「聖夜=きよしこの夜=Silent Night,holy night」ですが、京女生なら誰でも歌えるもう一つの『聖夜』もあります。作詞者の九条武子さんは京女の基礎を作った女性の一人で、海外に行ったきり戻ってこない夫を一人で待つ淋しさの中で多くの歌を詠み、42歳の若さで病死しました。彼女はどんな思いでこの『聖夜』を作詞したのでしょうね。

二つの歌を歌い比べることで、人はどうしようもない苦しみや悲しみをどうやって乗り越えてきたのか、しみじみ味わってみるのも、大切な時間の使い方だと思いませんか?

 


    賛美歌109番 聖夜

清し この夜 星は光り

救いの御子(みこ)は

馬槽(まぶね)の中に

眠り給う いと安く

清し この夜 御告(みつ)げ受けし

牧人達は 御子の御前(みまえ)に

ぬかずきぬ かしこみて



清し この夜 御子の笑みに

恵みの御代(みよ)の

朝(あした)の光

輝けり ほがらかに




     聖歌 18番 聖夜 作詞 九条武子

星の夜空の うつしさ

誰(たれ)かは知るや

天(あめ)のなぞ

無数のひとみ輝けば

歓喜に和(なご)む

わがこころ



ガンジス河の 真砂(まさご)より

あまた おわする仏達

夜昼つねにまもらすと

聞くに和(なご)める

わがこころ


 

目次に戻る





















































メーとなく ヤギの怒りか哀しみか


2011年度  27枚目の手紙  2011年11月15日

なかなか「手紙」が届かないのは、

山羊さんに配達頼んだから?



生徒がくれたウンコ頭付指示棒


「その時、初めて僕は、一度起きたことは、もう償いのできないものだということをさとった」
  (期末試験の範囲 ヘルマン=ヘッセ 「少年の日の思い出」より)

      いつでも取り戻せることがある
      いつからでも始められることもある
      でも、その時にしかできないことがある
      その時だからこそできることもある
      君が今、なにをすべきかは
      他人ではなく、君自身の「夢」が決める


        ブタの幸せ



ブタはベチャベチャランチを食べながら

隣のブタを横目でにらんでいた

あんたは気付いてないようだけど、

私の方がご馳走なのよ

取られないよう気をつけなクッチャクッチャ



ブタはゴシゴシブラシを掛けられながら

隣のブタを横目でにらんでいた

あんたはきれいなつもりだろうけど、

私のわき腹見てご覧

ずっときれいに磨いてもらっていルルンルン



お前は誰よりおりこうさん

素直に太ってくれてありがとう

お前のお蔭で私ら一家、何とか冬を越せそうだ



ブタは乾いた寝ワラでイビキをかいて

昨日の美味しいご飯の夢を見ている

最期の明日など思いもよらないブタの幸せ




          今をまた



コドモの時、鬼ごっこをしなかったわたしは

いま、ダレカを追い駆ける鬼になっている

コドモの時、かくれんぼをしなかったわたしは

いま、ダレカに見つけてもらいたがっている



少女の時、恋に身を焦(こ)がさなかった私は

妻になったいまになって、恋を求めている

少女の時、夢を見つけようとしなかった私は

母になったいまになって、夢を探している



遣(や)り残しの宿題ならば今、片付けられても

遣り残しの過去はもう、取り戻しようもなく

いま、今をまた遣り残していく



いま、コドモを遣り残したままの少女は やがて

ショウジョを遣り残したままの母になるのか

それとも、ハハになれないままの母になるのか



T 同じ形容詞型助動詞ですが 「ない」と「たい」は大違い

夢を語らない人の口癖は、「べつに…どーも ない」 や 「それどころじゃ ない!!」
それは「今」に満足している人? それとも「今」に追い立てられている人?
夢を描くことができ ない人の口癖は、「 どうせ…でき ない」 や 「結局… ないにきまっている」
それは「自分」に失望している人? それとも「未来」に絶望している人?
夢を実現しようとし ない人の口癖は、「だって…が ないから」 や 「でも…だからしかたが ない」
子供の時には、自信がない、勇気がない、親の許しがもらえないから etc.
大人になったら、時間がない、お金がない、家族に迷惑かけられないからetc.
夢を語り、描き、実現しようと努力する人には、心揺さぶられるモノやヒトやコトとの出会いがある
あそこにある「あれ」を手にいれたい、自分も「あんなふうに」なりたい
どこにもないから自分の手で作り たい、一人で無理なら一緒に作る仲間をみつけたい
できるから、するんじゃない。したいから、努力するのです
なりたいから、苦労も我慢もできるのです
「したいことなんてない」って言う人は息を止めてごらん。したいことは30秒で見つかります。
夢とは未来への欲望をもつこと。それは人間に不安をもたらす不幸の素でもありますが、
個人の成長と人間らしい文化・文明を生み出す力原動力です。


U 誰もが通る「下」の道 スカートめくりがおさまったかと思っていたら

教室の黒板にウンコの落書き、パンツずらし、挙句の果てにトイレの個室のぞき。「私はそんな幼稚なことしてないし」って言う人も、入学以来ずっと続いている悪口・陰口の言い合いは無縁じゃないでしょう。ここらで一度「いったいナニがそうさせるのか」を考えてみましょう。

その1 共通点は「下」

いまから40年ほど前、みんなのご両親が子供の頃の『少年ジャンプ』に少年漫画で初めてヌードを描いた永井豪の『ハレンチ学園』が連載されて、子供も大人も大騒ぎ。続いて爆発的な人気を得たとりいかずよしの『トイレット博士』は下ネタ一色。その後人気となった鳥山明の『Dr.スランプ』には、ウンコをつっつくのが大好きな少女ロボットアラレちゃんが、『ドラゴンボール』にはエロジジイの亀仙人が登場。また、幼稚園児に大人気だった『クレヨンしんちゃん』は、みんなも知っている通り……。

一方、健全な漫画の代表『ドラえもん』ではしずかちゃんの入浴シーンが時折登場し、善良なお爺ちゃんに人気のあったテレビ時代劇『水戸黄門』では由美かおるの入浴シーンがはずせませんでした。

少女漫画では、同級生からの嫉妬にまみれ、いじめに耐えるかわいそうな少女の姿が時代を超えて描き継がれてきました。その元祖は、女性が書いた世界最古の恋愛小説、紫式部『源氏物語』の出だし桐壺(きりつぼ=光源氏の母)の巻。帝(みかど=天皇)の愛を受けた桐壺に対して嫉妬したライバルの手下の女たちは、桐壷が帝のところに行けないようにウンコやオシッコを渡り廊下にまき散らす嫌がらせをしたのです。桐壺は度重なる嫌がらせがもとで病気になり、幼い源氏を残して死んでしまいます。(興味のある人は図書館にある漫画『あさきゆめみし』を読みましょう)

こうした女同士のいじめや虐待、DVは、今年の春に上映されて高い評価を受けた映画『阪急電車』(宮本信子がとても素敵でした)にも、脈々と受け継がれていました。 (裏面に続く)

つまり、下ネタは老若男女の隔てなく時代を超えて「定番」だったのです。「クソッタレ」は古典的な悪口ですが、誰でもウンコはするのに、なぜそれがののしりの言葉になるのでしょうか。それは、ウンコが汚いものだから、ハダカが恥ずかしいことだから……ではないかもしれません。


その2 原因は慢性ビタミンT欠乏症


下の二つの記事は、朝日新聞と京都新聞のWEBニュースの抜き出しです。滋賀県の事件はつい先日起こったことなので知っている人もいるでしょう。1000年前から続く嫌がらせが、21世紀の最先端科学技術と結びついた陰湿ないじめ事件。これはどこかの荒れた学校の特異な事件ではなく、君が日々過ごしている教室の出来事、悪口、陰口、ブログでの中傷etc.と、根っこはつながっているかもしれません。それはどういうことなのか、一緒に考えてみましょう。

人が嫌がるのを知っていながらそうするのは、良い事よりも悪いことの方が「だれか」に自分の存在を気付いて=認めてもらいやすいからでしょう。無視されることの方が、嫌がられることより辛い場合もあるのは君も知っているでしょう。「だれか」に認めて=愛してほしいけれど、自分はそうしてもらえずに、否定されたり無視されたり、邪魔にされたりするばかり。それで、弱い立場の人を攻撃して心のバランスを取ろうとする。そうした心とウンコやハダカがむすびつくのは、 …… ( つづく )

http://www.asahi.com/national/update/1116/OSK201111160115.html      朝日新聞 2011-11-16

中3男子を全裸にして撮影  同級生3人、強要容疑で逮捕

同級生に全裸になるよう命じてその姿を撮影したとして、滋賀県警高島署は2011年11月16日、高島市立中学3年の男子生徒3人を強要と暴力行為等処罰法違反の疑いで逮捕したと発表した。容疑を認めているという。

逮捕された生徒は14歳1人と15歳2人。同署によると、3人は11日午後、体育館脇の通路に男子生徒(15)を呼び出し、全裸になって排泄するよう強要。その後、全裸姿でベンチに座る姿をカメラ付き携帯電話で撮影し、投げ倒して足を蹴るなどの暴行を加え、さらに担任の男性教諭の車に用意した排泄物をすり付けさせた疑いがある。

男子生徒は4月ごろからいじめを受けるようになり、保護者が11月12日に同署に被害届を提出。1人が同級生数人に転送した写真が携帯電話に残っていたという。押収された携帯電話には生徒がホースで水をかけられる動画も残っていた。


 
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20100629000068       京都新聞 2010-6-29

いじめで中1女子の裸撮影 メール送信も、岐阜県可児市

岐阜県可児市の市立中学校で、1年の女子生徒(12)が同じ学校の2年の女子生徒ら5人から服を脱がされ、裸の動画を撮影されるいじめを受けていたことが 2010年6月29日、分かった。学校側は同日、記者会見で事実を認め謝罪。女子生徒は28日、県警に被害届を提出した。

学校側の説明によると、2年の5人は女子4人と男子1人。5月から6月にかけ、1年の女子生徒を自宅やスーパーの駐輪場などに呼び出し、下着を脱がせるなどのいじめを5回繰り返した。様子を携帯電話のカメラで撮影し、動画をほかの生徒にメールで3回ぐらい送信したという。

校長は「残念なことに見抜けなかった。撮影した動画はすべて削除させた」と話している。女子生徒が21日、担任教諭に相談して発覚。5人と保護者はいじめを認め、女子生徒と家族に謝罪した。


 
     保護者のみなさまへ お礼とお願い          

本日の参観日・懇談会には、多数ご来場下さりありがとうございました。参観日の出欠票アンケートには、「ブログや携帯による嫌がらせがあると聞いて、うちは大丈夫か心配」、「クラスやクラブでの内輪もめが気になる」、「反抗期の娘との接し方に戸惑っている」といった思いがクラスを越えて綴られていました。

この1世紀だけ見ても、雑誌の回し読みで親の知らない情報を得て生意気になった子、ラジオの深夜放送にはまって朝寝坊を繰り返した子、電話が普及して長電話で叱られた子、ポケベルが普及して先生に取り上げられた子、インターネットと携帯電話が普及して……大人の都合で作られる新しいメディアが登場するたびに、今までなかった問題が発生してきます。そして、テレビやラジカセやゲーム機器に囲まれた家庭で育ってきた子供がいま、親の世代になって、子供とのコミュニケーションに悩んでいます。

しかし、子供が大人になる過程、親が子供に手を焼く過程は1000年前から同じでしょう。もっといえばライオンやゾウでも同じ。親は子供がちゃんと育つように必要なものを与え、群れ(社会)の中で生きていけるように叱ったり、外敵に襲われないような知恵を与えたり、群れの仲間の協力を得ながら、体を張って子育てします。子供は親にたっぷり甘えて育ち、親から離れて仲間と遊び始め、やがて一人前の群れの一員として認められ、群れにとって必要な役割を果たしていく。あるいは自分のパートナーを見つけるために育った群れから離れていく。人も含めた社会的動物は、みんなそうして大きくなっていくものです。

そうした自然な親の援助や子供の成長を阻害するもの、歪めるものが、それぞれの時代の特徴としてあるのでしょう。戦乱や飢餓のない今の日本の社会の中で、震災にも台風の被害にもあっていない関西で、大人や子供を振り廻しているものは何か。家庭の事情やクラスの状況によって、それは様々かも知れません。しかし、どんな時代どんな場所にあっても子供たちが安心して成長できるよう、大人自身が不安につぶれてしまわないよう、大人同士で協力し支え合える関係が必要です。激動の社会を生き抜くには安全な環境を求める以上に危険な状況でも安心できる人間関係を結ぶ力を育てることが必要です。

今日の参観日・懇談会がそうした機会の一つとなることを、心から願っております。また、諸般のご事情でご参加いただけなかった保護者の皆様とも、ちゃんと繋がり合って子供たちを支える学校であるように努力を重ねて参りますので、今後ともよろしくご協力・ご支援下さいますようお願い申し上げます。


目次に戻る


























































山茶花に触れてこぼれる花弁かな


2011年度  26枚目の手紙  2011年11月15日

冬に葉を落として寒さを乗り越える花もあれば

蜜を配る花もある



同じ枝にピンクと白が同居して


宇宙の大きさを想え

自分の小ささを知れ

それが君の可能性をひらくのです

つられてゴチャゴチャやってる場合なのか

浮かれてフワフワしてる場合なのか

腐ってグズグズしてる場合なのか

小さな努力を地道に重ねている人がいるというのに

二学期後半、国語Aの授業では小説の勉強をしています。小説は fiction=フィクション=虚構です。人の頭の中で作り出された嘘の世界です。上等な小説の嘘はこの世の真実を語りますが、日常の下等な嘘は人の心を惑わせてウンザリさせることしばしばです。

おまけに言葉は思い通りに自分の思いを伝えませんし、自分が思った通りの言葉を発しても、相手によっては言葉通りに受け止めてくれないものです。

嘘は悪いこと、「嘘は泥棒の始まり」だと言う人もいます。しかし、中にはホントの自分をウソで隠すことでしか自分を守れない人がいます。化粧をしてない素(す)のままでは街を歩けないと思う女性がいるように。

その一方で、ホントのことは知りたくない、知らされても困ると思う人もいます。真っ裸で街を歩く人がいたら目のやり場に困って迷惑なように。ウソに隠れたホントと向き合うことは言うほど簡単ではありません。

ウソをつくなら日常にまみれて隠れている真実を浮かび上がらせるウソをつく。人の心を豊かにするウソをつく。下等なウソの本質を見抜き、上等なウソがつけるように、国語の勉強に励みましょう。


      実験室



試験管の水に電気を流したら

水は水素と酸素に分かれた

そこに火花を散らしたら

水の滴(しずく)が結ばれた



クラスに微妙な空気が流れ続けて

みんなはバラバラになっていた

それに火を付けた奴がいて

みんなの頬に涙が伝った



学校の実験室は理科室だけじゃない

昼休みの教室、放課後のクラブボックス

体育館の裏、外階段の踊り場、トイレの個室も自立のための実験室



理科の実験は安全第一だけど

人生の実験は挑戦第一

たくさんの失敗を重ねて大人になろうじゃないか





      片刃の正義



正義は片刃の剣

自分に楯突く相手を敵と見なし

自分に刃向う相手を悪と決めつけ

一方的に切り付ける



正義は片刃の剣

振りかざしても自分は傷付かず

振り下ろした刃の背に手を当て

相手の首を切り落とす



善意という名の傲り

誠意という名の侮り

同情という名の嘲り



正義の剣を帯びる者よ

切り裂かれた者の血を見るがよい

それが君と同じ赤色であることを


目次に戻る


























































秋雨に 季節洗われ 冬来る


2011年度  25枚目の手紙  2011年11月7日

狐が人を化かすのは、恨んでいるから?

楽しいから?

それとも……



通用門は冬の入り口


「嘘」っていう漢字、微妙ですね

「口が虚ろ」、うつろとは空っぽのこと、むなしいことです

二学期後半、国語Aの授業では小説の勉強をしています。小説は fiction=フィクション=虚構です。人の頭の中で作り出された嘘の世界です。上等な小説の嘘はこの世の真実を語りますが、日常の下等な嘘は人の心を惑わせてウンザリさせることしばしばです。

おまけに言葉は思い通りに自分の思いを伝えませんし、自分が思った通りの言葉を発しても、相手によっては言葉通りに受け止めてくれないものです。

嘘は悪いこと、「嘘は泥棒の始まり」だと言う人もいます。しかし、中にはホントの自分をウソで隠すことでしか自分を守れない人がいます。化粧をしてない素(す)のままでは街を歩けないと思う女性がいるように。

その一方で、ホントのことは知りたくない、知らされても困ると思う人もいます。真っ裸で街を歩く人がいたら目のやり場に困って迷惑なように。ウソに隠れたホントと向き合うことは言うほど簡単ではありません。

ウソをつくなら日常にまみれて隠れている真実を浮かび上がらせるウソをつく。人の心を豊かにするウソをつく。下等なウソの本質を見抜き、上等なウソがつけるように、国語の勉強に励みましょう。


       粉々に砕いてください


  言葉はいつも嘘をつく

  私の思いを伝えない

  嘘の言葉に閉ざされて

  私の声は届かない
 


  言葉はいつも嘘をつく

  あなたに思いを伝えない

  嘘の言葉に覆われて

  私の姿は闇の中



  嘘は私に囁きかける

  お前を守っているのだよ

  お前がそれを望んだように



  言葉の嘘を砕いてほしい

  そんな願いも伝わらない

  あなたにさえも伝わらない


      ズル


わたしはいつもウソついて

あなたのご機嫌取っている

あなたはいつもホンネを言って

わたしにどっぷり甘えてる



わたしのウソに気付きもしないで

あなたは無邪気に笑ってる

だからわたしは言えないの

あれもこれもウソだって



あなたはいつも正直な

わたし任せの無責任

自分のズルさに気付きもしない



わたしがホンネを言った日に

あなたは笑って許すでしょうか

それとも黙って去るのでしょうか


目次に戻る

























































ポッキーを一人でかじる夜長かな


2011年度  24枚目の手紙  2011年11月1日

悪戯も、しゃれっ気がなくなると

ただの犯罪ですね



職員室の片隅にこっそり隠れてました


天から降ってきたトイレットペーパーは

カミのメッセージでしょうか

「杞憂(きゆう)」という難しい言葉があります。大昔の中国の杞(き)の国の人が、まもなく天地が崩れ落ちてくると信じて憂(うれ)えたという話から、「あれこれといらない心配をすること」を杞憂というようになりました。

誰かの話では、先月末に巨大隕石が地球に落ちてきて、僕らはとっくにこの世にいないはずなのですが、どうにかみんな生きています。

怖いのは隕石なんかじゃなくて、ありもしないことを言いふらして人を不安にさせるうわさです。

僕らはちゃんとした「言葉の力」を身に付けなければなりません。ウソを聞き分ける力、悪口に踊らされない力、言葉で人を支える力、言葉で人を傷付けるのではなく人の傷をいやす力。


      見えないあなた



  一人でお箸を使えても

  私はお米を作れない

  一人でナイフを使えても

  私は牛を飼えないし魚を捕りに海へは行けない



  オハヨッて目覚めた時に声掛ける

  チュッと頬にキスをする

  ギュッと背中を抱きしめる

  一人じゃできないことばかり



  独りで出来ることはただ一つ

  サヨナラ一つ言わないで

  この世の生を閉じること



  見えないあなたはいつもいる

  私はあなたに活かされて

  あなたのためにここにいる




    汚いあんたを



気分悪くてムカついてても

辺り構わずゲロ吐くな

ゲロはバケツに吐いとくれ

みんなはあんたのバケツじゃない



溜まり過ぎてこらえきれずに

そっこら中でクソを垂れるな

クソはベンキに垂れとくれ

みんなはあんたのベンキじゃない



背中をさすってほしければ

いっくらだってさすってあげる

ほしけりゃティッシュを一箱あげる



あんたが自分で噴き出した

ゲロとクソにまみれていても

あたしはあんたを拭ってあげる




一つの思いでも、それが違う言葉で表されるとまったく違う思いのように聞こえることがあります。

僕らは耳を鍛えて、耳を澄まさなければなりません。そして、ざわつく思いを言葉で整理する頭と、人に伝わる言葉で語れる口を鍛えなければなりません。

学校はそれを鍛え合う場なのですから。


悪口の法則

      「サミシイ虫」が悪口・陰口を言わせる

あちこちで他人の悪口をふれ歩いているAさんの中には「サミシイ虫」が住んでいます。Aさんだって悪口は良くないし、それをコソコソ言うのはもっとよくないことだと分かっています。なのにAさんの口から出てくる言葉が陰口になってしまうのは、心の底に巣食っているサミシイ虫のしわざです。

AさんはBさんの気を引きたくて、Cさんの悪口を言うことでトモダチになろうとしました。でも、Cさんと仲が悪くなるのが嫌で、今度はCさんの気を引くためにBさんの悪口を言いました。秘密を共有することが大切なのですから、悪口の中身がホントかウソかは関係なし。そのうちもっと相手の関心を引くために、ウソをでっちあげてまで陰口を言い始めました。

その結末はみんなも知っているとおり。Aさんは、BさんからもCさんからも嫌われて、それを知ったDさんからZさんにまで嫌われて、一人の友達もいなくなったのです。

Aさんの悪口・陰口を止めるには、サミシイ虫を退治しなければなりません。


さて、サミシイ虫を退治するには、誰の助けが必要でしょうか?


      悪口・文句は「クレナイ族」の口癖

一日中、文句や誰かの悪口を言っているEさんは「クレナイ族」です。自分はこんなに頑張ってるのに、なんで認めてクレナイの?あんないいかげんな人が可愛がられているのに、ちゃんとやっている私をなんでほめてクレナイの?どうして優しくしてクレナイの?

「頑張ってるね、ステキだよっ」て、言ってほしい人に言ってもらえないいら立ちや悲しみは、まったくの他人に対する八つ当たりとなって吹き出します。小さな悪に目くじらを立て、自分の正義を振りかざそうとがなり立てます。自信がない分だけ強がりを言ったり虚勢を張ってしまいます。

まわりの人はそれを怖がって、余計に離れていきました。仲良さそうに見えるFさんも、Eさんとは距離を取って接していました。

Eさんの人を傷つけるキツイ言葉の奥底で、悲痛な叫びが響きます。「ナンデアイシテクレナイノ?」


さて、Eさんがクレナイ族から足を洗うには、どんな助けが必要でしょうか?


      ネット上の悪口は、ことばの暴走族

夜中に親の目を盗んでこっそり家を抜け出したGさんは、友達のHさんとバイクの二人乗りで暴走し、騒音をまき散らし、道行く人を不安にさせて「道路交通法違反」で捕まりかけました。それにもこりずに暴走を続け、人をひいて大ケガを負わせたのに無視して逃げてしまいましたが……。

ネット・ブログ上での悪口・陰口は路上での暴走族と同じです。人を不安にさせるだけでも罪ですが、それがもとで誰かの心や立場を傷つけたら、名誉棄損(めいよきそん)罪や侮辱(ぶじょく)罪の罪に問われます。

ただ、君たちはまだ「こども」です。君たちは刑事上の責任をとることはできません。その代わりに保護者であるお母さんやお父さんが責任をとる=たとえば慰謝料を払うのです。


では、書き込みやブログを消したらそれで終わり?裏面の法律家の話を読んでください。


※ A〜Hさんはすべてフィクションですが、この世のどこかに実在するかもしれません


 保護者のみなさまへ     ご報告とお願いです

先週、中間考査の成績が渡されたばかりですが、明日は国・数・英三教科の『学力推移調査』が行われます。また、クラブの大会に初めて出場させてもらえる子も出てきました。落ち着いて勉強したい、クラブで頑張ろうと思っている子がいる一方で、苛立ちや不安の渦の中でもがいている子たちもいます。

ケータイやパソコンを出入口にしているネットのバーチャル空間に、こどもたちがため込んでいた毒が垂れ流されて拡散し、現実の空間にあふれ出てきています。

今日の1時間目の合同HRでは、その原因や危険について話しました。ご家庭でも、フォローをよろしくお願いいたします。お嬢さんの言葉に、ゆったり耳を傾けてあげてください。


目次に戻る























































三日月がグラス代わりの酔芙蓉
(すいふよう)

2011年度  23枚目の手紙  2011年10月20日

ドングリにも、

ドングリなりのほこりってもんが

あるんだよね



酔芙蓉も終わりかけ



    ヒトになれ



イヌになるな

強い者に擦り寄って尻尾を振り

夜風に怯えて吠え立てる犬になるな

それはイヌのすることだから



ネコになるな

気まぐれに喉を鳴らして甘え

気に入らないと爪を立てるネコになるな

それはネコのすることだから



ニワトリになるな

小さな囲いの中でつつきあい

飛べない羽をばたつかせるニワトリになるな

それはニワトリのすることだから



カラスになるな

ゴミをあさって死肉をついばみ

ガラス玉で巣を飾るカラスになるな

それはカラスのすることだから



ヒトになれ

深い情感を芸術に高め

理想を掲げて夢を追え

それがヒトのすることだから



若いうちは、お肌も個性も磨けば光る!

ほこりは払わずに磨きましょう

文房具を買いに購買に行くと、レジの後ろに襟元が紺で縁取られた見慣れぬ服が目に入りました。札には「セーラー服用インナー」。あれは何かと尋ねると、保護者の方がセーラー服の下に何を着せたらいいかわからないというので、二年前から仕入れているインナーなのだそうな。

制服の下に何を着ようと勝手なのだし、あんな高いもの(ユニクロの3倍近く?)を買う人はめったにいないでしょうねと尋ねると、意外や意外。入学時には結構売れているとのこと。へぇ〜と驚くと、「お母さん方はみんなと同じものを着せたがるようです。人と違うのを着ていて変に目立って、子供が何か言われたらかわいそうだと思うようです」とのこと。重ねてへぇぇ〜〜です。

決められた制服をちゃんと着ることは「社会のルール」を身に付けるためにも大切です。しかし、決められてもいないソックスや下着までみんなと同じに着ようとすることには、違和感を覚えます。それは、みんなと同じ=その時はやりの服の下には、みんなと同じ体=はやりのスタイルを持ち、体の中にはみんなと同じ心=はやりの考え方を持っていないと安心できない、仲間として認められないということにつながるように思えるからです。それはそれこそ変でしょう。

目立つことが嫌いな人は、ベーシックで落ち着いた雰囲気の服を着ればいい。目立つことが好きな人は、人の目を気にせず思い切ったデザインや色合いの服を着ればいい。目立つかどうかより自分のこだわりを大事にしたい人は、自分の考えがじんわりにじむ服を着ればいい。何を着ようがお構いなしの人ならば、あれこれ気にせずありあわせでいい。服も体も心も同じ。

京女の制服を着ることは、京女生の誇りを身に付けること。では、京女生の誇りとは一体どんなものでしょう。それは、小っちゃなことにとらわれぬ大きな願いに抱かれて、たった一つの自分の命を輝かせること。どんな時代、どんな場所、どんな人との間でも、男だろうと女だろうと、誰もが輝く自由を手に入れるため、逃げることなく立ち向かうこと。それが京女の誇りだったはずです。

京女生のセーラー服は、自由を守るために戦う少女達のエレガント(優美)な戦闘服(バトルスーツ)です。

確かに誰もが同じことをできるわけではありません。しかし、一人一人にできる何かがあるはずです。誰かがみんなのために立つならば、他のみんなはそれを支える。誰かがみんなのために旗を振るなら、他のみんなは声を上げる。

今日から始まる生徒会選挙、一年生は一年生なりのやり方で、ビシッと決めてみませんか?


保護者のみなさまへ ー 再びお願いです

試験が終わってほっと一息つく間もなく、子供たちは生徒会選挙の告示の日を迎えました。生徒会だなんて、一年生に何ができるの?勉強とクラブの両立さえ大変なのに、生徒会まで手を出したら勉強時間が無くなるじゃないの!と疑問や心配を抱かれる保護者の方も多いでしょう。

そこで思い出してください。家事でも育児でも仕事でも、誰かの役に立っているんだという自覚が、人生に張りを与えるものだということを。お嬢さんが何かを担えるよう、ポンと背中を押してあげてください。

目次に戻る
























































虫の音に気付く 朝
(あした)の頼りなさ

2011年度  22枚目の手紙  2011年10月17日

明日から始まるテストは、

君のもう一つの秋の実りを確かめる場



紫苑の花一輪一輪がごちそうです


よい言葉はヒトを育て、悪い言葉はジブンを殺す

明日から中間考査。初日は英語と国語。二つに共通するのは「言葉の力」を身に付けること。英語は分かるけど日本語が分からない人と仲良くなるために、君は英語を学んでいるはずです。そして日本語を話しているのに、相手の思いをくみ取れない、自分の思いをうまく伝えられない、思いが通じ合わない人と一緒にソコソコ仲良く暮らしていけるように国語を学んでいるのです。そして「言葉」によって、今まで知らなかったことを知り、気付かなかったことに気付き、考えられなかったことを考えられるようになるために学んでいるのです。

乙武洋匡さんの評論「心のバリアフリー」で君は学びました。自分を大切にする、自分の役割に気付く、自分に誇りを持つことが他人を認める力となることを。それが人の間の壁を取り去り、みんなが自由になることを。

何かを恐れて自分を押し殺したり、誰かにすり寄って自分を見失ったり、自分の弱さと向き合えずに自分の誇りを失って、自分を本当に大切にする=愛することができなくなった人は、他人も傷つけてしまうでしょう。

まずは、自分の小ささ・情けなさ、やってることのセコさ・幼稚さを自覚しましょう。それと同時に自分の器を大きくしたいと願いましょう。この世でたった一つのかけがえのない自分を大切に育てて下さい。


      コビンチョ



気が付いたら好きになってた

なぜか知らずにそうなっていた

小っちゃなことで嫌いになった

どうしようもなくそうなった



仲良しこよしは移ろいやすく

小っちゃな自分は頼りなく

あっちへフラフラこっちにユラユラ

行きどころなく漂うコビン



小っちゃな心に寄せるさざ波

好きでひかれて嫌いでひいて

はじけて消える水の泡



小っちゃな好きしか入れられず

小っちゃな嫌いが溢れ出る

小っちゃな小っちゃな私はコビンチョ


目次に戻る























































秋の夜は ススキ野原で肩を寄せ


2011年度  21枚目の手紙  2011年10月11日

君は生徒会員だから、

生徒会選挙に立候補できます



ツバキの実、育ててみませんか?


大人になりたい? なりたくない?

なるならどんな大人になりたい?

京女生活半年。定期考査で勉強に対する自分の甘さを知り、クラブやクラスの日常で自分の人づき合いの未熟さを知り、文化祭や体育祭で自分の指導力や器の小ささを知った人は幸いです。なぜなら、今自分が何を育てていくべきか知っている人だからです。

勉強の楽しさや人づき合いの楽しさ、自分の可能性を知った人は幸いです。なぜなら、楽しさや夢を人と分かち合うことができる人だからです。

京女生活あと五年半。自分を知り、人と交わり、仲間と共に何かを産み出す力を鍛えましょう。

その次の一歩は、立候補かもしれません。


      大人になる勉強



  お母さんにしか子供は産めません

  でも産んだだけでは

  お母さんにはなれません

  子どもに育てられてお母さんになるのです



  先生には免許がなければなれません

  でも免許があるだけでは

  先生にはなれません

  子どもに教えられて先生になるのです



  子どもは生まれた時から子供です

  でもいつまでも

  子どものままではいられません



  年だけ取った子どもにならないように

  君は今 ここで何を学んで

  どんな大人なりたいのでしょう


覚えておこう 三つの法則

立てば 見える

「このままじゃだめだと思うんですけど、全然先が見えないし、どこに向かっていけばいいかわからないからできません」というのは、「やらないための口実」でしかない……かも。安楽イスに寝そべったり、壁を背にあぐらをかいて座っていても、先など見える訳はない。

まず立ちましょう。そして時には爪先立って背伸びをしましょう。ただそれだけで、さっきまで見えなかったものが見えてきます。独りで立つのが怖いなら、支え合える人を見付けたらいい。こけたって小さな自分、身の丈以上に倒れる高さはありません。


立てば海が見える、爪先立ったら富士山ぐらい見える……かも

数打ちゃ 当たるようになる
「的の中心をじっと見つめて気を集中し、一発勝負」で勝利を得た人も、練習では何百何千という矢を放って失敗を重ねてきたはずです。大人になると、背負う荷物や失う財産を少しばかり持っている分、失敗や損失を恐れて無難・安全ばかりを求める人が増えてきます。

しかし君はまだ13歳。大人の十倍失敗してもまだまだ大丈夫。ザックリ傷付き血を流しても、ボコボコにへこんでも、君には再生できる時間と力=若さがある……はず。失敗を時間の無駄と思うか、人生の糧(かて)にするかは君次第。


できるようになるまで失敗し続けた人が成功者です  

賽は投げたら 目が出る
賽(さい)はサイコロのこと。君にもある日、勝負の時が巡ってきます。その時、神頼みでお賽銭を投げるのもいいですが、自分の手で人生のサイコロを投げる方がカッコイイ……かも。

勝負を捨てれば「負け」はないかもしれませんが、屈辱や後悔ばかりが残りがち。やって失敗した後悔より、やらないで逃げた後悔の方が重いものです。親任せ、先生任せ、友達頼りの優柔不断にサヨナラをして、自分の人生、自分の決断で事をはじめましょう。


サイコロの目にゼロはありません  


目次に戻る





































































物思い  寝待の月も にじみたり


2011年度  20枚目の手紙  2011年9月14日

安心して、

一緒に悩みあえるといいですね



彼岸花のつぼみが膨らむ


文化祭まであと一週間

みんなで何かをやり始めると、それぞれが自分のスタイルや自分のペースで生活している日常では気にもしなかった人、気付かなかったことを無視できなくなります。なんとなくやり過ごしていたこと、適当にごまかしていたことが表に出てきて、もめ事になります。

そうした問題を乗り越える力を鍛えるのが京女の文化祭・体育祭です。いろんな助けを借りながら、お互いに鍛え合ってください。それにはまず、「違いを楽しむ余裕」が大切です。

      すっぱいあなた


わたしはすっぱいものが好き

レモン、ピュレグミ、ヨーグルト、酢だこ、梅干し、ゆずポン酢

すっぱいものはおいしいし、体にだっていいんだから

なのにあなたはすっぱいものはダメだという



熟していない青リンゴ、期限の切れたロースハム

すっぱい味やすっぱい匂いは体に毒な危険のしるし

動物ならば避けるのに人間だけが口にする

そんなリスクを背負うのはおれは御免こうむりたい



ハンバーガーのピクルスを指で挟んでつまみだし

コンビニ弁当の小さな梅をはしの先で横によけ

サラダのハムを嗅いでいる



あきれたもんだとバカにはするけど

わたしはあなたが大好きよ

だってあなたの靴下はすっぱい香りがするんだもの


覚えておこう 三つの法則

  言われたことをすぐその通りできるなら、

                                                     誰も苦労はしない

相手にとって簡単なことが、自分にとって難しいことがあるってことを忘れずに

  意味を理解しないまま言われた通りやっていても、

                                                      応用がきかない

意味を理解すれば、どうすべきかは言われなくても自然に見えてくるものです

  相手の立場に立って考えないと、

                                                      自分の言葉は通じない

何べん言っても分かってくれへんのは、自分の立場で話しているからです



目次に戻る































































野分待つ 落ち着かなさも また楽し


2011年度  19枚目の手紙  2011年9月1日

備えあれば  憂い少なし


ムラサキシキブがつややかです


        うらみになみだを

あなたはわたしをあざむいた

いく度もかわいた嘘をつき 数え切れない隠しごと

しらばっくれてしらを切り しめっただんまり決め込んだ



それでもわたしは信じてる

今はそんなあなたでも いつかはきっと変わるはず

その日が来るのを信じてる



わたしはあなたを知っている

つめたい悪意はないけれど あなたが約束破ること

ほのかな熱意はあるけれど あなたがそれをしないこと



わたしにすべては分からない

今のあなたのじれったさ 今のあなたのひっかかり

それでもあなたを愛してる



うらみになみだをぬぐっても

あなたの明日を信じてる

あなたの今日を愛してる



目次に戻る
































































あたふたと  想定内の  嵐待つ


2011年度  17枚目の手紙  2011年7月19日

「夏の課題」より  青春の課題を大切に


カモミールの蜜吸うシジミチョウ


      それでいい


地面すれすれの低空飛行でも

墜落しなけりゃそれもあり

小さな空地を見付けては

燃料補給すればいい



めったに浮かばぬ潜水艦でも

沈没しているわけじゃない

静かな入り江に立ち寄って

空を眺める日があればいい



人は鳥や魚にあこがれて

星やあの世にあこがれて

道具と神を造り続けた



人は大地を歩くもの

肩寄せ合って眠るもの

あなたがいればそれでいい




目次に戻る
































































蝶々は  梅雨の晴れ間に  朝ご飯


2011年度  15枚目の手紙  2011年6月28日

夏の高気圧って耳にするだけで、

何だか血圧が上がってきます



秘密の花園のシジミチョウ



        A ku I


人は他人(ひと)を愛すると

他人に囚われ


他人を失うことを恐れ

他人を奪おうとする他人を憎む



自分を愛する人は

自分を傷つける他人に怯え

自分を無視する他人に怒り

自分を愛さぬ他人を恨む



愛の芯には苦が宿る

愛するほどに苦は燃える

悪意となって他人をやく



悪意漂う人の世に

愛に渇いた人がいる

苦に満ち満ちた人がいる




目次に戻る
































































昼日中  人の血を吸う  身重の蚊


2011年度  14枚目の手紙  2011年6月20日

傘にはねる雨音は、

ショパンほどには優しくないようで



雨で校舎の補修工事も進みません



    二発目の銃弾


気が付いた時

親娘を狙う銃口がそこにあった

親は娘を背中に庇(い身を盾とした

銃は無表情に一発の銃弾を放った

親はその身に弾を受けて倒れた


親はたった一つの命を失った

失いたくないたった一人の

娘のために失った



倒れた親の後ろで

娘は銃口に身を曝してそこにいた

悲鳴も上げずに立ち竦んでいた

銃は無表情に二発目の銃弾を放った

娘はその身に弾を受けて倒れた



娘はたった一人の親を失った

守ってもらったたった一つの

命を守れず失った



死んだ親娘に必要だったのは

鋼の盾と鋭い剣

助けを求める声と逃げのびる脚

それとも天に召される信仰だったのか



今、生きている者に必要なのは

獣から身を守り獲物を仕留める人の知恵

人は獣でも獲物でもないことを悟る人の知恵

奪い合うのではなく分かち合って生きる人の知恵



目次に戻る































































青虫の食べ残したるミントの香


2011年度  13枚目の手紙  2011年6月17日

風通しよく窓開けて、戸締り用心忘れずに



ここから下校放送しています



見えぬゾワゾワ


一雨ごとに虫が湧く

光の差さぬ地の上で

シロアリムカデダンゴ虫、黒いゴキブリ白いウジ

ゾワゾワゴソゴソ蠢いて

落葉の中を這い廻り、小枝の隙を縫いながら

ふやけた木の実や朽ちた幹、腐れた死骸を取り巻いて

ゾワゾワゴソゴソ食い破り

知らずに土を肥やしている

たゆまぬ虫は常に無私

気付かぬ人は常に無知

飼われぬ虫のたくましさ



一雨ごとに虫が湧く

一人ひとりの身の上で

腹の虫やら疳の虫、浮気の虫にジンケンムシ

ゾワゾワモゾモゾ蠢いて

人の影を這い廻り、心の隙を縫いながら

黒い噂や赤い恥、黄色い息をまき散らし

ゾワゾワモゾモゾ悔いもなく

知らずに人を壊している

はびこる虫は常に無恥

傷付く人を常に無視

          おのれの虫を飼いならせ



目次に戻る



























































ドクダミの花に  心を癒しおり


2011年度  12枚目の手紙  2011年6月7日

娘の役、妻の役、母の役……

次は何の役を演じましょう



ドクダミはかわいいねえ


光の影に宿るもの



嫉妬はあこがれの影?

あの人が持っているのに

持っていない私の  悔しさ

嫉妬の深さの分だけみじめになる



嫉妬はプライドの影?

あの人ばかりがなぜ

負けを認めたくない  苛立ち

嫉妬の深さの分だけ傷は深まる



許せないあんな人 こんな私

内に揺らめく炎を隠せないのは罪?

私を救えるのはあなた? それとも私自身?



嫉妬は恋しさの影?

独り占めしたいしされたいし

嫉妬の深さの分だけ深まるのは愛?  それとも




目次に戻る














































































紫陽花の色  変えるのは 土の精


2011年度  11枚目の手紙  2011年6月6日

梅雨真っ最中。

人の世ぐらいは爽やかにしたいものですね


メダカ池には墨田の花火がポン


    言葉で育てる愛


    よい批評は相手の特徴をつかみ取り

    導き育てるもの



    優れた批評は相手の気付かぬ良さを発見し

    飛躍させるもの



    悪い批評は誰もが気付く悪さをあげつらい

    打ち砕くもの



    自分好みをほめ、気に食わぬものをけなすのは

    自己満足



    批評が語るのは語る人の知性と感性

    そして愛



    異国の神は天地を「光あれ」の一言で創造したという

    私はどんな言葉で何を生み出すことができるだろう




目次に戻る
















































































タンポポに キスするごとく 綿毛吹き


2011年度  8枚目の手紙  2011年5月10日

夏服か冬服か、迷う日が続きますね

ならんでいてもみな違う


  ひとりとみんな


今そうしていたいなら

一人で座っていたっていい

君も分かっているように

どこにいようと独りでは生きていられない

誰もの隣に誰かがいて

気付かない何かの支えがそこにあるから

一人の自分も生きているってことを忘れなければ



今そうしていたいなら

みんなと騒いでいたっていい

君も気付いているように

みんなと居ようとみんな一緒はあり得ない

みんなは違う一人のあつまりで

違うみんながみんなの周りにいくつもあって

どれも同じに大切だってことを忘れなければ




目次に戻る














































































新緑を ゴクリゴクリと 鯉のぼり


2011年度  7枚目の手紙  2011年4月28日

相手の気付いてほしいことに、気付ける想像力を養おう

自分が気付いてほしいことを

気付いてもらえる表現力を養おう


気付ける愛と、気付かせる勇気を育てよう



敷居は結構低めです


  拙い私


悩んでいる私

困っている私

黙っている私

気付いてもらえない私がいる

自分の殻を脱げない私

どうしたらいいかってことぐらい分かる

分かっていてもできないのが私の拙さ



余裕のない私

視野の狭い私

自己中心の私

気付いてあげられない私がいる

それに気付けない私の幼さ

どうしたらまずいかってことぐらい分かる

分かっていてもできないのが私の拙さ



見過ごしてしまう私

巻き込まれたくない私

偉そうにと思われたくない私

気付かせてあげられない私がいる

私に足りない優しさと強さ

どうしたらいいかってことぐらい分かる

分かっていてもできないのが私の拙さ




目次に戻る













































































春雷に 何だか忘れた 探し物

2011年度  6枚目の手紙  2011年4月22日

忙しい時こそ 大切にしたいことがある



保健室前は花盛り


      素直な目で


  素直な目で世の中を見つめると

  常識の非常識が見えてくる

  非常識の勇気が見えてくる

  誰かが掲げた正義の向いに はためく

  もう一つの正義が見えてくる


  素直な目でその人を見つめると

  強がりの弱さが見えてくる

  ぶっきらぼうの優しさが見えてくる

  誰もが何かを抱えながら 何かを

  背負って歩く姿が見えてくる


  素直な目で自分を見つめると

  隠した嘘が見えてくる

  隠れた願いが見えてくる

  誰にも言えないことだけど もっと

  素直になりたい自分が見えてくる



目次に戻る













































































葉桜を 仰ぐ背中の  しなやかさ

2011年度  3枚目の手紙  2011年4月13日

失敗しても大丈夫
ごめんなさいが言えるなら

同じ失敗しても大丈夫
自分の個性がわかるから

何度失敗しても大丈夫
くじけぬ強さが身につくのなら



自立と孤立は違います


        いつもここに


    夢が壊されたって嘆く人がいるけど

    そんなことはないさ

    夢は形のないものだから

    自分があきらめない限りここにある


    魂を傷付けられたって嘆く人がいるけど

    そんなことはないさ

    魂は神様が下さったものだから

    誰も傷つけることなんてできやしない


    愛が失われたって嘆く人がいるけど

    そんなことはないさ

    愛は自分の内から湧いてくるものだから

    どこにも行きはしない




目次に戻る










































































午後の陽の さくら吹雪に 埋もれたい

2011年度  2枚目の手紙  2011年4月11日

同じ場所にいても  自分には見えないものがある

同じことをしていても  自分だけ気付かないことがある

同じ人と出会っていても  今日初めて発見することがある


本願寺の門の中で
君はドラゴンボールを見たか?


摩擦が生む光


私は磨く

靴を磨く、床を磨く、窓を磨く、便器を磨く

ピカピカになるとうれしいのは

私の努力が光るから



私を磨く

歯を磨く、肌を磨く、腕を磨く、女を磨く、知性を磨く

歯と肌はツルツルになるけれど

他のは磨けているか分からない



母が私を磨けば

私の光は母の喜び、私の曇りは母の悲しみ

父が私を磨けば

私の光は父の誇り、私の曇りは父の苛立ち

私が私を磨かなければ

光は私のものにはならない



付いた汚れを取るだけなら、柔らかな布で拭えばいい

楽をしたいなら、艶出しワックスを塗ればいい

でも私は、本当の私の光を放ちたいから

痛みに耐えて、私より硬いものと擦れ合う



目次に戻る








































































スロープのさくら待ちたる 学びの舎

2011年度  1枚目の手紙  2011年4月7日

  きっと この世界の 共通言語は

                             英語じゃなくて

                                           笑顔だと 思う  


                                                              (高橋優『福笑い』より)



開き具合は一花ごとに


          未知の器

形の固まった大人なら  無理して自分が壊れないよう

自分になじんだ形を守るのもいい

でも  君はまだ柔らかな娘

傷つきやすい分だけ  可能性に満ちている

過去の自分にとらわれず  今の自分のままではない

未知の形を求めよう

何かに合わせるのではなく

誰かに型押しされるのでもなく


自らぐっとひろげて  ぐいっとひねって

思いのままに形を作ろう


思いがけないことになっても  思わぬ発見を楽しもう

疲れてきたら休み休み  力が湧いたら続けよう

  大切なのは傷つかない堅さじゃなくて

傷つきやすい柔らかさ

  必要なのは傷つくことを恐れない勇気

柔らかさを保つ愛の潤い



目次に戻る