Top Pageへ戻る

はじまりは歌と共に

その8  いつもその時、ビートルズ

2005年度 8枚目 2005/04/28

■  明日のことはわからないから、今日のひと日を大切に

2001年の9月11日も衝撃の日でした。その後、アフガニスタンやイラクにアメリカは軍隊を送りました。それに対して世界の多くの人々が、
ジョン・レノンの「イマジン」を歌いました。今朝のラジオ(αステーション)では、月曜日のJRの事故を伝えるニュースの後、ポール・マッカートニーの「ヘイ・ジュード」が流れていました。しおれた時には安らぐ慰めを、へこんだ時には立ち上がる勇気をくれるビートルズの歌を4月最後の手紙で紹介します。

ヘイ・ジュード             作詞・作曲

Hey Jude, don't make it bad

Take a sad song and make it better

Remember to let her into your heart

Then you can start to make it better


Hey Jude, don't be afraid

You were made to go out and get her

The minute you let her under your skin

Then you begin to make it better

And any time you feel the pain


Hey Jude, refrain

Don't carry the world upon your shoulders

For well you know that it's a fool who plays it cool

By making his world a little colder


Hey Jude, don't let me down

You have found her now go and get her

Remember to let her into your heart

Then you can start to make it better

So let it out and let it in


Hey Jude, begin

You're waiting for someone to perform with

And don't you know that it's just you


Hey Jude, you'll do

The movement you need is on your shoulder


Hey Jude, don't make it bad

Take a sad song and make it better

Remember to let her under your skin

Then you'll begin to make it better

ポール・マッカートニー ( ビートルズ )

ヘイ、ジュード 悪く考えるな

悲しい歌だって気持ちひとつで良くなるさ

彼女を君の心に受け入れるんだ

そうすれば、全てはうまくいくだろう



ヘイ、ジュード 怖がるな

君自身が彼女を手に入れるんだ

彼女を抱きしめたとたん

全てはうまくいくだろう

苦しい時はいつでも



ジュード、思い出せ

何もかも一人で背負い込むことはない

分かるだろ、自分の世界を冷ややかにして

クールに気取ってるヤツが、なんてバカげているか



ヘイ、ジュード がっかりさせないでくれ

せっかく見つけた彼女を手に入れるんだ

彼女を君の心に受け入れるんだ

そうすれば、全てはうまくいくだろう

さあ 心を開いて受け止めろ



ジュード スタートするんだ

誰かが助けてくれるのを待ってるのかい

君じゃなきゃだめなんだ



ジュード 君次第だよ

自分自身にかかっているんだ



ヘイ、ジュード くよくよするな

悲しい歌だって気持ちひとつで良くなるさ

彼女を抱きしめたとたん

全てはうまくいくだろう


ロゼッタストーン
http://www.rosetta.jp/)という女性議員を応援するホームページがあって、そこが発行元になっている女性国会議員メールマガジン『ヴィーナスはぁと』を毎週配信してもらっています。今朝届いたメルマガは、その事故についての社民党議員のレポートでした。その一部を下に転載します。この4月、現代文の授業でやってきた池内了の『生物時間を生きる』と重ねて、君の生活や人生観を考え直す機会にしてもよいかもしれません。

差出人: kapu@bcs.biglobe.ne.jp
送信日時: 2005年4月28日木曜日 6:00
件名: 女性国会議員メルマガ『ヴィーナスはぁと』 第176号

「JR 福知山線脱線事故について」   福島みずほ(参議院議員・社民党・比例)



現場で働く運転士さん、車掌さん、保線区で働く人たち、地域の人の声などが寄せられているので、紹介をし、事故防止について一緒に考えたい。

明石市議の人からメールをもらった。それには次のようにある。

「私鉄との競争に勝つため、スピードアップさせ、新快速は120キロ。駅の通過でもスピードダウンせず、100キロ以上でぶっ飛ばす。そのため、眼精疲労がはげしい。電車の遅延は処分。国労やJR西労の運転手は排除し、新任の運転手に交代させ、スピードアップのため、軽量の車両にチェンジ。過密なダイヤ。ホーム要員の削減、廃止。いつか大事故につながるのではないかと心配していました」

西日本会社は、4月初めに「列車の遅れはお客様の信頼を裏切る」と社員に文書で配布。今回の事故で脱線した電車の運転士が所属する京橋電車区を管轄するJR西日本大阪支社が事故前の2週間、JR尼崎駅発着の全列車について、一秒単位で遅延状況を把握する調査を実施していたことも明らかになった。「一秒単位で遅延状況を把握する」というのは、運転手の人たちにとって、ものすごいストレスになっていたのではないか。

車掌さんの声を紹介する。

「脱線の原因は不明のようですが、事故の状況を聞いて他の車掌も『ミスをして焦っていたのだろう。しかも前科があればなおさらのことだ。もう後がないと追い込まれた気持ちになるよなぁ』と共通して言ってます。つまり自分の職場の状態と重ね合わせての思いです。JR西日本の労務管理の状態については、東日本と比べてもキツイとのことです。1分とか2分の遅れで乗務停止になり、10日間ほど再教育。中身は私生活を改める反省文を書く、社内規定を書き写すなど、精神訓話的なもの」

運転手さんの声を紹介する。

「乗務員に対する指導、育成の問題は、若い奴が若い奴を教える、経験・知識・人格が備わっていないうちから指導するので、仕事の知識・技能は形骸化している。常に乗務停止、始末書、顛末書、対策書をかかされると、常に事故に対する過度の心理的負担がある。乗務停止は再教育と会社は言いますが、始末書などを書くのが主だと思われます。他の乗務員に対する見せしめ的なものです」

余裕がなく、厳しい労働実態が伝わってくる。一言で言うと、「安全」よりも「効率」優先ということではないだろうか。そのような労働実態を変えることでしか「安全」は守れない。


つづく

目次にもどる






































はじまりは歌と共に

その7  嵯峨野の竹の秋

2005年度 7枚目 2005/04/27


■  人間の傲慢を戒めてくれる自然のありがたさ

   風に舞い  天に昇れる花びらの後追えぬ  身の重さうらめし
散り果てて  名を忘らるる桜木の枝に  芽吹ける若葉いじらし
古寺の竹を黄ばませ  楠の落ち葉積もらせ  暮れて行く春  


今日は、昨日の遠足で冷たい雨に打たれたせいか、風邪で二人お休み。早く治ってくれることを祈るばかりです。

降る雨の中、「私、雨女やねん」と言っている子がクラスに何人かいました。もし、ここがサハラやモンゴルだったら、彼女らは雨乞いの巫女として崇め奉られるほど貴重な存在になれたでしょうね。でも日本には、きっと何100万人もの雨女がいるんだろうね。春雨、菜種梅雨、五月雨、梅雨、夕立、台風、秋雨、時雨、深雪、名残雪etc.と、この国は一年中雨や雪に恵まれた、水分たっぷりの国なのですから。

昨日の遠足の最中、そんな雨が僕たちに教えてくることに二つ気付きました。一つは「竹の秋」という俳句の季語。嵯峨野巡りをしている最中、その地面のそこここに筍(たけのこ)がニョキニョキ生えている竹林を抜けながら、「タケノコタケノコニョッキニョキ」と言葉遊びを楽しんでいる陽気な人々がいました。春の雨と日の光が、竹の新しい命をグイグイ延ばしているのを目にすると、ワクワクしてきます。

しかし、その一方、冬を越した去年の竹の幹や葉が黄ばんでいたことに気付いていた人は少なかったかもしれません。竹は地下茎の筍を伸ばすため、自ら蓄えていた養分を搾り出し、黄色く枯れて行くのです。それで、竹の葉も幹も黄ばみ、まるで秋の落葉のようになるので、昔の人は春の竹の姿を「竹の秋」と呼び、それが俳句の季語にもなっているのです。

新たな生命の影には、それを支えて消えていく命があることに気付く目も持っていたいものです。

もう一つは自然に対する人間の傲慢さ。「天気予報では降らへんっていってたのに!」と、雨を恨むのは見当違いなのです。人工的な環境の中にどっぷり浸かっている僕らは、天気予報で「曇りのち晴れ」と出ていれば、傘を持たずに外出しがちです。でも、山の自然は、そんな人間の浅はかさをたしなめるように、思わぬ雨を降らせます。山の雨に打たれることによって自然の大きさと人間の小ささに気付くことができてよかった。それは、ひょっとしたら人間同士で作る社会も同じかも。人が人を管理して、誰かの都合で人を思うように動かせるなどと思っている人がいたら、その人は自分の傲慢さに気付くべきなのでしょうね。


■  神と悪魔か、人間か

さて、雨が去って爽やかな風が吹き抜けた午後、ポッカリ空いた夕方の時間に君は何をしたのでしょうか?僕は、京都新京極三条に新しくできた映画館MOVIX京都の新館とその1階にある紀伊国屋書店を視察に行きました。紀伊国屋はちょっと期待はずれ。でも、コミックスやDVDのコーナーが広いので、それに興味のある人にはよいかも。映画館の方は、旧館でかかっていた『コンスタンテティン』を観てしまったので、新館の中はわからずじまいです。

フランシス・ローレンス監督、キアヌ・リーブス主演の『コンスタンティン』は、人間階を巡って神と悪魔がせめぎあう話。主人公コンスタンティンは自殺をして生き返ったエクソシスト。トム・ハンクス主演の『ターミナル』もキリスト教保守主義の臭いのする映画でしたが、それ以上に宗教色の強い映画でした。

『コンスタンティン』で面白かったのはタバコの扱われた方。一昔前の映画だったら、タバコは男らしさやカッコよさの小道具として使われてきましたが、この映画では肺がんで自分の命を縮める自業自得の毒薬という扱い。味のある小道具として使われたオイルライターがエンドロールの後に仕組まれた意外な一場面で出てきます。観に行く人は、決してエンドロールがはじまったところで帰ることのありませんように。

もう一つ面白かったのは、人間は悪魔の姿や地獄をおどろおどろしく描くことはできても、神の姿や天国を美しく描くことは難しいということです。カトリックでは、自殺した人は神の教えに背いたということで、お葬式さえ挙げてもらえず、永遠に地獄で苦しみを味わうとされています。「あんなに恐ろしげな地獄に落ちたくなければ、自殺をしてはいけません」というメッセージもいいけれど、「こんなに清らかで美しい天国なのですから、安心して死になさい」というメッセージを送る映画があってもいのではないでしょか。何しろ、生に執着し、死を恐れる人がほとんどなのですから。

マトリックス』と同様のよくできたCG画像を楽しみたい人には『コンスタンティン』、人間の欲望と弱さを描いた秀作を観たい人には、MOVIX京都で同時にやっているマーティン・スコセッシ監督、レオナルド・ディカプリオ主演の『アビエイター』をお薦めします。


つづく

目次にもどる



































はじまりは歌と共に

その6  Lullaby(ララバイ)を口ずさむ

2005年度 6枚目 2005/04/23

■ 共に「する」喜び

今週のまとめとして、まずはクラスメイトの生徒会長当選を祝福。新しい生徒会執行部が、「生徒のための生徒会」を創っていってくれる事を期待しています。

そして、球技大会ご苦労様。球技大会は体育委員さんや関係クラブの人たちのおかげで充実した一日となりました。雨で一日延期になりましたが、ささやかな緑風に赤や黄色の歓声が響き、泣いたり笑ったりのステキな一日となりました。

全力で走り回ったバスケットボールは健闘及ばず一回戦で終ってしまいましたが、ボールを追うメンバーの真剣な眼差しが印象的でした。

青空のもとのバレーボールはとても開放的で、ネットを越えて行き交うボールの行方にドキドキしました。

めでたく3位入賞となった卓球。この日の卓球場は怒涛の歓声に包まれたスタジアムと化しました。「ピンポン」の音だけが響く息詰るラリーの末、ポイントを取るごとに沸騰する応援の歓声の中にいると、何とも言えない一体感を味わうことができました。

来週の遠足や連休明けの読書会でも、それぞれの楽しさが味わえるような委員さんの気配りを期待しています。


■  連休にはトキメキと安らぎを

さて、まもなくはじまるゴールデン・ウィーク。旅行やクラブもいいけれど、見知らぬ町の路地でチョットした発見にときめいたり、新しい学年の生活でちょっぴり疲れた体や心をゆったり休めるのもあり。

アザミ嬢のララバイ
                   作詞・作曲  中島みゆき

ララバイ ひとりで 眠れない夜は

ララバイ あたしを たずねておいで

ララバイ ひとりで 泣いてちゃみじめよ

ララバイ 今夜は どこからかけてるの

春は菜の花 秋には桔梗

そしてあたしは いつも夜咲く アザミ

ララバイ ひとりで 泣いてちゃみじめよ

ララバイ 今夜は どこからかけてるの

ララバイ なんにも 考えちゃいけない

ララバイ 心に 被いをかけて

ララバイ おやすみ 涙をふいて

ララバイ おやすみ 何もかも忘れて

春は菜の花 秋には桔梗

そしてあたしは いつも夜咲く アザミ

ララバイ おやすみ 涙をふいて

ララバイ おやすみ 何もかも忘れて

春は菜の花 秋には桔梗

そしてあたしは いつも夜咲く アザミ

ララバイ ひとりで 眠れない夜は

ララバイ あたしを たずねておいで

ララバイ ひとりで 泣いてちゃみじめよ

ララバイ 今夜は どこからかけてるの

ララバイ ララバイ ララバイ ラララ

ララバイ ララバイ ララバイ ララララ

ララバイ ララバイ ララバイ ラララ

「私の声が聞こえますか」より


今日紹介したのは僕の好きな
中島みゆきの歌「アザミ嬢のララバイ」。ララバイ(Lullaby)とは子守唄のこと。しんどい時は心を優しく落ちつかせてくれる歌を口ずさむのもいいよね。

球技大会の夕方。僕は会議もクラブもなかったので、四条までテクテク歩いて献血しに行きました。四条寺町を南に少し行ったタニヤマ無線の隣りのビルの3階が「献血ルーム四条」です。

我が家の次男は生まれて1年目に血小板減少性紫斑病という病気にかかり、血液製剤を使って直してもらいました。うちのヨメさんは2度目の手術の時大量に輸血し、その後の免疫療法の治療でも血液製剤を使って命を延ばしました。どこかで名も知らぬ人が献血をしてくれてこその命でした。で、この日一日、君と共に球技大会を楽しむことができたことに感謝して、献血に出かけたというわけ。

献血は16歳から可能なので、献血ルームには制服を着た学校帰りの高校生も何人か来ていました。四条に遊びに行って、お腹がすいてのどが渇いた時寄ってみてはどうでしょう。お菓子とのジュースが好きなだけもらえます。体重が40キロ以上あって、体調が悪くなければOKです。

待ち時間を含め30分ほどで済んだ献血の後、三条まで足を伸ばしてブックファーストへ。気になりながらこれまで読んでいなかった
田口ランディのエッセイできればむかつかずに生きたい』(晶文社)を買って読むと、これが思いのほか面白かったので、その一部を裏に紹介します。(略)

本屋を出てテクテク学校に戻る帰り道、宮川町を通りぬけました。学校から徒歩20分の
宮川町は祇園と並び京都を代表する花街です。鴨川べりの川端通りを一本東に入った四条から五条までの細い通りが宮川町。最近、石畳の道に整備されて下駄の音がカラコロ響く洒落た通りになりました。(芸妓さんのページ

ちょうど舞妓さんや芸妓さんが置屋さんからお茶屋さんへと向う「出勤時間」で、華やかな着物姿が行き交っていました。6時前ごろに宮川町に行くと「ここは京都や〜!」という情緒が味わえます。一度足を運んでみてください。


つづく

目次にもどる


































はじまりは歌と共に

その5  一緒に歩いてくれる人

2005年度 5枚目 2005/04/19

■ 巣立ちのために必要なもの

何人かでとりとめのないお喋りをしながらトロトロ歩くのは、一人テクテク歩くのとはまた違った、楽しさがあります。日曜日の遠足の下見もそうでした。

今回のコースは、遠足委員さんの言い方によれば「なごむ」雰囲気に満ちたお寺や「ハニカミプラン」みたいな竹林を抜ける散策路と、「アリエヘン」川沿いの緑あふれる小道をたどるハイキングコースが組み合わさった、気持ちのよいコースでした。みんなでワイワイトロトロ歩けたらいいな。

くねくね道を歩いている最中、僕の頭の中には繰り返し歌が流れていました。それは土曜日に京都シネマで観た塩田明彦監督の映画「カナリア」で、谷村美月演ずる少女が歌っていた「銀色の道」です。右に載せたこの曲が世に出たのは1967年。僕が10歳の時。きっと、君のお父さんも歌えるはずです。

映画では、少女の死んだお母さんがいつもこの歌を口ずさんでいたという設定でした。少女が繰り返し歌っていたのは2番でしたが、この歌が発するメッセージの中心は3番かな。


    銀色の道                  塚田茂作詞、宮川泰作曲

 遠い 遠い はるかな道は

 冬の 嵐が 吹いてるが

 谷間の春は 花が咲いてる

 ひとり ひとり 今日もひとり

 銀色の はるかな道

 ひとり ひとり はるかな道は

 つらい だろうが 頑張ろう

 苦しい坂も 止まればさがる

 続く 続く 明日も続く

 銀色の はるかな道

 続く 続く はるかな道を

 暗い 夜空を 迷わずに

 二人の星よ 照らしておくれ

 近い 近い 夜明けは近い

 銀色の はるかな道
 

一人では恐くて不安な暗くはるかな道でも、共に歩いてくれる誰かがいれば、きっと歩いて行ける。

微かであっても『希望』さえあれば、明るい人生にたどりつく。

そう信じるのは難しいけど、そう信じずには生きていけない。


そんな切なさが沁みる歌です。

映画で一番印象に残ったのは、少女が叫ぶ
「子供は親を選べへんのに、親は子供を選べるんか?!」というセリフでした。

君の親はきっと君の成長を心から願っていて、できる限りの援助をしてやりたいと思っているでしょう。その愛情にたっぷり甘える事はとても大切な事です。でも、親の敷いたレールではない
自分の道を、自分の足で歩いて行こうとし始めた君に必要なのは、君自身の強い意志だけでなく、共に信じるものを持ち、共に歩いてくれる仲間(友達や恋人やパートナー)なのでしょうね。

そして、それは子どもだけでなく、僕や君のお母さんだって同じことなのです。


先日ある卒業生から、推薦で進んだ大学を中退して4月から専門学校に通い始めたというメールをもらいました。迷惑掛けた京女の門を、もう二度とくぐれませんとありました。

先日ある卒業生が訪ねて来てくれて、彼女の家族が事故で亡くなった事、一緒に進学した友達が「オミズ」にはまって大学を辞めてしまったことを話してくれました。

先日ある卒業生が入院してしまった事を知り、お見舞いに行きました。ベッドの上の彼女はとても痛々しかった。


失敗しないように、見通しを立てて計画的に生活する」ことは誰もができるわけではない。でも、「失敗を恐れずに、今日を精一杯生きる」ことは誰にでもできます。

誰かと競って勝つ」ことは誰もができるわけではない。でも、「へたばった友達の横に寄り添う」ことは誰にでもできます。

明日は
球技大会。失敗を恐れず思い切ってプレーし、心の底から声を出して応援できたら、きっと君の未来に繋がる何が、君の中に生まれてくるに違いありません。


つづく

目次にもどる



































はじまりは歌と共に

その4  天命を知る

2005年度 4枚目 2005/04/14


教室からあふれる初夏の明るさ

右に紹介したのは、僕の好きな石川啄木の歌です。今日の食事のために厭々働くのでも、金をもうけて欲望を満たすためでもない。ましてや、誰かに命令され強制的に働かされるのでもない。これこそ天が自分に与えた使命だと思えるような天職を得て、自分の能力を発揮する。そんな喜びを得られたら、どれほど幸せでしょう。


こころよく

我にはたらく仕事あれ

それを仕遂げて死なむと思う

                                   啄木のうた 現代教養文庫より

誰かが「自分の進路や将来の目標を考えましょう」というとき、君は何を考えるのでしょう。何大学のレベルはどうか?就職に有利なのはどこか?収入?結婚相手?それとも世間体?そのどれも、この世で生きて行く上では大事なことかもしれません。しかし、通販のカタログをみて商品を選ぶように自分の進路を考えるのは、無益どころか有害です。

大切なのは、自分は何をしたい人なのかを自分自身に問いかけ、
自分が活かされるために、自分の何を育て、磨いていくのかを考えること。それを見つけるためには、今できることを精一杯やるということだと思います。

明日のために今日をケチる人は、明日もまた明後日のためにその日をケチって生きて行くでしょう。今日を精一杯生きる人は、きっと充実した明日を手に入れるはずです。

二組に四人いるヤマモトさんの一人が生徒会長に立候補しました。ステキな決意だと思います。今日のHRでは体育委員の二人が20日の球技大会での「必勝」を目指してチーム作りを進めてくれました。今日検尿を集めてくれた保健委員の二人が、明日は健康診断の指示をしてくれます。次の日曜日には、遠足委員の二人が嵯峨野巡りに決まった遠足の下見に出かけてくれます。

そうした
一つ一つの取り組みを主体的にやり遂げ、たっぷり楽しむことが、君の進路=未来を切り開いていく力になります。今日の仏参で脇本先生が語ってくださった、沖縄の離島の子どもたちの「学力」もそれと同じだと思います。教科書に書かれていることを理解し、繰り返し覚え、問題集で問題を解くことも、そうしたことの一つに過ぎません。

中国の古典『
論語』に「人事を尽くして天命を待つ」という孔子の言葉があります。やるだけやって後は天に運命をまかせると言った意味でしょうか。それに対して大谷大学の初代学長だった清沢満之は「天命に安んじて人事を尽くす」と言ったそうです。僕の好きな言葉です。大いなる力に見守られていることを自覚して、迷いながらも誠実に努力して生きることを大事にすべしという教えでしょう。

六月末までの行事予定を下に載せました。(省略)自分を生かすチャンスを、この中にも見つけてください。


つづく
目次にもどる


































はじまりは歌と共に

その3  目の敵より目の保養を

2005年度 3枚目 2005/04/11

■ わめかずに聞く。踊らされずに歩む。

今日の基礎学力テストのでき具合が気になる君にはピンと来ないかもしれませんが、僕は昨日から今日にかけて、中国で広がる反日デモの様子を伝えるテレビや新聞の報道に心がざわめきます。騒ぐにはそれなりの理由がある訳ですが、心配なのはこうした騒ぎを利用して、多くの人を都合の良いように操作しようとする人々がいることです。そんな時こそ、大声を出している人と一緒になってわめくのではなく、隠れた小さなつぶやきを聞き、踊らされずに問題解決の道を見つけて一歩ずつ進みたいものです。

それは国家や民族間だけでなく、クラスやクラブ、家の中でのことも同じでしょう。特に、付き合いの深い仲間や家族の間でこじれた時のフォローは難しいものです。そんな時こそ、自分の心にしっとりとした潤いを取り戻させてくれる美しいもの、みずみずしいもの、温かなものに触れることが大切です。

そんなふうに、少し荒れた心に潤いがほしいという方へのお薦めの一つが映画。それも落ちついた雰囲気でしみじみ映画を楽しめる映画館「京都シネマ」。四条烏丸の唐草模様のビルの3階にあります。会員になると、映画一本1000円。普通の映画館ではかかりにくい小品や内外の味わい深い作品が上映されています。一昨日、僕は学校の帰りに寄って井筒和幸監督の「
パッチギ」を観て来ました。(うちの上の息子がエキストラで後姿だけ出ています)

“パッチギ"とは、「突き破る、乗り越える」という意味のハングルで「頭突き」を表わしています。1968年の京都が舞台で、京都の府立高校生と朝鮮高級学校生の過激な関わりが描かれます。これを観て思い出したのが金佑宣監督の「
潤(ユン)の街」。君が生まれたころ、1989年に上映されていた、大阪の在日三世の娘ユンが主人公の物語でした。

そのころと現在とでは、ずいぶん社会環境も変わっていますが、韓流≠ネどといって韓国ブームが作られる一方、中国や北朝鮮に対する敵対的な報道が増えている中、「パッチギ」のような映画が街の映画館で上映されていることに大切な意味を感じます。

映画の主題歌になっている「
イムジン河」は朝鮮を南北に分ける国境の川で、ザ・フォーク・クルセダーズが歌ったレコードは発売直後政治的な理由で発売・放送禁止とされました。そこで急遽作られた歌が「悲しくてやりきれない」。

君のお父さんやお母さんは「イムジン河」を知らないかもしれませんが、きっと「悲しくてやりきれない」は歌えるはずです。


  イムジン河

        松山猛訳詞・朴世永原詩・高宗漢作曲

イムジン河水きよく

とうとうとながる

みずどり自由に

むらがりとびかうよ

我が祖国南の地

おもいははるか



イムジン河水きよく

とうとうとながる

北の大地から南の空へ

飛びゆく鳥よ自由の使者よ

誰が祖国を二つに分けてしまったの

誰が祖国を分けてしまったの



イムジン河空遠く

虹よかかっておくれ

河よ思いを伝えておくれ

ふるさとをいつまでも忘れはしない

イムジン河水きよく

とうとうとながる


  悲しくてやりきれない


        サトウハチロー作詞・加藤和彦作曲

胸にしみる 空のかがやき

今日も遠くながめ 涙をながす

悲しくて 悲しくて

とてもやりきれない

このやるせない モヤモヤを

だれかに 告げようか



白い雲は 流れ流れて

今日も夢はもつれ わびしくゆれる

悲しくて 悲しくて

とてもやりきれない

この限りない むなしさの

救いは ないだろうか



深い森の みどりにだかれ

今日も風の唄に しみじみ嘆く

悲しくて 悲しくて

とてもやりきれない

このもえたぎる 苦しさは

明日も 続くのか


つづく
目次にもどる





































はじまりは歌と共に

その2  支え合える喜びを

2005年度 2枚目 2005/04/09

■ クラス役員決め

君も一度は「自分が何のために生まれてきたのか、何のために生きていくのか分からない」と思ったことがあるでしょう。

自分の生きる意味を、自分の内側だけに見つけようとしてもうまく行きません。

目の前で俯いているその人と、地球の裏側で空を見上げているあの人と、どんな関わりを持っていくのか。

昨日買った平原綾香のアルバムの一曲「empty space」の歌詞を、君にプレゼントします。


  empty space    作詞・作曲 平原綾香


You know 私を見て I know  私はあなたを見て


いつも支え合って First Road ここから

空になった言葉さえ 大切なものだから

何度でも歩き出せるわ


You give me 私だけに I give you 私はあなただけに

どんな小さな事さえも Thanks a lot! 心から

あふれだしたメロディも 色づいた花になる

あなたが必要なの

私に足りないもの すべてをあなたがうめてくれる

どんな時も どんな荒波でも We can go 乗り越えられる

ODYSSEYより


つづく
目次にもどる



































はじまりは歌と共に

その1  今日の蕾

2005年度 1枚目 2005/04/08


■ 君と一緒になれて嬉しいです


きららかに 明日咲く花を思うより   今日の蕾(つぼみ)を愛(いつく)しみたい    


スロープの桜が満開です。教室の窓からぼんやり眺めてうっとりする人もいれば、樹の脇を足早に通り過ぎながらチラリと目をやる人もいます。

でも、進む足を止めて花の一輪、花びらのひとひらをじっくり見る人はほとんどいません。ましてや目を閉じて、漂う花の香りをかごうとする人の姿を見ることはありません。

僕らは目に入る何千と開いた花の群れを「桜」と呼び、風に散る花吹雪にあわれを感じます。でも、その花の一つとして実を結ばないことを哀しく思う人はわずかです。

僕らは桜の花が咲くことを楽しみにし、その姿を見てウキウキします。それはとても自然なことだし、大事な感覚です。今日咲く花に目をとめることなく、蛍光灯の下で勉強し、働きづくめの生活が、豊かな人生であるはずがありません。

でも、もっと大切にしたいのは、明日咲く花を思うより、今日の蕾をいつくしむこと。なる実の重さを思うより、いまある若葉のふるえに目をとめたい。

このクラスの42人で、球技大会をし、遠足に行きます。体育祭で熱くなり、文化祭で沸き立ち、修学旅行に行きます。

その一つ一つを「決められた行事だから」するのではなく、また「将来のため」や「何かの役に立つ」からするのでもない。今、この目の前にいる人と一緒にいられる喜びを、じんわりと感じながら楽しむ。それ以上大事なことがあるでしょうか?

「ありがとう」「ごめんね」のふたことが、自然に口に出せるクラスになれば、それだけできっとステキな思い出として残るクラスになるはずです。そのために僕もできるだけの事をします。一緒に一日一日を大切に過ごしてください。

保護者の皆様も、一人一人が支え合えるよう、よろしくお願い致します。


つづく
目次にもどる