■ 明日のことはわからないから、今日のひと日を大切に
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■ 人間の傲慢を戒めてくれる自然のありがたさ
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一人では恐くて不安な暗くはるかな道でも、共に歩いてくれる誰かがいれば、きっと歩いて行ける。 |
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■ 教室からあふれる初夏の明るさ
誰かが「自分の進路や将来の目標を考えましょう」というとき、君は何を考えるのでしょう。何大学のレベルはどうか?就職に有利なのはどこか?収入?結婚相手?それとも世間体?そのどれも、この世で生きて行く上では大事なことかもしれません。しかし、通販のカタログをみて商品を選ぶように自分の進路を考えるのは、無益どころか有害です。 大切なのは、自分は何をしたい人なのかを自分自身に問いかけ、自分が活かされるために、自分の何を育て、磨いていくのかを考えること。それを見つけるためには、今できることを精一杯やるということだと思います。 明日のために今日をケチる人は、明日もまた明後日のためにその日をケチって生きて行くでしょう。今日を精一杯生きる人は、きっと充実した明日を手に入れるはずです。 二組に四人いるヤマモトさんの一人が生徒会長に立候補しました。ステキな決意だと思います。今日のHRでは体育委員の二人が20日の球技大会での「必勝」を目指してチーム作りを進めてくれました。今日検尿を集めてくれた保健委員の二人が、明日は健康診断の指示をしてくれます。次の日曜日には、遠足委員の二人が嵯峨野巡りに決まった遠足の下見に出かけてくれます。 そうした一つ一つの取り組みを主体的にやり遂げ、たっぷり楽しむことが、君の進路=未来を切り開いていく力になります。今日の仏参で脇本先生が語ってくださった、沖縄の離島の子どもたちの「学力」もそれと同じだと思います。教科書に書かれていることを理解し、繰り返し覚え、問題集で問題を解くことも、そうしたことの一つに過ぎません。 中国の古典『論語』に「人事を尽くして天命を待つ」という孔子の言葉があります。やるだけやって後は天に運命をまかせると言った意味でしょうか。それに対して大谷大学の初代学長だった清沢満之は「天命に安んじて人事を尽くす」と言ったそうです。僕の好きな言葉です。大いなる力に見守られていることを自覚して、迷いながらも誠実に努力して生きることを大事にすべしという教えでしょう。 六月末までの行事予定を下に載せました。(省略)自分を生かすチャンスを、この中にも見つけてください。 つづく |
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■ わめかずに聞く。踊らされずに歩む。
つづく |
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つづく |
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■ 君と一緒になれて嬉しいです
スロープの桜が満開です。教室の窓からぼんやり眺めてうっとりする人もいれば、樹の脇を足早に通り過ぎながらチラリと目をやる人もいます。 でも、進む足を止めて花の一輪、花びらのひとひらをじっくり見る人はほとんどいません。ましてや目を閉じて、漂う花の香りをかごうとする人の姿を見ることはありません。 僕らは目に入る何千と開いた花の群れを「桜」と呼び、風に散る花吹雪にあわれを感じます。でも、その花の一つとして実を結ばないことを哀しく思う人はわずかです。 僕らは桜の花が咲くことを楽しみにし、その姿を見てウキウキします。それはとても自然なことだし、大事な感覚です。今日咲く花に目をとめることなく、蛍光灯の下で勉強し、働きづくめの生活が、豊かな人生であるはずがありません。 でも、もっと大切にしたいのは、明日咲く花を思うより、今日の蕾をいつくしむこと。なる実の重さを思うより、いまある若葉のふるえに目をとめたい。 このクラスの42人で、球技大会をし、遠足に行きます。体育祭で熱くなり、文化祭で沸き立ち、修学旅行に行きます。 その一つ一つを「決められた行事だから」するのではなく、また「将来のため」や「何かの役に立つ」からするのでもない。今、この目の前にいる人と一緒にいられる喜びを、じんわりと感じながら楽しむ。それ以上大事なことがあるでしょうか? 「ありがとう」「ごめんね」のふたことが、自然に口に出せるクラスになれば、それだけできっとステキな思い出として残るクラスになるはずです。そのために僕もできるだけの事をします。一緒に一日一日を大切に過ごしてください。 保護者の皆様も、一人一人が支え合えるよう、よろしくお願い致します。 つづく |
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